「これがバレンの滝か…」
 マッシュがしみじみと呟いた。
 それはあまりに大きな滝だった。流れが激しいのと水の量が多いのとで、下の方が霧のようになっていてよく見えない。
 「これより南は獣ケ原…凶悪な獣がいる危険な場所ですぞ」
 「だが後戻りしても帝国軍が待ち受けてるぜ…」
 「シャドウさん、どこ行くの?」
 滝の下を覗き込んでいたは、視界の端に映っていた黒い人影が背中を向けるのを見逃さなかった。つられるようにして、マッシュとカイエンが顔を上げた。
 「…ドマまで案内するのが俺の仕事だ。少し長く居すぎたが、ここまでだ」
 「なあシャドウ、お前もリターナーに…」
 マッシュが口を開きかけて閉じた。リターナーに入らないか、と言おうとしてやめたのだろう。きっとマッシュが最後まで言ったとしても、シャドウはリターナーには入らないだろうな、と思った。短い付き合いだが結構濃い時間を過ごしたから、何となく理解できる事もある。それに不思議と、彼とはこれっきりの別れと言う気がしなかった。
 「世話になったな!またどこかで会おうぜ!」
 マッシュの声に、シャドウは小さく頷いて、今度こそ去っていった。


 「飛び込むしかないんだよな……」
 シャドウが去って、再び滝を覗き込んだ3人は顔を見合わせた。
 マッシュはいつまでもぐずぐずしていた。カイエンも同じように、滝を覗き込んではため息をつき、また覗き込んではため息をついている。
 「でもよく見ると足場になりそうな所、結構あるよ。飛び移るような感じで降りて行って、水面が近くなったら飛び込むってのはどうかな」
 二人は揃ってを見た。
 「お前なあ…軽く言うなよ。大体はどうなんだこの滝。怖くねえのか?」
 「うん。小さい頃、家から少し離れたとこに低い崖があってね。そこか海に飛び込んで遊んでたから、わりと平気」
 「ほう。殿は海の近くに住んでおったでござるか?」
 「うん。港町だったから海が遊び場みたいなものだった」
 「港町ってどこだ?」
 ……しまった。
 会話の流れでまた口を滑らせてしまった。案の定マッシュが食いついてくる。どうして自分はいつもいつも、警戒心が足りないのか。
 「サウスフィガロなら良く知ってるぞ」
 「…サウスフィガロじゃないよ」
 「ふーん、じゃあどこだ?大きな港町って言ったらニケアか、帝国に占領されたっていうアルブルグ国か?」
 マッシュは意外と疑問をそのままに出来ない性分のようだ。ここで下手に誤魔化しても色々突っ込まれるだけだと判断したは、さらっと答えてさらっと急かした。
 「ニケアだけど。まあいいじゃない、その話は。それより早く飛び込もうよ」
 「もうちょっと待ってくれ、まだ心の準備が出来てねえんだ」
 マッシュが途端に焦りだす。思わず笑ってしまった。帝国軍の基地の真ん中でも、魔列車でゴーストに囲まれた時でも、あんなに頼もしかった人なのに。しかもこんなに大きくて強い男の人なのに。
 「もしかして怖いの?マッシュって、可愛いねー」
 「ばっ……怖いわけないだろ!!あと男に可愛いとか言うな!!」
 「…そうでござる、女子に可愛いと言われるなど…男児の恥でござる」
 真っ赤になって怒るマッシュの後ろで、カイエンが涙目になっている。
 「ああんもうカイエンさんまで…泣かないでよう…」
 そんなやりとりの後、まずはが行き、3番目がマッシュ、という順番になった。足がすくんで動けなくなりそうだからその時は背中を押して突き落としてくれ、と頼むカイエンが2番目だ。
 「じゃ、、行っきまーす」
 は躊躇なく飛び降りた。
 霧のようになっている水しぶきの冷たさがとても気持ちいい。飛び移れそうな足場を見つけては跳ねるように移動していると、急に気配を感じた。振り返ると、滝の中からから何か生きものが口を開けて飛び出してきた。一瞬魚かと思ったそれは魚型のモンスターで、冷たさに癒されていたせいか、驚きよりも、こんなとこにもモンスターって住んでるんだ、という感動が先に来た。
 「ぬおお!ぬおおお!!」
 太い悲鳴が段々大きくなり、カイエンとマッシュが降りてきた。というより落ちてきた。
 「殿!!無事でござったか!拙者は大ピンチでござる!!ぬぅ!敵があんな所にも!」
 「なんだ、落ちてみると気持ちいいな!こいつはいいや、気持ちよく戦えそうだ!」
 「あはは…そうだね」
 急に騒々しくなり、苦笑いしながら、は武器を構えた。


 「…何だったんだろうな」
 「…どうも、普通の町や村の子供とは違うようでござる」
 話し声で目が覚め、声のする方に顔を向けると、二人がすぐに気付いた。
 「気がついたか」
 こくりと頷いて起き上がって周りを見回す。滝でしばらく戦って、やたら強い敵が出てきて、やっと勝って、その後の記憶が無い。
 「戦いが終わってからずっと気を失ってたんだぞ。大丈夫か?どこも痛くないか?」
 「大丈夫…ところで、ここ、どこ」
 「獣ヶ原でござるよ」


 獣ヶ原は、その名の通り、獣から進化したモンスターが多い。
 体の大きさも力の強さも今までのモンスターより数段上だ。その分素早さが劣るので倒せない敵ではなかったが、戦ううちに三人の方が空腹で動けなくなってきた。思い出すと滝に飛び込む前から何も食べていない。
 「二人とも干し肉食べる?たくさんあるよ」
 旅の前に大量に買い込んだ干し肉(マッシュと出会ってから食べ物に困る事が無くなり、なかなか出番が無かった)を数枚取り出し声をかけると、二人とも笑顔になった。
 「なんと!ありがたいでござる」
 「俺も何枚かくれよ!ちょうど腹が減ってたんだ!」
 「良かった。まだまだあるから足りなかったら言ってね」
 喜んでくれたのが嬉しくて、笑顔で干し肉を手渡す。ちょうどいい木陰があったので、干し肉とカイエンの水筒に入っていた水を分け合って休憩を取る事にした。
 「……お?」
 しばらく寛いでいると。
 カイエンが変な声を上げたので二人は話をやめ、カイエンの見ている方を見た。
 少年がいる。
 正確に言うと、少年のように見える生きものが、じっとこちらの様子を伺っている。
 「あれは今朝の子どもじゃないか?」
 「何、今朝の子どもって」
 「殿は気絶しておったから知らなかったでござるか。今朝あの子どもが、川に流れ着いた拙者達を傍で見ておったのでござる」
 「悪いやつじゃなさそうなんだが、得体がしれないんだよな」
 二人の言葉を聞いて、改めて少年を見た。12か13歳くらいか。伸び放題の若草色の髪を一つに束ね、上半身は黄色いケープのようなものを巻き、緑色の短いズボンを穿いている。子どもと言うよりは野性の動物に近い少年の視線は、三人で囲んでいる干し肉に向けられていた。
 ぽかんと開けられていた少年の口が動く。
 「うう……腹減った」
 少年の言葉を聞いて、三人は思わず顔を見合わせた。
 「もしかして、これ食べたいのかな」
 「もしかしなくてもそうだろ。あの眼見ろよ。干し肉しか見てないぞ」
 「殿、どうする。分けてあげるでござるか?」
 は頷いた。空腹そうな子どもに熱心に(干し肉を)見つめられ、無視できるわけがない。荷物の中から干し肉を何枚か取り出して(マッシュが「随分沢山持ってるんだな…」と呟いた)、素早く少年の前に駆け出し、素早く置いて、素早く二人の元に戻って様子を見た。少年は警戒してしばらくは口をつけなかったが、美味しそうな匂いにつられたのか恐る恐る食べ始めた。最初は端っこを少しずつ齧っていたのが、そのうちかぶりつくようになり、あっという間に食べつくした。食べつくした途端に飛び跳ねるようにの前にやってきて、ぐるぐる回りながら匂いをかぎ始める。うなじや腰の周りに顔を近づけられて、驚いたは後ずさりし、マッシュが血相を変えて二人の間に割りこんだ。
 「な、なんだよ」
 「妙な奴でござる!」
 マッシュと、そのそばにいたカイエンが身構えると、少年は今度は二人の顔を交互に見比べる。攻撃してくる様子もない。好奇心いっぱいに見つめている、そんな感じだ。
 「……拙者はカイエン。で、こっちがマッシュ。後ろにいるのが、
 先に警戒を解いたカイエンが、皆の名前を伝えると、少年はふむふむ、と顔と名前を覚え込むようなしぐさを見せた。
 「マッシュにカイエンにか。もっと、くいもの、くれ!」
 「そんなにお腹空いてるの?ちょっと待ってね…ん?」
 目の前に大きな背中が現れて、びっくりして荷物を探る手も止まった。何事かと思えば背中の主――マッシュは不機嫌そうに「もう、ねえよ」と少年に言っている所で、そこでまたびっくりした。こんなに不機嫌そうな顔は今まで見た事が無かったのだ。なんでだろうとカイエンを見ると、彼はニヤニヤしているばかりだったので、余計に謎は深まるばかりだった。
 「じゃあ、さがしてこい」
 「お前、小さいな」
 「おまえ、こわいんだろ?」
 命令口調で言い放った少年をから引き離しつつ、マッシュは背丈で威嚇した。少年も負けてはいないのか、しきりに挑発するような態度を取る。
 「やるのか?」
 「ついてこれればな!」
 「甘く見るなよ!」
 「ちょ、二人ともやめなさい…よ?」
 戦いが始まるんじゃないかとひやりとした。心配したのは少年の方だ。マッシュとまともに戦って少年が無事で済むとは思えない。慌てて止めようと駆け出そうとして、腕をそっと掴まれた。振り向くとカイエンが宥めるように笑っている。
 「大丈夫でござるよ」
 「でも」
 「ほら、見てみるでござる」
 促されて見てみると、二人が全力でその辺を走りまわっていた。要するに駆けっこをしていた。
 「なかなかやるじゃねえか!」
 「はあはあ!お前、すごい!」
 しかも軽く友情まで芽生えそうな勢いだ。間違っても戦いになる事はないだろう。安心すると同時にため息が出た。少年はともかくマッシュまでむきになって速さを競い合っている。
 「たしかに大丈夫そうだけど。……それにしてもマッシュってば、子ども相手に大人げないねえ」
 「マッシュ殿が大人げなくなるのには、ちゃんと理由があるのでござるよ、殿」
 「どんな理由?」
 「はは、それは拙者の口からは言えんなあ」
 「ふうん?どうして?」
 「どうしても、でござる」
 にこにこしている。
 本当に理由を説明する気はないようだ。仕方が無いので休憩の続きを取る事にした。カイエンにも干し肉を分けて、二人で不毛な駆けっこを眺めていると、ぴたりと止まった少年が手を差し出してきた。干し肉をくれということらしい。一枚分けてあげると目を輝かせて早速ほおばり、一人で駆け回っているマッシュをみて、嬉しそうに笑う。
 「ひっかかった!ひっかかった!」
 「うるせえ!」
 「まあ、まあ、まあ、まあ、それはともかく、君は何者でござる?」
 カイエンが絶妙なタイミングで二人の間に入った。流石大人だ…と感心すると息を切らせるマッシュをよそに、少年は予想外の反応をした。
 「ござる?ござる!ござる!ござる!」
 聞き慣れない侍の言葉がおもしろかったのか、少年は大喜びでござるござる言いながらあちこちとび跳ねた。
 意外な所に食いつかれて目を丸くしていたカイエンが、はしゃぐ少年を見ているうちに、涙目になっていき、くるりと皆に背中を向けた。肩が少しだけ震えている。きっと息子さんの事を思い出したのだろう、と想像がついたとマッシュは、かといって慰める言葉も励ます言葉も出ず、様子を静かに見守るしかなかった。勿論そんな事を知る筈もない少年は様子が変わったカイエンに、今度は「カイエン!怒ったのか?」「カイエン!怒ったのか?」を連呼した。
 「おい、ちょっとこっち来い」
引きずられるように離れたところに連れて行かれた少年は、嫌そうにマッシュを見た。マッシュは気にせず、少年の目の高さにしゃがみ込んだ。
 「実はカイエンは、奥さんと息子さんを亡くしたばかりなんだ。奥さんと息子さんって言っても分かんねえかな。…カイエンにとって、とても大好きな人たちを失ってしまったんだよ」
 「!!」
 「息子さんはお前より少し年齢が下で…ええと、少しお前より小さかったんだが…多分はしゃいでるお前を見ていて、息子さんの事を思い出してしまったんじゃないかな」
 少年にも分かるようなマッシュの丁寧な説明を聞いて、少年は段々しょんぼりしてきた。反抗的な目が悲しそうに伏せられる。
 「そうだったのか。ガウ、わるいやつ。おいら、わるいやつ」
 カイエンのそばにそっと近づき、項垂れる。それが謝罪の言葉を知らない少年の、精一杯の謝罪なのだろう。モンスターの中で一人で生きてきた小さい子が、人の事を思いやれる優しさを持っている事に胸が温かくなり、同時に少しだけ切なくなった。少年の気持ちは正しく伝わり、カイエンは振り向いて、涙を拭いながら笑った。
 「なに、いつまでもくよくよしてはいられぬ。それに、ガウ、お主とは何か馬が合いそうでござる!一緒に来るか?」
 少年はにかっと笑い、カイエンの手を取ろうとして、
 「あっ!!プレゼントする!ガウ、カイエンとマッシュとにプレゼントする!ほしにくのおれいする!」
 唐突に叫んだ。カイエンは驚いて、その後苦笑する。カイエンさんは本当に大人だなあ、そしてガウ君は自由だなあ、とは感心した。マッシュだけが未だにガウを警戒していた。
 「どうせくだらないものなんじゃないのか?」
「ガウの宝だ。ピカピカ、ピカピカ、ピカピカの宝だ!」
 「そんなにピカピカしてるのか?」
 「ござるは、ピカピカ好きか?」
 「ござるはあっちだ!!…ピカピカかあ…ロックが聞いたら羨ましがるだろうなあ…」
 ロックって誰だろ。
 「ロックって、だれだ?わるいやつか?おいらの宝、取ろうとしてるのか?」
 「ロックって言うのは………人の話を聞けよ!!」
 マッシュが怒鳴り、ガウが何か言いたそうな事にカイエンが気付いたため、結局ロックがどういう人物なのかは聞けないままだった。
 ピカピカしたものが好きなロック。
 きっとお金が大好きで、宝石も大好きで、とにかく金目のものが大好きな人に違いない。
 脂ぎって太った中年男性をイメージしたは、本当にリターナーって、色んな人が色んな方法で戦ってるんだな、と変に感心してしまった。
 ロックに対して自分が大いなる勘違いをしていることを、彼女はまだ、知らない。


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