。信じられないことに、偶然この世界に迷い込んでしまった女の子。
見知らぬ世界に怯えている為か、成り行きでこの場にいることに引け目を感じているのか、いつも不安そうにしている子。それが、バッツが彼女に抱いた第一印象だった。
確かに変な空間ではある。戦い続け、勝ち続けなければならない場所である。安全な場所など聖域以外に存在せず、時にはその聖域ですら姿を変え、ひずみと呼ばれる危険な場所に姿を変える、危険と隣り合わせの世界でもある。
けれど、それだけではない。歪みの中を探索するのはわくわくするし、仲間は皆、気のいい奴らばかりだ。そんな彼らが語るそれぞれの世界の話はいつだって新鮮で楽しい。少なくともバッツにとってこの場所は、決して辛いだけの場所ではない。
そこでバッツは勝手に決めた。こんな変わった世界は意外と面白い場所なのだとに分かってもらおう、と。
だから積極的に彼女に話しかけ、どうでもいい話からこの世界のことまで、とにかくいろんな話をした。警戒心が強そうなだが、打ち解けるのは意外なほど早かった。はテント張りや食事の準備など必死で皆の役に立とうとしていて、けれど不慣れなのか失敗してばかりいたから、バッツが手伝うという体で近づき、話をする機会を沢山作ったからだ。
野営の準備をしながら、はぽつぽつと自分の世界の話をした。逆にバッツが自分の世界の話をすることもあった。彼女の世界とバッツの世界は、文明の水準がよく似ていたけれど、細かいところが違っていた。例えばバッツの世界では魔法は買うものだが、彼女の世界では魔法は過去の遺物になっている。バッツの世界では何種類かいるチョコボが、彼女の世界では一種類しかいない(これを聞いたバッツは、チョコボが沢山いる世界の住人でよかった、と密かに思った)。
元の世界の記憶をどれほど覚えているのかは戦士によってまちまちだ。断片的に覚えている者もいれば自分の名前すら覚えていない者もいる。バッツは元の世界の記憶を比較的持っている方だった。はここに来た理由こそ忘れていたけれど、自分の世界の事は大体覚えている。それもあってとの会話は弾んだ。俯きがちだった顔は上げてみれば思いのほか可愛くて、控えめで不安そうに見えた性格は、ただ猫を被っていただけだと判明した。それに、彼女の黒い瞳にじっと見つめられるのは、その視線と一緒に信頼まで独占してしまったような満足感もあった。
実際には彼女を気遣っているのは自分だけではなかった。冗談と笑い飛ばせる明るさで口説くジタンがいたり、包み込むような優しさを見せるセシルがいたり、屈託なく話しかけるティーダがいたり。そういう経緯があり、は皆と打ち解け始めた。そのことに寂しさを感じていたある日、バッツは戦いのさなかに大怪我をした。
仲間の姿と、自分の姿をしたイミテーション二体に出くわした。二体ともそれほど強い相手ではなく余裕で勝利し、剣を消した瞬間、背後から強烈な殺気を感じた。振り向いて血の気が引くのを感じた。そこにいたのは明らかに先ほどより強い殺気をまとった光の戦士のイミテーションと、カオスの戦士の一人を模したイミテーションだったのだ。
この二体は最初の二体よりもよく出来ていた。光の戦士のイミテーションは本人の強さを寸分違わず再現していたし、カオスの戦士が振る長刀は少しの間合いも詰めさせないままバッツの体力を削っていく。逃げようと思えば逃げられた。そうしなかったのは今いるこの場所が、仲間の野営地の近くだったからだ。野営地には食事当番のがいる。戦士として呼ばれていない彼女がこんな強敵に狙われたらどうなる。考えたくもない結末をバッツはそれ以上考えなかった。代わりに何としても勝つと決めた。
「っ……!」
勝つと決めた、その一瞬が隙となった。長刀を構えた敵がいつの間にか目の前に迫り、彼の腕を切り裂いていた。距離を取って体勢を立て直そうとして、それを見透かしていた勇者のイミテーションに追撃される。間一髪で急所を避けたが、鋭い切っ先は脇腹を深く切り裂いた。
接近戦では分が悪すぎる事を悟り、魔法攻撃に長けた仲間の物真似に切り替え、隙を突いて撃破することにした。最初の攻撃で肉が剥き出しになった腕は使い物にならないばかりか、魔法を放つ度に血が噴き出し、その痛みは集中力を削ぐ。けれどここで倒れたらこいつらは野営地に行くだろう。そうすればはどうなる。自分の危機だというのに、頭に浮かぶのは不思議なくらい彼女の事ばかりだった。
意地で放ち続けた魔法は、敵に命中こそしなかったが、腕をかすめ、長刀を折り、兜に当たり動きを鈍らせた。少しずつダメージは与えているが、自分の気力や体力が持つか分からない。
やがて魔法の勢いで戦場は粉塵が舞い、思いがけず煙幕のようになり、敵からバッツの姿を隠した。気配を察して攻撃する奴らの事だから、きっと一気に勝負をつけようと接近するだろう。そう読んだ通り、前後から同時にイミテーションが迫ってきた。最後の力を振り絞って大剣を出し、回転するように振り回して一気に敵二体を粉砕した。しばらくして警戒を解いたバッツはふらふらとへたり込んだ。やっと、勝てたのだ。
何度も意識を失いそうになりながらやっと帰り着いた聖域には、以外にフリオニールがいた。そう言えばフリオも食事当番だったっけな。の事ばかり心配していてすっかり忘れていた。安堵した瞬間、バランスを崩してその場に倒れてしまった。二人は目の前にいるのに、駆け寄ってくるまでの時間が長いように感じた。
「バッツ! どうしたのその怪我!」
「イミテー、ションに、会っちまって。……油断、したわけじゃないぞ?」
「喋るな、今手当てするから……!」
「けど、強くて、手こずって、」
言葉が続かない。瞼が重くて目を閉じる。出血が止まらないのと、魔法を使い続けた疲労と、急所すれすれに受けた攻撃。全部重なるとこんなに動けないんだな、と他人事のように分析し、死にたくないな、と思った。
気が付くと、気絶する前の倦怠感はなかった。その代わりに体、特に動かなくなっていた腕が、芯から温まるように心地良い。何だろう、とバッツは自分の腕を見た。起きたぞ、良かった、と周りで歓声が上がる。どれくらい時間が経っていたのか、いつの間にか仲間たちに囲まれていた。あんな状態で倒れたのだ。皆に心配をかけたことだろう。
皆には後で詫びを入れることにして、バッツは自分の腕をまじまじと見た。最後に見た時には赤黒く固まった血と泥に汚れ、肉が剥き出しの、酷い腕だった。その腕の傷が綺麗に塞がっている。体の打撲も、気を失う前より軽くなっている。一番驚いたのは、淡い緑の光がバッツを覆うように包み込んでいることだ。
誰かがケアルをかけ続けてくれていたらしい。オニオンかティナあたりだろうか、と視線を彷徨わせる。いたのはそのどちらでもなく、だった。彼女は回りの声が聞こえていないのか、ひたすら治療に集中していた。見たこともないような険しい顔をして、肌理の細かい肌にびっしりと汗を浮かべて。顎を伝って落ちる汗を見ている間に、体から痛みが引いていく。
やがて痛みは完全になくなり、が大きく息を吐いた。汗を拭い一度目を閉じ、再び開いた目がバッツをようやく見た。
「回復魔法、少し使えるようになったの」
が一人で何かをしているのは知っていた。「これバッツの世界の言葉? 読める?」と、本に書かれている言葉を尋ねられることもあった。あれは白魔法を勉強していたのか。
謎が解けた納得と、他でもないに怪我を治して貰った喜びでほほ笑むと、は目を丸くした後、ふわりと笑った。瀕死の仲間を救うという快挙を成し遂げたというのに、何故か照れたような、困ったような笑顔だった。その顔から目が離せなくて、お礼を言おうにも言葉が出なかった。そもそもその時に抱いたのは、お礼の言葉や感謝の気持ちだけで終われるような、そんな簡単な感情ではなかったのだ。
あれが、まさに恋に落ちた瞬間ってやつだな。当時の出来事を、バッツはそんな風に振り返る。
気持ちを自覚してからは、仲間との関係を考える事が増えた。分かりやすく言えば、恋敵になりそうな奴はいないかと目を光らせるようになった。
まず、一番最後までをスパイではないかと疑っていた、勇者ウォーリア。どう見ても人畜無害なだったが、戦士たちのリーダーである以上、彼が疑り深くを警戒するのは当然だ。
けれどがバッツを助ける姿を見て、ようやく仲間として受け入れたようだ。ぎこちないながらも二人は、リーダーと新しい仲間という関係を築き始めている。その様子からは恋愛感情など微塵も感じられない。
最年少のオニオンナイトは、誰がどう見てもティナに淡い恋心を寄せている。年齢よりもあどけない少女を守ろうと年齢よりも背伸びする少年の姿は初々しく微笑ましく、いけないと思いつつからかってしまう。そんな彼のへの態度は、大好きな彼女の大事な友達、に対するものでしかない。故に、彼も心配いらない。
さて、必要なことしか伝えないウォーリアの言葉は、時として年下の戦士から誤解や反発を招きがちだ。また、若い戦士達は時々意見が衝突することもある。その間に入り潤滑油的な役目を果たすのが騎士セシルだ。柔らかな物腰と的確な言葉には自然と皆が耳を傾け、納得する。ウォーリアが厳しい父親なら、セシルは優しい母と言ったところだ。さらに言えばは出会った当初、セシルを女性だと思い込んでいた。多分にとってセシルはセシルであり、男性としてと言うより兄、もしかすると姉のような存在なのかもしれない。また彼は元の世界に愛する妻と子供がいるという。彼も心配ないだろう。
とてつもない魔力を秘めた美少女、ティナ。彼女ととは女性同士ということもあり、自然と仲良くなったようだ。可愛い二人が額を寄せ合って仲睦まじく話す様子は、バッツ含め他の男性陣の癒しとなっている。
兵士クラウドとの関係は、見ていて面白い。元の世界では周りに女性の知人が多く、また女装に定評のある彼(経緯について語ろうとしないが、女装そのものに抵抗はないようだ)は、とても自然にに接する。寡黙に見えるクラウドと内気に見えるだが、不思議と相性がいいようで、セシルの時とは違う意味で兄妹のように見えた。前者が絵に描いたように麗しく微笑ましい兄妹なら、後者は二人揃えば悪戯ばかりして怒られるような、親の手を焼かせるタイプの兄妹といったところか。
がこの世界で初めて出会った青年、スコール。他者を拒むところのある彼だが、意外に面倒見がいいようで、この世界の事は一通りに教え、聖域に着くまで彼女を守りながら戦っていた。はそれにとても感謝しており、旅の間、野宿に不慣れなスコールに代わり食事や野宿の準備、服の洗濯や修繕を全て引き受けていた。 も同じくらい野宿に不慣れなのに何故か引き受けていたそうで、スコールはその事に申し訳なさと恩義を感じていたようだ。の方が年上と言う事もあり、スコールにとっては、頼りないけれど優しいお姉さん、という立ち位置に落ち着いている。
女好きで気障なジタンは、ティナやに特別に親切だ。けれど彼が本当に想っているのは、元の世界に自分の帰りを待つ「お姫様」だそうだ。事前にそれを聞かされていたから、明るく話上手な彼がの心を開いた時も、脅威は感じなかった。
元の世界ではブリッツボールというスポーツの選手だったティーダ。スポーツって何だ?バッツが問うと、彼は頭をガシガシ掻きつつ唸った後、「うーん、傷つけ合わない戦いみたいなもんっす!」とニカっと笑って答えてくれた。子犬のように人懐っこい彼もジタンのと同じく、と比較的早く仲良くなった。年も近いし仲もいいし、ぱっと見お似合いに見えるので最初は警戒したが、彼は元の世界に大切な存在がいる事をうっすらと覚えており、とはあくまで友人として仲良くしているようだ。むしろ彼はよりも、友人のフリオニールといる事の方が多い。
そう、フリオニール。
問題は彼だ。
フリオニールは決して悪い人間ではない。むしろ逆で、誠実で謙虚で仲間思いの、温厚ないい奴だ。
バッツ個人としても大いに助けられている。狩り、食材探し、それらを美味しく調理する腕、野営の準備、保存食作り、破れたテントの修繕。野宿に慣れている彼が居なければ、バッツが一人でする羽目になっていただろう。しかもそのことに文句を言うでもなく、皆が自分の作った食事を美味しそうに食べるのを嬉しそうに見ており、母性を感じるほど懐の深い奴だ。欠点と言えば女性に免疫が無いという事くらいだろうが、年齢よりはるかに大人びている彼の弱点と考えると、むしろ微笑ましいくらいだ。
さて、そのフリオニールだが、と出会った時から、彼女を意識している様子はあった。女性相手に緊張しているだけなのか好意があるから意識しているのか最初ははっきりしなかったが、あの時から――バッツが大怪我をした頃から――フリオニールは、ににはっきりと想いを寄せ始めた。目での姿を追いかけて、二人で話している時には照れながらも楽しそうに笑っている、そんな姿を見せられれば、誰でも気づくというものだ。現に今だって、洗濯物を干しているを見ている。気づかれていないのをいいことに、気持ちを隠すことなく。
は、フリオニールのように誠実で親しみやすい奴が好みなのだろうと思う。ただの勘だが、されど勘だ。二人とも奥手だから何の進展もないが、何かのきっかけがあればたちまち恋に発展しそうに相性が良く、並ぶ姿も、認めるのは癪だが、お似合いだったりする。
そうはさせない。
だから飛んで来た洗濯物を拾い、ついでに手伝う事を口実に割り込んでやった。ついでにモーグリの店がまた新しい商品を入れたのを思い出して、二人で買い物に行こうと誘った。は喜んで誘いを受けた。ここまでは良かった。
はフリオニールを一緒に行こうと誘ったのだ。断れ、断れと念じたが、届かなかった。フリオニールは数秒考えた後、「俺も行くよ。いい武器が手に入るかもしれないし」と頷いたのだ。
「じゃあ決まりだね! そしたら早く洗濯物干さないと!」
全く、どうしてこうなるんだ。
少しばかり苛立ったバッツは、が財布を取りにその場を離れた隙に、フリオニールに揺さぶりをかけた。の事をどう思っているのか、と。
軽くつついただけでフリオニールは分かりやすく動揺し、それでも淡い想いは秘めておきたかったのか、もしくは想いを自覚していないのか、は大切な仲間だ、とはっきり言ってのけた。それこそがバッツの望んだ答えだった。フリオニール自身が放った言葉に縛られている間に、を手に入れてしまおう。
ショップの新しい商品は、確かに新しく、強い効果がありそうな武器や防具がそろっていた。ただしその分値段も高かった。幸いこのショップは利用者が自分たちだけという特殊な店だから、売り切れの心配はない。
「お、この剣」
どこにでもあるような、何の変哲もない剣だ。だが妙に心惹かれるものがある。多分、元の世界で縁があった剣ではないだろうか。
何か思い出せないかと剣の握り心地や重さを確かめていると、いいタイミングで店の奥からモーグリが出てきた。バッツたちを見て逃げようとするので、とっさに尻尾を掴み、「なあこの剣、いくらぐらいなら値下げ出来る?」と値段交渉に持ち込んだ。
「ボ、ボクは店とは無関係クポ! 離すクポ!」
「店の奥から出てきて無関係なわけないだろ! なあ、いくらになる?」
「し、知らないけど、一割くらいなら……あくまで勘クポよ!?」
「一割かあ……もう少し負けられないか?」
「……二割までなら。それ以上は無理クポ」
二割。長時間粘れば、そして数人で迫ればさらに値下げの余地はあるかもしれない。バッツは同行者二人に協力してもらおうと振り返った。
――そこは、完全に二人の世界だった。
楽しそうに声をあげて笑うに、その隣ではにかむ様に笑うフリオニール。何を話しているのか聞こえないが、親密な様子は伝わってくる。
何が「大切な仲間の一人」だ。完全に惚れてるくせに。初々しささえ感じる光景が、バッツの感情をかき乱す。
バッツの視線にが気づいた。「用事済んだ?」と、こちらの気も知らずに笑う。
「ああ。待たせたな。そろそろ帰るか」
バッツは剣をモーグリに押し付けた。
「悪い、もう帰らないと。この剣取り置きしてもらっていいか? 必ず買いに来るから」
「僕は無関係だけど、オーナーに頼んでおくクポ」
「ああ、ありがとな」
バッツは大声で「早く帰ろうぜー」と二人に呼びかけ、そのまま店を後にした。本当はもっと長居したかったのだが、これ以上、親密な空気の二人を目の当たりにしたくはない。
「取り置きを頼んでたの?」とは呑気に尋ねてくる。「武器も防具もいいのが入っていたけど、高かったもんな」と、フリオニールが慰めるように言う。バッツの異変に気付かない二人は、足早に歩くバッツに続いた。自然にバッツ一人が前、とフリオニールが後ろ、という並びになったのも複雑だ。
帰る道すがら、何度も後ろを振り返って会話に混じり、決していい雰囲気になどさせないよう、仲間の面白い話をしながら帰った。無理に作った笑顔がぎこちなくないか気になったが、幸い、気づかれることはなかった。
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