重い気持ちを引きずりながら、宿屋に戻って、静かにドアをノックした。
 宿を出る前から眠そうだったから、ガウはきっと眠っている。カイエンは目が覚めただろうか、具合はもう心配ないだろうけれど。考えているとドアがゆっくり開いた。
 「おかえり。アイテム買い忘れたんだって?もう二人とも寝てるよ」
 「すまないな、遅くなった」
 「カイエンさんがさっき目を覚ましたの。また寝たけど。顔色良くなったよ。マッシュが作ったお粥も自分で食べちゃったし、あの分なら明日、船に乗れるかもしれない」
 「そうか。そりゃよかった」
 ずっと起きて帰りを待っていたのだろう。出迎えてくれたは小さな欠伸をして、慌てて口を押さえて笑った。
 「あ、中に入りたいよね。ごめんね、ドアの前で話しちゃって」
 「謝るのは、俺の方だ」
 「?」
 「町の奴から全部聞いた。が、この町を出たわけを」
 「え………」
 笑顔が、凍りついた。
 がくん、とバランスを崩して前のめりに倒れそうになった華奢な体を、ふわりと腕を取って支えた。部屋の中は二人とも寝ていて起こすわけにはいかない。一方で夜更けの廊下には誰もいない。とっさの判断で、腕を優しく引いて廊下に連れ出した。
 静かに閉まるドアの前にへたり込んだは、こちらを見上げてガタガタと震えている。その様子が本当に怖そうで可哀相になって、マッシュは子どもにするようにしゃがみ込んで目線を合わせた。
 「ごめん」
 「どうして。なんで、そんなことしたの」
 「食堂の奥に、に良く似た女の人の絵が飾られていてさ。誰だろうと思って、色んな人に話を聞いたんだ」
 「……うそ」
 「そしたら絵の人がのお母さんだってことが分かった。それに、お父さんとの事も」
 薄暗い廊下でも、目の前の女の子の息を飲む気配くらい分かる。しばらく沈黙が続いた後、押し殺した嗚咽が聞こえた。
 「……し、知られたくなかったのに……だれにも…」
 泣かせてしまうだろうとは思っていたが、それでもマッシュの心はずきんと痛んだ。
 抱きしめようとして、慌てて手を引っ込めた。あの時は拒絶されて落ち込んだが、今ならその理由が分かる。
 恐ろしかった事、辛かった事を一瞬で思い出させてしまったのだ。同じことをしたら、こんなに怖がっているのにさらに怖がらせてしまうかもしれない。それだけは避けたかった。


 ただ見守っていたのが良かったのか。が、独り言のように話し始めた。
 「わたし、あの時、逃げ出したの。その時は驚いただけだったけど、後から何をされようとしたのか分かって、急に恐ろしくなった」
 「うん」
 何を、と聞かなくても分かる。
 「家には帰れないから、知り合いの家とか宿屋とかで寝泊まりしてた。父から逃げるには、他にどうすればいいか分からなくて」
 「そうだな…」
 町から出た事のない、余所に知り合いもいない女の子の頭に、旅に出るという発想は浮かびにくい。
 「そうしてるうちにいつの間にか、その事が町中の噂になってた。父の様子が普通じゃなかったから、皆分かったんだろうね」
 「、」
 無理に話さなくてもいいぞ。制止したが独白は終わらなかった。
 「でも、その頃から町の人が変わっていった。呼び止めてまでその時の事を聞こうとする人がいたり、……それに、変な目で見たり、しようとする人もいた」
 バーでの会話を思い出す。『襲われたのではと下衆の勘繰りをする奴ら』や、『一度襲われたら二度目も同じだからとちょっかいを掛ける奴』のことか。遠回しな言い方は、つまりは口にするのもおぞましい記憶なのだろう。
 「そういう人も追っ払い続けたんだけど、どこにいても何してても、何か言われてる気がして、町にいるのが怖くなった。それで、わたしの事を誰も知らない所に行こうと思って町を出ることにしたの」
 「あの砂浜で、町を出る準備をしたのか?」
 「うん…その頃には仕事も取られたから、お金は魔物を倒して手に入れるしか無かったし、砂浜までは強い魔物も出るから、町の人は追ってこれない。準備をするのに一番いい場所だった」
 の口調は、これまで自分の事を打ち明けたどの時よりも滑らかだった。ほっとした顔をしているようにも見えた。
いつも、自分の事を話す時は考えながら口を開き、話し終えた後は気まずそうな表情をしていたのだ。恐らくは話していい事といけない事を頭の中で分け、その度に罪悪感に陥っていたのだろう。
 もしかしたら黙っている事に耐えかねていたのではないか。何度も打ち明けようとして、その度に恐怖を思い出して、言葉を飲み込んで。
 その逡巡を思うとやりきれなかった。カイエンの言うとおり待てばよかった。そうすればこんな風に泣きながらではなく、もっと穏やかに打ち明けてくれたに違いないのに。
 自分を見守るマッシュの視線を「何故言ってくれなかったのか」と責めるように受け取ったのか、潤んだ瞳にまた涙が溜まっていく。
 「何度も、言おうとしたの。だけど、カイエンさんとか、ガウ君とか、マッシュに、変な目で見られたらって思うと怖くて…ごめんなさい。だまってて、ごめんなさい」
 何度も謝るのはどうしてだろう。この子は何も悪くないのに。
 「謝る事はないだろ、そもそも俺が勝手に町の人間に話を聞いたのが悪い。第一は最初から今まで何も悪い事なんかしていない。そんな目に遭ってたのなら、簡単に俺達を信用できなかったのも無理は無い。でもさ」
 の俯いた頭に、マッシュはそっと手を乗せた。
 「一緒に旅をしていて、今、は俺達の事、どう思っている?君のお父さんや、酷い目に合わせようとした町の奴らと、同じように見えるか?」
 顔を上げたの目が、マッシュを捉えた。
 「……ううん。皆…マッシュも、カイエンさんも、ガウ君も、シャドウさんも、そんな人じゃない」
 力強い返事が嬉しかった。不安を抱えていた彼女にとって、自分たちの存在が何かの支えになっている。それだけは確かな事に違いない。
 「だろ?だから、俺たちを信じろよ。仲間なんだから」
 は目を閉じて頷いて、その拍子にまた涙がこぼれた。
 初めて見た泣き顔は、それはそれで綺麗なのだけど、あまりに悲しそうでこっちまで悲しくなる。笑った顔はずっと見ていたって飽きないのに。
 ああ、俺はやっぱり、どうしようもなくこの子が好きだ。
 マッシュは再確認した。そして、決めた。
 「実は。俺も、今まで黙っていた事が二つばかりあるんだ」
 の頭を撫で、もう片方の手で頬の涙を拭ってあげながら話し始めると、はあやされた子どものように泣くのをやめて、目をぱちくりさせた。
 「まず一つ目。前にちらっと双子の兄貴がいるって話、したよな?」
 「うん…うやむやになっちゃったけど」
 「俺の双子の兄は、エドガーって言うんだ。エドガー・フィガロ。フィガロって、聞いたことあるか?」
 「フィガロ……フィガロって、あの砂漠の国?」
 「知ってるなら話は早い。兄は、そのフィガロ国王だ」
 「え?……ってことは、マッシュってもしかして、王様の弟ってこと?それって王子様ってこと?嘘でしょ?全然見えない。嘘だよね?」
 「ひでえな!嘘じゃねえよ!」
 目を丸くして全否定されて大笑いしそうになり、夜も遅い事を思い出して慌てて口を押さえ、人差し指を立てて「しー」と言った。はこくこくと頷いて同じように小声で「しー」と言う。驚きすぎて涙も止まったのか、もう泣いていない。まだ目は潤んでいたが、いつも見ているだ。
 「驚いただろ。でも嘘じゃないぞ。…で、二つ目の秘密」
 「うん」
 「俺の名前は…正式な名前は、マシアス。マシアス・レネ・フィガロ」
 「レネ?」
 「レネは俺のミドルネーム。カイエンとガウにもそのうち教えるつもりだけど、先に教えとくよ」
 「うん…」
 「レネは秘密の名前なんだ。フィガロの王族なら皆持っている」
 何に感心したのか、は何度も頷いている。
 「でも、そんな大事な事、教えて貰っていいの?」
 「の秘密を知ってしまったからお相子だ。だけど本当に誰にも言うなよ、レネってミドルネーム、これは今、兄貴と君しか知らねえんだから」
 「わかった、誰にも言わない」
 は力強く、真剣そのものの顔で、首を縦に振った。
 「よし、じゃあ寝るか!明日はいよいよナルシェだぞ。寝坊すんなよ!」
 「うん!じゃあね、おやすみ!」
 やっと笑顔が見えた。
 「やっぱり」
 「ん?」
 「やっぱりは、笑顔の方がずっと可愛い」
 まるで兄が言いそうな台詞を言ったのは、自分の言葉でどんな反応をするのか、見てみたかったからかもしれない。
 は目をぱっと見開いて、どうしたらいいか考えるように視線を下に泳がせた。しばらくそうした後、やがてマッシュを見上げて、照れたように「ありがと」と言って笑った。
 やっぱり、笑顔の方がずっと可愛い。
 さっきと同じ事を思いながら、隣の部屋に入っていくを見送って、マッシュは部屋に戻った。


 カイエンは穏やかな寝息を立てている。
 その横のベッドでガウが大の字で寝ている。
 ベッドから落ちている毛布をかけてあげると、むにゃむにゃ言った後、また静かに寝息を立て始めた。こいつも可愛いやつだな。少し笑った。
 一番奥の自分のベッドに横になって真っ暗な天井を見つめると、色々な事を次々に思い出す。
 兄との再会。共に戦う決意。ロック、ティナとの出会い。一瞬浮かんだ紫色のタコは記憶の奥底に沈めた。
 レオ将軍とケフカ、あまりにも対照的な帝国の人間ふたり。
 ケフカに滅ぼされたドマ王国、もう少しの所で救えなかった。全てを失ったカイエンの怒りと涙。
 ガウにシャドウ。かなり一般的ではない二人だが、シャドウは頼もしかった。ガウは面白い。何だかんだでいい奴らだ。
 それに、
 最初はただ心配で、次は彼女の事を知りたくなって、助けてあげたくなって。
 気付いたら、引き返せないくらい好きになっていた。自分でも意外だった。まさか、こんな風に恋に落ちるなんて。
 きっと川に流されたのは、運命だったのかもしれない。
 色々考え過ぎて眠れないだろうと思ったが、体は思った以上に疲れていたらしく、やがて瞼が重くなり、マッシュは深い眠りに落ちていった。


 「カイエンさん、具合はどう?きつかったらすぐに言ってね」
 「大丈夫でござるよ!心配掛けたでござる」
 一夜明けてカイエンは、すっかり、それも前以上に元気になった。
 食事も全て平らげ、街中では「なかなか大きな町でござるな」と辺りを見回し、ニケアに興味津々な様子だ。マッシュが通りすがりの船乗りに聞いたところ、定期船が出るにはまだ時間があるそうなので、近くの酒場兼食堂に行き、慌ただしく腹ごしらえを済ませた。
 港に着くとひときわ大きな船に目を奪われた。これがサウスフィガロへの定期便らしい。チケットを買い、早速乗り込んで甲板に立った。
 「後は出発するのを待つだけだ。レテ川に流されてから、長いようで短かい道のりだったな」
 マッシュがしみじみ呟くと、走りまわろうとするガウを押さえていたカイエンが頷く。
 「拙者の運命が大きく変わったひと月でござった」
 「わたしも、まさかリターナーに入るとは思わなかったよ…ところで今更なんだけど、ナルシェってどんなとこ?」
 「本当に今更だな!聞くの遅くないか?」
 フードをすっぽり被ったに聞かれ、マッシュは驚きながら、ナルシェを思い浮かべた。
 「ナルシェは炭坑都市とも呼ばれてるぞ。あと一年中雪が積もってるせいで、かなり寒いらしい」
 「雪!」
 声に重なるように汽笛が鳴って、船が少しずつ港を離れ始めた。小さくなっていく故郷をしばらく黙って見送っていたは、甲板に出ていた客たちがぞろぞろ船室に戻っていくのを確認して、フードを取った。
 「わたし、一度も見たことないんだよね雪って。クリスマスの絵本でしか見たことないの。マッシュは見た事ある?」
 「山で修行してた時に時々降ってたな。雪は白くて綺麗だぞ。冷たいけど」
 「へえ」
 「二人とも、拙者達は先に船室に戻るでござる」
 離れた所でカイエンが叫んでそそくさと船室に引っ込んだ。
 そんなに急いで戻らなくていいのにと周りを見回すと、客はすべて船室に戻っていて、甲板に出ているのはマッシュとの二人だけだ。どうやら彼なりに気を使ってくれたらしい。いつか美味い酒でも奢ろう。そんな事を思いながら、既に黒い点にしか見えない故郷を未だに眺めている、小さい後ろ姿に声をかけた。
 「あのさ」
 「ん?」
 風になびく髪を押さえながら、が振り向いた。
 「昨日の夜、バーで君の事を教えてくれた人たちから伝言を預かってきた。名前は知らないが」
 「わたしに?」
 「俺が旅の途中だってことを言ったら、もしどこかでと言う子に会えたなら伝えて欲しいと頼まれた」
 「……どんなこと?」
 「『守ってあげられなくてすまなかった』って。あと『どこにいてもいいから、元気でいてくれ』って。最初は誰も君の話をしなかった。言わずにいる事で、いい加減な噂や興味本位の旅人から、少しでも君を守ろうとしているように思えたよ」
 「……」
 「だから、つまりだな、」
 自分から話しかけたくせに、続ける言葉が見つからない。
 「ええとだな、あの町にも少ないけど君の味方はいたんだ。今だって君を守りたい奴は傍にいる。それも一人じゃなくて三人もだ。俺に、カイエンに、ガウ。それに多分、シャドウも守ってくれる。あいつはいい奴だから」
 「マッシュ……」
 「だから何かあったら頼ってくれ。どんなことでもいい、君の事を聞かせてくれよ。一人で抱え込んで、悲しい顔をするのは無しだぞ」
 の瞳が少しだけ潤んで、唇が動いた。
 声にならない声でありがとう、と言った後、マッシュの胸の中に飛び込んでくる。驚いて固まり、腕を伸ばしたり曲げたりしていたが、ようやく背中に手を回し、痛くないように気を付けながら、でも力いっぱい抱きしめた。
 いつの間にか、町は水平線のかなたに消えていた。


 抱きしめながら、マッシュは決意する。
 自分の心の中に彼女が住みついたように、彼女の心の中に、自分の存在を深く刻み込みたい。
 そうなるために、彼女の傍にいて、彼女を守り続けることにした。
 少しずつ強く美しく成長する彼女が、熱を帯びた瞳で自分を見つめるようになる日が来たら、打ち明けよう。


 それまでこの想いは、秘密のままでいい。


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