子どもの頃、身体が弱く、気も弱かった俺は、あちこちで失態を晒してきた。今でも忘れられないのは、親父の元に大事な客人が来た時のことだ。
ばあやに「あのお客様はこの国にとって大事な方なのだから、失礼のないようにしなさい」と言われ、俺はすっかり委縮してしまった。
親父に呼ばれ、俺達は客人の前に並んで立った。兄貴がはきはきと明るく挨拶した後、「マッシュ、お前も挨拶しなさい」と言われ、しぶしぶ兄貴の陰から出てきた。だが顔は赤くなるし言葉は上手く出てこないし、しかも緊張しすぎて一言も話せないままめまいを起こし倒れてしまった。
気がつくと兄貴とばあやが心配そうに覗き込んでいた。気を失ったのだと分かり、申し訳なく思った。だがもっといたたまれない気分になったのは、その客人が帝国からの使者だと聞いた時だ。いけすかない奴で、俺が倒れた後「ご子息は同盟に不満がおありなのでしょう」だの「あのような後継ぎがいてはフィガロ王も心配でしょう」だの、散々親父に嫌味を言ったそうなのだ。そして親父はその事を一言も俺に言わなかった。
こんなに自分をみじめに感じた事はない。勝手に緊張して自滅して倒れ、そのせいで周りの人間に心配をかけてしまい、さらには気を許せない相手に付け入る隙を与え、親父を窮地に立たせてしまった。散々だ。
正直思い出したくもない過去だが、それをこのタイミングで思い出したのは、今のこの状況が、その時と同じか、それを上回る程にいたたまれないからだ。
何しろ、自慰を見られたのだ。
「…………マッシュ」
しかも、一番見られたくないに。
「なに…してるの?」
問いかけてはいるが、きっと俺が何をしていたのか、知っている。震えた声と、決して俺の目を見ようとしないのだから、間違いない。
「これは…その…実は」
うまい言葉は浮ばなかったが、とにかく弁解しようとに一歩近づき、何でもないんだと言う風に手のひらをひらひらさせた。が、その手は汚れているし、しかもさっきのリボンが巻きついている。精液の生臭いにおいを振りまくだけに終わり、は一歩身を引き、困惑した顔で俯いた。あがいても無駄だったというか、あがいて余計に追い込まれた感じだ。弁解する気を失くし、かと言って開きなる事も出来ず、恥ずかしさと申し訳なさで、この場から消えてしまいたくなった。
「…あの、皆と集まるまで、時間があったから来たんだけど…何回かノックしたんだけど、声はするのに出てくれなくて…」
「うん………」
「……忙しそうだから帰ろうとしたんだけど、わたしの名前が聞こえたから、何だろうと思って……」
「うん………」
「か、勝手にドア開けちゃって、ごめんなさい…」
「うん………」
俯きながら話すので、の顔は見えない。だけど声は相変わらず震えているし、体をギュッと硬く縮めている。きっと怯えただろう。気まずさも感じているだろう。さっきキスした事も後悔しているかもしれない。
「あ、あの、マッシュ、怒ってる?」
「え?」
「だって、勝手に部屋のドア開けて、勝手に見ちゃって……」
俺に怒る資格なんかない。首を横に振ると、ようやく顔を上げたはほっと表情を緩めた。それを見て俺もほんの少しだけ、いたたまれなさから解放された気分になり、重い口を開く覚悟が出来た。
「……ごめんな」
が、真っ直ぐに俺を見ている。とてもその視線をまともに受けることなど出来ず、自分の足元を見ながら、言葉を続けた。
「こんな所…見せちまって。幻滅しただろ」
「そんなこと、」
「気ぃ使うなよ。モンク僧なのに、こんな、」
汚れた手を握り締める。乾いていない精液の生温かさと、ぬるぬるした感触が気持ち悪い。
「……気持ち悪いだろ、こんなことしてたなんてさ」
言っておきながら、胸の奥が痛んだ。
自分ですら自分の行為に気持ち悪さを覚えているのだから、当然だって同じ事を感じているに違いない。
気持ち悪いと思われた。軽蔑された。
きっと、嫌われた。
「ごめん、もう寝る」
「えっ、ちょっとマッシュ」
「…俺の顔、見るのも嫌だろ。口きくのも嫌だろ。だからさ、しばらく一人にしてくれないか」
自分が悪い癖に、のせいにしているかのような言い方だ。気付いていながら、それを取り繕おうとは思わなかった。何を言ってもこの現状が全てだ。突っ立っているを見ないようにしてドアを閉めようとした。普通のドアが、気のせいか俺達を永遠に阻む壁のように酷く重く感じる。
……いや、気のせいじゃなかった。
が向こう側から必死にドアノブを引っ張り、閉めさせまいとしている。驚いてドアノブを離してしまい、そのせいでバランスを崩したが反動で後ろにひっくり返った。助け起こそうとして、手がまだ汚れているのを思い出しどうすべきか迷っている間には立ち上がり、するりと部屋に入ってきた。
「?」
恐る恐る名前を呼ぶと、がまた、俺を真っ直ぐに見上げてきた。以外にもその顔に怒りは見られなかった。さっきまでの恐ろしいものを見たような強張りも無かった。静謐という言葉がぴったりの、静かな強さだけがあった。
「マッシュは、わたしの事を考えながら、さっきみたいな事をしてたの?」
問い詰められてもいないのに、嘘を吐くのを許さない黒の瞳。俺は無言で頷いた。
「わたしと、そういうこと、したいと思ってたの?」
ここまで来て今更嘘をついても意味はない。また頷く。
「それは汚いことだ、良くないことだ、気持ち悪いことだって思ったの?それじゃあさ、」
はすうっと息を吸い、そしてゆっくり吐いた。俺から離れない瞳は、さらに意思の力を増したように見えた。
「わたしがマッシュに抱かれたいと思ってここに来たことも、汚いことなの?」
今度は俺が戸惑う番だった。まるで子どものように真剣な瞳で、彼女は性への願望を露わにする。ひたむきに純粋に、抱かれたいと言っている。
「そりゃ、驚いたけど。気持ち悪いなんて思わないよ、幻滅もしてない」
手にひやりとしたものが触れた。俺の汚れた手を、が握っていた。慌てて引っ込めようとしたが、優しく握っている手を乱暴に振りほどくことなどできず、酷く気まずい思いをしながら、の手の冷たさを感じていた。
「マッシュ、誘ってよ」
「え」
「わたしのこと、誘ってよ。一緒に寝ようって」
握る手に力が籠る。真剣な瞳は凛とした強さが徐々に薄れ、不安そうに揺れている。これからどうするか、答えは一つしか出なかった。
手を離し、を横に抱きかかえた。は数回目をぱちぱちさせた後、自分がベッドに運ばれているのを見て全てを理解し、俺にしがみ付く。腕の中で縮こまりながら「抱っこされて運ばれるなんて、お姫様みたい」と小さく笑った。
ベッドの上にはから貰ったプレゼントがそのまま置いてある。その横にを下ろすと、早速それに目を止めて「気に入ってくれた?」と俺を見上げる。「おう」と肯定し、早速空色のピアスを付ける。自分では良く分からないが、じわじわと笑みを作るを見れば、なかなか似合っているのだろうと察する事が出来た。の頭にはさっきの髪飾りが揺れている。彼女が俺のものだという証のようで、楽しい。も今こんな気分なのだろうか。
「ね、マッシュ、さっきのあれ。一生大事にするって言ったこと」
「おう」
「あれ、わたしの事、って思っていいんだよね?」
「他に何があるんだよ」
「…そうだね」
が笑って俺に抱きついて来た。あんな所を見てしまったのに、俺を受け入れてくれた。俺がいいと示してくれた。許されたことで少し気が大きくなり、手を伸ばしたをひょいと抱え、太ももに乗せた。は満足そうだが、俺は脚に感じる適度な重みと近くなった顔に緊張してしまう。それを見透かしたかのか、さっきまで優しかったが、少し意地悪になった。
「もしかして緊張してる?」
「そりゃ、まあな」
「マッシュって時々可愛いよね。純情っていうか」
「んなことねえよ」
「あるよ!今も子どもみたいに緊張してるし」
春風に花弁が舞うように、薄紅の唇から次々に出てくる軽やかな挑発の言葉。胸の奥深くに、最後の最後まで芯のように残っていた緊張が解けていく。恐れを忘れた俺は、を後悔させたくなった。特に「子どもみたい」と言ったことを。
黙って部屋着の裾から手を入れ、適当に動かした。「きゃんっ!」と子犬のような声を上げ、の身体が跳ねる。俺の手が動くたびにいちいち体を震わせるのが面白くてもっとそうしていたいのだが、男の事情が早く先に進めと主張している。抱いたままベッドに倒し、の、服を着ていても色気を感じる肢体を見下ろした。パジャマのボタンを外そうとすると、が俺の手を制した。そのまま 自分でボタンを外し始める。
まるであの時の夢みたいだなと思っていると、ボタンを外し終えたが、ちらりと俺を見て、パジャマを脱いだ。
するりとパジャマが落ち、白い肌が露わになる。そして、
「どう…かな」
が纏っていたのは、真っ白な下着だった。
「黒じゃなくてごめんね。でも白も可愛いでしょ」
首を縦に振る。眩しいくらいに白い下着は、レースやフリルはやや控えめで、色と相まって清楚な雰囲気がある。夢とは違った結果だが、白の下着も可愛くて目の保養になるじゃないか。
鼻の下を伸ばしながらの下着を見ていて、気付いた。二つの膨らみを隠す三角の布と、女の子の部分を隠す布の真ん中に、切れ目が入っている。
なんだこりゃ。
何の気なしに胸の三角布の切れ目に触ると、布ではない別の感触があった。ふにふにと柔らかいそこをつついたとたん、が「ひゃっ」と仰け反った。体が動いた拍子に切れ目から赤い色が見えて、俺が触ったものの正体がわかった。
唾を飲み込み、さらに指を隙間に入れ、動かす。またが跳ねた。声を出すまいと頑張っているが、俺が指を動かすたびに、「んっ、うんっ」と声を上げているのだから、意味がない。
今度は下の切れ目に指を入れた。湿り気を帯びた小さな突起をなぞるように触ると、の身体はさらに跳ね、目を固く閉じて首を左右に振る。固く閉じるだけでは堪え切れまいと腕で押さえている口からは、くぐもった高い声が漏れていた。感じまくっているのは明らかで、それに気を良くして、指を滑らせた。そこからは熱い粘液がとろとろと溢れている。
「なんだこの下着…俺が想像してたのよりやらしい下着だな…」
びくんとの身体が跳ねた。顔を赤くして恥ずかしがっている。それなのにどろりと粘液が溢れてきた。
「え、、もしかして興奮したのか?」
「し、してないよ」
言葉とは裏腹に、そこは濡れ続けて入口はひくひくと痙攣している。
「嘘つけ、こんなに濡らしたくせに。俺も変態だけど、も変態だな」
「や…そんなこと…ない」
「こんな下着つけて、俺に犯されるの期待してたんだろ?」
「ちがうよ……」
「もしかして俺みたいに、一人でするために買ったのか?」
自分で言っておいて想像し、興奮した。すんなりした指を胸と股の隙間に入れて動かすの姿を想像し、下の方が元気になりすぎてはちきれそうだ。だが俺と対照的に、は本気で恥ずかしいのだろう、真っ赤な顔をくしゃりと歪め、手で隠してしまった。
やばい。これ以上すると泣く。本当はもっと苛めたいんだが。もっといやらしい言葉を投げつけて、嫌がる姿と興奮する姿を同時に見たいんだが。それはもう少し先に取っておこう。これからいくらでも、もっと分かりあえる時間はある。
それ以上攻めるのをやめ、指をつい、と動かした。紐がはらりと取れて、下着はただの布切れになる。びくりと体を震わせてが俺を見た。唇にそっとキスをしてもう苛める気がないことを教えてやると、おずおずと俺の首に腕を回し、受け入れる準備を始める。
幸せすぎてまた夢じゃなかろうかと不安になり、思い切り頬をつねった。幸いな事に、めちゃくちゃ痛い。
少し安心したところで体勢を変えた。俺が知っている数少ない性行為に関する知識に「初めては痛い」「よく濡れてないと痛い」というのがある。濡れているのはさっき確認したし、後は出来るだけ彼女が痛くないよう頑張るだけだ。どう頑張ったらいいのか見当もつかないが。
興奮と不安と使命感でごちゃごちゃになりながら、俺はその時を迎えた。
はっと気が付くと、ひどく乱れた格好でベッドの上にいた。ズボンは半端履きだし汗をかいたのか髪が顔にひっついている。寝起きで状況がつかめずぼんやりしているうちに、霧が晴れるようにさっきの事を思い出した。傍らにの姿は無い。だけでなく白の 下着も着ていたパジャマも無い。時計はとっくに0時を回っていた。
皆と新年を祝う時間だ。のそりと起きて服に着替え、皆が待っている談話室に向かう。ドアを開けるとどうやら俺が最後だったらしい。あちこちから新年を祝う言葉を掛けられ、それに応えながらを探した。
はティナと厨房にいた。ティナが皆に振舞うお菓子を皿に綺麗に並べ、は紅茶やコーヒーなど、皆の飲み物を淹れている。二人同時にこちらを見て、「あけましておめでとう!」と笑顔を向けた。
いつも通りに振舞うを見て最初に思ったのは「あれはまた夢だったのかもしれない」ということだった。前回もリアリティのある夢だったじゃないか。さっきのあれも夢を現実と錯覚しても、何も不思議はない。
「私、先にお菓子を持っていくわね」
ティナがに声をかけ、厨房を出ていく。は丁度紅茶を淹れ終わった所だ。運ぶのを手伝おうと一歩近づいた時、の耳が赤い事に気付いた。もしかして具合が悪いのかと覗き込むと、耳だけでなく顔も赤い。俺と目が合うと弾かれたように俯いた。
「…へへ、なんか恥ずかしいね」
「え」
「なんかさっきのこと思い出して、照れちゃう」
赤い顔のままくしゃりと笑顔になってもじもじしている。念のため頬を抓ってみた。力いっぱい抓ったため物凄く痛かったが、じんじんする頬が、これは現実だと俺を安心させた。
実感すると俺まで照れてきた。夢かもしれないと必死に言い聞かせ自衛してきた心がほぐれ、目尻がだらしなく下がった。口の端がふにゃりとあがる。きっとと同じように、くしゃりとした笑顔になっているのだろう。
「おう……」
胸一杯で言葉にならない。真っ赤になりながらお互いに見つめ合い、目を逸らしを何度か繰り返し、また見つめ合う。自然とお互いに手が伸びて、背中に手を回した。抱き合っているだけでは物足りなくなり、顔を近づけてキスをした。
「今年もよろしく、」
「今年もよろしく、マッシュ」
今年はいい一年になりそうだ。
腕の中のの温もりを感じながら、俺は、これから増える二人の時間を想像し、ますます腕に力を込めた。