俺は、に恋をしている。
 出会った瞬間「彼女が運命の人だ!」と確信したり、好きになるはっきりしたきっかけもなかった。この子が傍にいるのが心地いいなと思っているうちに、いつの間にか好きになっていた、そんな感じだ。
 最初は胸に広がる甘酸っぱい感情だけで満たされた。それだけでは物足りなくなると、もっと色んな話がしたくなった。それが当たり前になると、今度は二人きりの時間が欲しくなった。しばらくはそれでよかったのだが、二人きりの時に何気なく手が触れて、その瞬間にもっと触れたいという、強烈な欲求が生まれた。それが性欲に直結するのはあっという間で、必死で押さえて押さえて、何とか日々を過ごしてきた。
 そして一昨年の大晦日の夜、大掃除で疲れた俺は、少し早目に寝る事にした。
 普段の修行で培った禁欲生活は、残念ながら夢の中では何の効果もない。これまで何度も欲まみれの夢を見ていて、満たされると同時に罪悪感を感じていたのだが、この夜の夢は特別だった。白い肌の熱も甘い息づかいも、それに、の中の蕩けるような感触までもがはっきりと感じられた。夢を現実だと錯覚してしまうくらいに、はっきりと。
 そして目覚めた俺はそのままの勢いでを誘い、どうなったかというと…怒って口を聞いて貰えなくなった。
 俺を許す代わりには条件を突きつけた。『二度と自分を性的な目で見ない事』と。
 これは拷問だった。正直、今年はあの素晴らしい夢を正夢にしたいと強く願っていただけに、こんなに辛い事は無かった。一年間に手出しも出来なければ手出しする妄想も出来ないと言うことだ。が、に嫌われるのはそれ以上に辛い。これも修行だと頭を切り替え、煩悩を捨て去るべく一年間努力した。


 恋に堕ちたモンク僧


 時は流れ、去年の大晦日。俺は兄貴たちの酒の誘いを断り、自分の部屋で武器や防具の手入れをしていた。
 ブラックジャック号から放り出されて以来、崩壊した世界を一人で旅していた俺の助けになってくれた、大事な仲間と言ってもいい道具達。感謝しながら手を動かしていると、小さなノックの音が聞こえた。
 「どうぞ。開いてるぞ」
 「そう?じゃあ、おじゃまします」
 だった。頬っぺたがほんのり桃色に染まっている。全身からほわほわと湯気が出ているような温かい雰囲気がある。髪は生乾きの艶があって、すぐに風呂上りだと察する事が出来た。着ている淡いブルーのワンピースからは形のいい脚が伸びていて、可愛いやら色っぽいやらで落ち着かない気分になる。
 誤魔化すように「お、か。どうした?」と笑いかけると、「別にどうもしないんだけど、みんな好きなように過ごしてたから、マッシュはどうしてるかなと思って」と俺の隣に座った。花の蜜のような香りにの匂いが混じっている。それくらい密着している事実に、気付かれないよう静かに生唾を飲んだ。
 「見ての通り武器の手入れだよ。時間のある時くらい、念入りに手入れしてあげないとな」
 「ふうん」
 近付いて手元を覗き込んだの胸が、俺の腕に当たりそうになっている。「なかなか汚れが取れないな…」とさり気なさを装って立ちあがり、机の引き出しから研磨剤を取ると、から少し離れた所に座ってまた武器を磨き続けた。が、は何が珍しいのか、また近付いて俺の手元を見つめている。
 「汚れ、取れそう?」
 普通に問われるだけならどうという事もないはずだった。が、さらに身体を密着させ、耳元で囁くように問われたからたまらない。耳にかかる吐息に、少し掠れていつもより熱っぽく聞こえる声。岩のように固いはずだった禁欲の意志が、バターのように蕩けていく。本能が理性を上回る前に手を打つべく、腹に力を込めて、わざと大声で叫んだ。
 「ああ、何とか!大分綺麗になったぞ!」
 自然に見えるようにベッドから立ち上がり、机の上に磨きたての武器を置いて見せた。「ぴかぴかになっただろ」
 俺の顔と武器を交互に見比べ、は途方にくれたような顔をして俯いた。どうしたんだろうと見ていると、急に顔を上げて、改まったように「ねえ、今年の初めの事、覚えてる?」と尋ねてくる。
 目の前の女の子の行動は時々意味が分からない。可愛い格好をして、いつもと違う匂いをさせて、変な妄想をされて怒ったくせに、変な妄想しか浮かんでこないような態度をとる。今の質問だって意味不明だ。会話の流れのどこをどう汲みとれば、そんな質問が浮かんでくるんだろう。
 「なん…」
 なんでそんなこと聞くんだ。尋ねようとした俺の脳裏に、あの日の出来事が鮮やかに蘇った。


 に口を聞いて貰えなくなった俺は酷く落ち込んでいた。兄貴曰く、病的なほどの沈みようだったそうだ。
 俺の様子を見かねたのか、ある日に腕を引かれ、誰もいない飛空挺の甲板に連れだされた。何を言われるのかびくびくする俺に、は『反省してるみたいだし、今回は許してあげるよ』と、ぶっきらぼうに呟いた。
 『ただし!』
 は俺の目の前に、ずい、と人差し指を突きつけた。
 『条件があるの。わたし相手にそういう妄想をしないこと。夢でそういうのを見るのも駄目だから!』
 『え、それは…努力はするけど……夢の中まではなあ…夢なんて無意識で見るもんだしさ…』
 『そこを何とかして、見ないようにするの!どう!?出来る?出来ないと許さないからね!』
 『うーん……まあ、修行だと思って、努力してみるよ』


 「あー…あの時はほんと、ごめんな」
 俺は不快な思いをさせた事を改めて謝った。あの時の事は忘れていないし、嫌な思いをさせて申し訳ないと思った事も事実だ。
 は意外な事に首を横に振り、ずい、と顔を近づけてきた。ぷるぷるした唇が何か言いたげに半開きになっている。キスして欲しいみたいだなと思い、そう思った事に気付かれぬよう慌てて顔を離した。
 「、その、近い」
 「わたし、謝って欲しいんじゃないの」
 「え?じゃあ、何だ?」
 「当ててみて」
 少し考えただけで答えはすぐに見つかった。つまりあれだ。これは俺が一年間約束を守れていたか、試すためのテストなのだ。
 それなら全て合点がいく。脚を見せた服も、挑発的な態度も、甘い香りも、この表情も。ここで対応を誤ればあの時の二の舞だ。『マッシュ全然反省してない!』と怒られ、また口を聞いて貰えなくなってしまう。新年から落ち込む日々の始まりだ。
 だが言いかえれば、この試練さえ乗り越えれば未来は明るい。今年は大晦日を無事に乗り切り、と笑顔で新年を迎えるのだ。


 「大丈夫だ、
 「ん?」
 は急に眠くなったのか、いつのまにか半分閉じていた目を開けた。
 「言われた事、俺はちゃんと守ってるぞ」
 「え?え?」
 不思議な事に、は何を言われたのか分からないような顔をしている。眠くて何の話をしていたのか忘れちまったのかな。
 「今年初めのあれだろ?絶対に相手にそういう妄想を抱かないっていう約束。心配するな、ちゃんと守ってる。かなり大変だったけど、お陰でいい修行になったぞ!まあ元々禁欲生活は長かったしな!」
 は目を丸く見開いた。ついでに口までぽかんと大きく開けた。ようやく会話の内容を理解したのか、数秒の沈黙の後、恐る恐る、といった体で確認してくる。
 「本当に、一度も妄想してない?」
 「勿論だ」
 「妄想しそうになった事は?」
 「最初はあったが、今はねえなあ。ていうか世界が崩壊して色々忙しかったから、それどころじゃなかったってのもあるぞ!」」
 嘘ではない。最初こそあの夢を思い出すことはあったが、その度に甲板に駆け出してトレーニングに精を出し、欲求を発散させていた。やがてトレーニング中に必殺技を思いつくことが増え、最終的には甲板に走る目的は、新しい必殺技を編み出すためになっていた。
 だがそんな生活はすぐに終わる。世界崩壊後に俺を待ちうけていたのは、当てもなく流浪する日々だった。仲間の消息を耳にしながら誰とも会えずを繰り返した日々。セリスと再会するまで、何度心が折れそうになった事か。当然色恋にうつつを抜かす余裕もなく、そのことは俺の幸せのハードルをぐっと下げた。
 その結果どうなったか。こうやってと過ごしていても、彼女がいるというだけで満たされてしまうようになった。離れ離れになっている間もが無事に過ごせていたと聞けば猶更だ。それ以上を望むなど罰あたりな気がして、自然と敬虔な気持ちになり、性欲など起きなかった。今日珍しく動揺したのは、あまりにも久々にこういうシチュエーションになったからだろう。
 「俺、台所に行ってくる。何だか喉が乾いちまった。はどうする?」
 作業に没頭しすぎていて喉が渇いた。も風呂上りだし喉が渇いているかもしれないとベッドの上を見た瞬間、視界を大きな固まりに遮られた。
 「おっと!…何すんだよ!?」
 驚いて避けると、塊は壁にぶつかり、柔らかな音を立てて足元に転がった。塊の正体はさっきまでベッドにあった枕で、それがここに転がっていると言うことは、が投げたから、なのだろう。
 何が気に障ったのか知らないが、酷い事を言った覚えはない。流石に腹が立って声を荒げると、顔を赤くしたが俺を睨みつけていた。何故か涙目になっている。
 「マッシュ、わたしね」
 「うん?」
 「わたし今日、黒い下着付けてるの」
 「へえ…え!?」
 思わず声が裏返った。ここでいきなり下着の話になるとは思わなかった。しかも黒だと!?瞬時に俺の脳裏に浮かんだのは、あの夜夢で見た、しどけないの姿だった。
 「去年マッシュが黒の下着がどうこうって言ってたから、見たいのかなと思って。こんな大人な感じの下着付けたこと無いし、恥ずかしかったんだけど」
 好きな子にこんな挑発と羞恥の混じったような事を言われれば、視線は当然のようにその体を舐めまわすように見てしまう。
 可愛らしいワンピースの下にある身体のラインを思い描き、胸に下半身にと、この子の大事な所に付けられた「大人な感じの」下着を想像する。俺が下着を見たら、そして外したらどんな反応をするのだろう。恥ずかしがるのだろうか、大胆に迫って来るのだろうか。
 ふ、と視線がワンピースの裾で止まった。手を伸ばしてワンピースを――あの隠れている部分を見れば、俺が抱いている妄想の答えを知る事ができるのだろうか。
 もしそうならば知りたい。が恥じらいながら付けている黒い下着の大胆さも、ワンピースに隠れている白い肌の輝きも、その後のの反応も、俺達がその後どうなるのかも。
 真っ直ぐにワンピースに伸ばした手は、だがその直後、きつい言葉に叩き落とされた。
 「でもマッシュそんなの興味ないでしょ。台所に行くんだもんね!行ってらっしゃい!」
 「いや、興味ない訳じゃ…むしろ興味しか…」
 が嫌がるのなら妄想すらしないが、が望むのならもっと深い仲になりたい。だがそれをどう言ったものか分からず口をもごもごさせている間に、は「わたし甲板に行ってくる!じゃあね!」と怒鳴り、俺の横を勢いよくすり抜けて部屋を出て行った。
 止める間もなかった。





 そして今年の大みそかの夜。
 他の仲間達が思い思いに過ごす中、俺は去年と同じように、部屋に一人きりで過ごしていた。
 武器も防具も磨き終わった。部屋の掃除も済んだ。風呂もさっさと入ってしまった。やるべき事を終え、何となく暇を持て余していた俺は、机の上に置いていた箱の中身を取り出した。
 空色の小さな石がついたピアスと、美味しそうなカップケーキが入った袋。どちらもから貰ったクリスマスプレゼントだ。二人きりになった時にそっと渡され、部屋に帰るまで待てずその場で箱を開け歓声を上げた俺に、『カップケーキ、他のみんなには二つずつ配ったんだけど、マッシュだけ三つ入れてるの。こっちは、マッシュの瞳の色に似てるなーと思ったら目が離せなくなって…』と照れながら笑ったは、今思い出しても可愛かった。
 そんな彼女の髪には、俺がプレゼントした髪飾りが光っていた。大小の真っ白な真珠や薄紅色の珊瑚を花の形に組み合わせたものだ。見た瞬間、港町に生まれて育ち、綺麗な黒い髪をしたに間違いなく似合うと確信し、そのままの勢いで買った。やや高価だったが、の嬉しそうな顔と、髪に付けた時にやはり良く似合っていたのを見て、胸の奥がほわほわと温かくなったのだから文句は無い。
 『ありがとう、マッシュ。大事にするね』
 『…おう』
 が潤んだ瞳で俺を見る。その瞬間強い感情が押し寄せてきた。この子への強い想いだけで胸が一杯になって、どうしてもそれを伝えたくなった。『…おう』なんて短い言葉では、とても足りない。
 『…俺も、大事にする』
 『うん』
 『一生、大事にするよ』
 『え?』
 きょとんとした顔のは慌てて『確かに少し高いピアスだったけど、そこまで高価じゃ…』と言いかけたが、俺がピアスの事を言っているのではないとすぐに気付き、黙った。
 数秒の沈黙の後、きつく結んだ口元を緩め、『ありがとう。嬉しい』とは泣き笑いした。
 そう言えば、俺がの過去を知って、改めてこの子を大事だと感じた時も、こんな風に廊下で二人きりだったな。あの時は俺のせいで辛い涙を流していたが、今は嬉しくて泣いているのが、俺も嬉しかった。
 涙を手で拭ってやると、は意を決したように瞳を閉じたので、緊張しながら顔を近づけた。
 初めて、彼女の唇の柔らかさを知った。


 プレゼントを手にして、さっきの出来事を思い出してにやけていた俺は、ふと違和感に気付いた。
 下腹にむず痒い感覚が走っている。
 おっ、と思っている間に、むず痒さは物足りなさに変わった。やがてそれは足りない物を求めて熱くなり、固くなることで存在を主張しはじめる。
 ベッドに腰をおろしてそれを取り出しゆるく握った。瞬間ぞくりとした感覚が身体を走り抜け、思わず漏れそうになったうめき声をこらえた。目を閉じてため息をつき、再び目を開けると、プレゼントを包んでいたピンクのリボンが目に入った。
 がラッピングするために、綺麗に結んだリボン。
 何の抵抗も無くそれを取って、木の根のように固くなっている部分に擦りつけた。去年の大晦日の挑発事件(と俺は呼んでいる)以来、の気持ちを知った俺は、最早彼女への性欲を押さえる事はなくなっていた。最初に彼女を思いながら自慰に耽った時は腹の中に黒い物が溜まるような罪悪感はあったが、同時に頭が真っ白になる程の開放感があった。それ以来、そういう妄想が浮かぶたびに一人トイレやら風呂やら、時には自分の部屋で自慰に耽るようになった。そもそも俺だって27のいい歳した男だ。好きな子の痴態を想像して何が悪い。
 手を上下に動かすたびにリボンはぐしゃぐしゃに捻じれ、ただの紐のようになる。が触っていたものというだけで、リボンが擦れるたびに、の中に入って気持ち良くなっている錯覚に陥る。
 上品な光沢のある、柔らかなピンクのリボンだ。可愛くてお行儀のいいあの子を象徴しているような。それなのに、俺の自慰に利用され、こんな部分に擦りつけられて、見る見るうちに汚れていく。
 はまさか、俺が一人でこんな事をしているなんて想像もしていないのだろう。思い出したさっきのキスは、さらなる性欲を刺激した。あの柔らかな唇で、熱を増すここに触れてもらったらどんなに気持ちがいいだろう。戸惑って怖がって嫌がって泣いて、それでも最後はこれを咥えて舌を動かしてくれたら最高だ。その後飛び出た精液を飲みほしてくれたら――あの可愛い顔を白く汚してくれてもいいが――俺は下卑た喜びに支配されるのだろう。
 「くっ…ううっ」
 想像は加速し、それとともに抑制力は失われる。息を荒くすることすら我慢していたのに、閉じた口からうめき声が漏れ出した。手の動きが早くなるとさらに我慢できなくなり、とうとう、彼女の名を呼んだ。
 「っはあ………すげえ気持ちいい…もっと奥まで咥えろよ…」
 一度呼んでしまうと、もう我慢できなくなった。何度も名前を呼び、声にならない声を上げ、妄想に浸る。想像の中の彼女が絶頂に近付くと同時に俺の限界も近付いていた。先走って出た汁が手とリボンを濡らして潤滑油のようになり、自慰をさらに気持ち良くした。
 「…好きだっ…っ!」



 自慰が終わった後、汚れたリボンと手のひらを見て、いつも以上に強い罪悪感に苛まれた。
 好きな子が俺を好きになってくれた、ずっと一緒にいたいと思ってくれた直後なのに、こんな妄想をしてしまうなんて。
 その子が一生懸命選んでくれたプレゼントのリボンにまで興奮して、こんな風に汚してしまうなんて。
 しかも普通の行為でさえまだなのに、口でして貰うのを想像するなんて、変態だ。
 しばらく身動き一つ出来なかった俺は、ようやく後始末をすることにした。さっきまでの元気はどこに行ったのか、すっかりだらしなくなったそれを服の中にしまいこみ、立ち上がる。とりあえず手とリボンを洗おうと、ドアに向かって歩こうとした。



 「……………マッシュ」




 半開きのドアの向こうに、人がいた。
 「なに…してるの?」
 目を見開いたが、俺の汚れた手とリボンを呆然と見ながら、立っていた。