今年が終わるのも、そして新しい年が始まるのも、あと数時間になっていた。
新年になったら談話室に集まってお祝いする事になっている。それまでの時間を、みんな自由に過ごしていた。部屋でお喋りしながら過ごす人達とか、ラウンジでお菓子を食べて過ごす人達とか。本を読んだり、人気のない甲板で静かに過ごす人もいた。
ふわふわ浮き立つような空気が嬉しくなっていると、濡れたままの髪から水滴が落ちて肩を濡らし、冷たさに驚いて首に巻いたタオルで髪を拭いた。みんなが思い思いに過ごしている間、わたしは少し高い入浴剤を入れて、念入りに身体を洗って、いつも以上に時間を掛けて入ってゆっくりとお風呂に入っていた。
その後パジャマではなく普通の部屋着に着替えたわたしは(まあ部屋着と言っても可愛いデザインのものを選んだのだけど)いい匂いのするクリームを塗った後、廊下に出て、色んな部屋を開けては中を覗き、また閉めてを繰り返していた。
マッシュを探しているのだ。
今年したかった事をやりに行く
今年の始まりは決していいとは言えなかった。その原因もまた、マッシュにある。
詳しくなんてとても聞けなかったけど、彼は変にいやらしい笑顔を浮かべながらわたしに近付いて、いやらしい事を話しかけた。黒の下着がどうとか、わたしがとても大胆だったとか、…それに、ベッドの中で一緒に楽しんだだろ、とか。
勿論わたしには覚えのない事ばかりだった。だってずっと談話室でみんなとお喋りしてたんだから。腹が立つやら意味が分からないやらでマッシュを起こしに行ったセッツァーに話を聞くと、あいつは寝ていたから夢と現実がごっちゃになったんだ、みたいなことを言っていて、ようやく意味が分かった。マッシュはわたしとえっちなことをする夢を見ていたのだ。
最初の数日間、わたしはマッシュと口を利くのも嫌だった。なのでずっと無視していると、マッシュが段々元気をなくしていって、見ていて可哀相になったので、仕方が無いから許す事にした。わたし相手にそういう妄想をしない事と、二度とそういう夢を見ない事を約束させて。
マッシュは「これも修行だと思って頑張ってみる」みたいな事を言って、その言葉に安堵して、またいつも通りに話すようになったのだけど。
あの日、あの出来事が起きた。
その日は思ったより強い魔物たちとの戦いに手こずって、飛空挺に引き返すのがいつもより遅れた。
今から帰れば夜になる。夜に森を歩き回るのは迷う可能性もあって危険だ。かと言って手強い魔物達がいつ襲ってくるともしれない森の中で野宿するのも危険だ。どうしたらいいか考えていると、ロックがいい案を出してくれた。旅慣れた彼は一度この近くに来た事があるらしく、まっすぐ進めば森を抜ける事が出来る、と断言した。森を抜けて少し歩けばそこそこ大きな町があるので、今夜はその町の宿屋に泊まろうとも言った。
わたしは真っ先にロックの案を指示した。エドガーも賛成し、マッシュも賛成した。全員一致で町の宿屋に泊まる事になり、最後の力を振り絞るように戦い抜いてようやく町の宿屋についた。
ご飯を食べた後は男性陣とわたしで別の部屋に分かれた。ソファーに座って一人、だらだらと荷物の整理をしていると、袋からぽとりと髪留めが床に落ちた。
「あ。見つかった」
実は今日の戦いの最中に魔物の攻撃をかわし損ねて、いつも使っている髪留めを壊されてしまったのだ。そのままでは髪が邪魔だから、戦いの後予備の髪留めを探したのだけど見つからない。するとマッシュが自分のポケットをまさぐり「これで良かったら使うか?」と、自分の髪を結ぶ用の紐を貸してくれたのだ。
髪紐を今返そうか明日返そうか一瞬迷い、今返しに行く事にした。借りた物を返すのは早い方がいい。
のろのろと立ちあがって部屋を出て、隣のドアをノックして呼びかけた。「マッシュいる?だけど」
「おう、今開ける」
中でマッシュの声がする。本人が出るなんてタイミングがいい。そう思っているとドアが開いて、少し濃い肌色が目に飛び込んできた。
「どうした?何かあったか?」
「……」
「顔赤いぞ。…もしかして具合が悪くなったのか?」
「……」
何度話しかけられても、全然反応できなかった。というのも、ドアが開いたとたん目にしたのは、マッシュの上半身裸の姿だったのだ。
胸の筋肉が逞しくて腹筋は綺麗に割れていて、修行で付いたのか戦いで付いたのか、古い傷跡が幾つもある、わたしの身体とは全然違う、男の人の裸。驚いて目を逸らすことも瞬きすることも出来ずに見ていると、わたしの様子に只ならぬものを感じたマッシュが、屈んで顔を近づけてきた。
「?」
近付かれたと同時にマッシュの匂いがして、今度は唾を飲み込んだ。
普段飛空挺にいる時にマッシュに近付くと、日に干した洗濯物みたいな安心する匂いがする。だけど今はまだお風呂に入っていないのか、凄く汗臭かった。汗と言うよりも男くさい、と言っても良かったかもしれない。とにかくそのにおいは彼が男だと言う事を強烈に印象付けて、頭がくらくらするほどの興奮を覚えた。
それに、だ。
この人は元々の髪質がサラサラして綺麗なせいだろうか、髪を結んでいるとどう見てもモンク僧なのに、髪を下ろすと急に王子様みたいに格好良く見えて、見る度にどきどきしてしまう。そして今この瞬間マッシュは髪を下ろしていたので、わたしは顔が赤くなるのと鼓動が速くなるのを押さえられなかった。
「、おい、本当にどうしたんだ?」
「はっ!!あの、…髪留め、見つかって。荷物整理してて出てきて、んで、返しに…紐をね…ありがと、これ」
おずおずと紐を差し出すと、何も知らないマッシュは「お、見つかったのか。良かったな」と言って紐を受け取る。お互いの手が少し触れて、それだけで身体の中心がきゅうんと切なくなった。
逃げるように部屋に帰ると、マッシュの事をどうこう言えないくらい自分も汗をかいている事に気付いて、興奮を振り切るように脱衣所に駆け込んだ。シャワーを浴びているうちに段々落ち着いてきて、さっぱりした気分で身体を拭いていると、脱衣所の姿見に自分の身体が映っているのが目に入った。いつもは照れ臭くてあまり見ないのだけど、やはり普通ではない気分だったのだろう、初めて自分の裸を真正面から眺めた。
胸は申し訳程度の大きさだし、腰のくびれもあまりない。腕や脛は戦いで付いた傷がまだ残っている。一方お尻は小さくて、普段戦ったり歩いたりするせいか引き締まっていた。足の形も太すぎず細すぎず、まあ悪くない。だけど全体的にみると、決して女らしいとはいえない体型。マッシュの身体はとても男らしいものだったのに。
その時急に新年の出来事を思い出した。マッシュはわたしとのえっちな夢を見ていたのだっけ。それを現実だと信じていた様子はとても嬉しそうだった。いやらしい視線はあの時は気持ち悪かったけど、今はむしろそういう目で見られたいと思った。わたしがマッシュを見て興奮したように、マッシュもわたしを見て興奮して欲しかった。あの腕はどれだけ力強くわたしを抱きしめるのだろう、あの広い胸に頬を寄せたらどれだけ満たされるのだろう。想像が妄想に変わり、やがて欲望に変わるまでに長い時間はかからず、何カ月も悶々としているうちに、とうとう年末を迎えてしまった。
前置きが長くなったけれど、つまりわたしはマッシュに抱かれるために、彼を探していた。
可能性のありそうな所はどこを探してもいなかったので、最後に彼の部屋に向かってノックした。すぐに「どうぞ。開いてるぞ」と声がする。他の仲間が全員どこにいるか見てきたから、この中に彼しかいないのは分かっている。だから自分史上最高に甘い笑顔(実際どうだかわからないけど)を作って中に入った。ベッドに座っていたマッシュはわたしを見て「お、か。どうした?」と同じように笑顔を浮かべる。武器の手入れをしている最中のようだ。何も言わずにわたしも隣に座った。
「別にどうもしないんだけど、みんな好きなように過ごしてたから、マッシュはどうしてるかなと思って」
「見ての通り武器の手入れだよ。時間のある時くらい、念入りに手入れしてあげないとな」
「ふうん」
納得した顔を浮かべながら武器を磨く右腕に自分の身体を擦り寄せた。胸が当たっているのに気付いているのかいないのか「なかなか汚れが取れないな…」と呟いている。と思ったら立ち上がって道具箱から研磨剤のような粉を取り出し、それを付けて磨き始めた。
『胸には無反応…』
きっとわたしの胸が小さいからだ。
そう言い聞かせてまた近づいた。今度はマッシュの太ももに、自分の太ももをくっつけてみた。着ている部屋着は短いスカートのようになっているから足がむき出しで、下を見て武器を磨いているのなら嫌でも入る筈だ。さらに顔を近づけて、耳元で「汚れ、取れそう?」と囁いてみた。
「ああ、なんとか。大分綺麗になったぞ」
マッシュが満足そうに言って立ちあがる。武器を机の上に置いてわたしを振り返り「ピカピカになっただろ」と笑った。
『太もも丸見えなのに…むき出しなのに…』
生足も効果なし。
心が折れそうになったけど、既に何カ月も我慢していたのだから、これ以上我慢したくなかった。彼が夢に出てきたわたしとしていた事を、現実のわたしに教えて欲しかった。諦めたくなくて、ついに最後の手段に出た。
「ねえ、今年の初めの事、覚えてる?」
「ん?」
立ちあがったままのマッシュの手を引いてベッドに座らせた。意味ありげに見つめると、マッシュは照れ臭そうに「あー…あの時はほんと、ごめんな」と謝ってくる。わたしは首を横に振って身を乗り出した。マッシュは驚いて身を引いたけど、それでもわたし達の顔の距離は数センチにまで近づいていた。だからマッシュの喉仏がごくりと動くのまで良く見えた。
「、その、近い」
「わたし、謝って欲しいんじゃないの」
「え?じゃあ、何だ?」
「当ててみて」
動揺した顔が思案顔に変わり、やがてそれがきりりと引き締まった顔に変わった。大きな手がわたしの両肩を掴んで、真剣な青い瞳がわたしを真っ直ぐ見つめている。何かを決意した、その力強い瞳にまた胸が高鳴った。
分かってくれたんだ、わたしがマッシュを欲しいと思っていること。
嬉しくなって、マッシュの顔が近づいてくるのを感じながら目を閉じかけた。
「大丈夫だ、」
「ん?」
何が大丈夫なのか分からなくて、閉じかけた目を開ける。そこにいたのは爽やか過ぎる笑顔で「言われた事、俺はちゃんと守ってるぞ」と胸を張るマッシュの姿だった。
「え?え?」
「今年初めのあれだろ?絶対に相手にそういう妄想を抱かないっていう約束。心配するな、ちゃんと守ってる」
あ、そう言えば。
そんなこと、約束させた気がする。
「かなり大変だったけど、お陰でいい修行になったぞ!まあ元々禁欲生活は長かったしな!」
わたしはずっとマッシュ相手に妄想していたのに(わたしが約束させたとはいえ)その間マッシュは一度も、わたし相手に妄想なんてしなかったのだ。するなと言われても妄想してしまうのが普通の男の人じゃないの?どうなのよ。念のために確認してみた。
「本当に、一度も妄想してない?」
「勿論だ」
「妄想しそうになった事は?」
「最初はあったが、今はねえなあ。ていうか世界が崩壊して色々忙しかったから、それどころじゃなかったってのもあるぞ!」」
マッシュはベッドから立ち上がった。
「俺、台所に行ってくる。何だか喉が乾いちまった。はどうする?」
台所だって。わたしが全身全霊で誘っているのに。『色々忙しかったからそれどころじゃなかった』んだって。
急に目の前の景色がぼやけてきた。怒りのあまり、泣けてきたのだ。考えるよりも身体が先に動き、わたしは近くにあった枕を爽やかな笑顔めがけて投げつけた。当然と言うか何というか、枕は難なくかわされた。
「おっと!…何すんだよ!?」
「マッシュ、わたしね」
「うん?」
「わたし今日、黒い下着付けてるの」
「へえ…え!?」
声が裏返った。
「去年マッシュが黒の下着がどうこうって言ってたから、見たいのかなと思って。こんな大人な感じの下着付けたこと無いし、恥ずかしかったんだけど」
「お、おう……」
急に目が潤んで、顔が赤くなった。唾を飲み込んだ音がした。わたしの身体を舐めるように視線が動いた。鼻息まで荒くなったように感じた。
ようやくマッシュは、わたしに性的なものを感じ始めたのだろう。でも、もう遅いんだから。
「でもマッシュそんなの興味ないでしょ。台所に行くんだもんね!行ってらっしゃい!」
「いや、興味ない訳じゃ…むしろ興味しか…」
「わたし甲板に行ってくる!じゃあね!」
マッシュが後ろでごにょごにょ言ってたのを無視して、乱暴にドアを開けて甲板まで駆け出した。
甲板に出ると、月も星もない世界が空が広がっていた。おまけに風は冷たい。お風呂上がりだから余計に冷たい。
だけどそんなことお構いなしに、甲板の端まで駆け出し、赤黒い空に向かって大声で叫んだ。
「マッシュの馬鹿ー!」
叫びすぎて声が裏返り、何度か咳をして、また叫ぶ。
「10800ギルもしたのにー!絶対見て欲しかったのに!」
やり場のない怒りはまだおさまらず、しばらく空を見つめた後、わたしはまた叫んだ。
「せっかくのセクシー下着だったのに!!マッシュなんてもう一生、禁欲生活続ければいいよ!」
甲板でインターセプターと過ごしていたシャドウは、風に当たりたくて甲板に出てきたティナと並んで、赤黒い空を眺めていた。
ティナは相手と無言のまま過ごすのを気まずいとは思わない性質で、同じ空間にいて苦痛でない相手だとシャドウは思っている。だからお互い無言のまま空を眺めて物思いにふけっていた。
だが二人で過ごす一人の時間は、荒々しい足音で終わりを告げる。足音の主は騒々しく甲板に向かってきて、荒々しくドアを開けた。猛スピードで甲板の端まで向かうその女――の目には、静かに過ごしていた二人の姿など見えてはいないようだった。
「…」
「マッシュの馬鹿ー!」
呼びかけようとしたティナの声は、叫び声で掻き消された。
「グルルル…」
「10800ギルもしたのにー!絶対見て欲しかったのに!」
大声に反応したインターセプターの唸り声もまた、叫び声で掻き消された。
あいつは一体何を叫んでいるんだ、特に興味はないが。そう思ったシャドウだが、その直後に何があったのか悟る羽目になる。
「せっかくのセクシー下着だったのに!!マッシュなんてもう一生、禁欲生活続ければいいよ!」
叫ぶだけ叫んで、はまた激しい音を立てながら室内に戻って行く。
その後ろ姿を見送っていたティナが、ふ、とシャドウに顔を向けて尋ねてきた。
「あれは…何?愛…と呼んでいいのかしら」
そうだこの少女は記憶を封じられ、感情――特に愛という感情に馴染みがないのだった、とシャドウは思い当たり、どう答えたものか思案し、重い口を開いた。
「まあ、一つの愛の形、とも言えるだろうな」
「そうなのね…」
「だが決してお前は真似をするな。あれは真似をしてはいけない愛の形だ」
「?…ええ、分かったわ」
シャドウはひとまず胸を撫でおろし、特に知りたくもなかった彼女の下着情報を知ってしまった事に、妙な罪悪感を覚えていた。
ティナはティナで、愛って難しいものなのね、と、複雑な思いをかみしめていた。
マッシュと、。
二人の清らかで、何も進展しない関係は、まだまだ続きそうだ。
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