それが起こった瞬間、わたし達は他の仲間と談笑中だった。
目の前で笑っていたその人の体が、いきなり仄かな光を放ち始めた。いきなりすぎて笑顔のまま戸惑っていたのだろう、「えっ」と小さく呟いた声がやけに印象的だった。どうしたのと呼びかける間もなく、光は徐々に輝きを増し、ついには眩しすぎてその姿が見えなくなってしまった。
「何だ!?」とか「どうしたんだ!?」とか騒ぐ仲間の声を聞きながら、光の中にいる筈の仲間に触れようと手を伸ばした。そうして「どうしたの、なんで急に光ってるの」とからかうつもりだったのだ。いや、ほんの少しだけ「まさかそのまま消えちゃったりしないよね」と心配していた覚えがある。さっきの呟きといいわたしの心情といい、どうでもいいことほど鮮明に覚えているものだ。
伸ばした手は、こちらが驚くくらい強い力で掴み返された。光の中から、助けて、体が、と震える声が聞こえる。反射的にもう片方の腕を伸ばし、両腕で相手を引っ張り出そうとしていると、やがて光の中から怯え切った仲間の姿が見えた。何だか分からないけど助けることができた。そう思ったのはほんの一瞬だった。
目も眩むような白い輝きが、急に強くなったのだ。仲間たちの姿も、さっきまで当たっていた焚火も、使い古したテントも、腰を下ろしていた地面さえも見えない。見えるのは目の前の仲間と、目くらましのような輝きだけだ。
助けるつもりがわたしまで飲み込まれてしまった。そう気づくのにさほど時間はかからず、大声で仲間たちに助けを求めた。きっと大騒ぎになっているはずなのに、彼らの騒ぐ声は何故か、だんだん遠くなっている。
一体何が起きたの。これからどうなってしまうの。
周りの景色もみんなの声も飲み込んだ輝きは、ついには混乱するわたしの意識まで飲み込んで――。
ガッ、ともゴッ、ともつかない音と強烈な痛みで目が覚めた時には、何故か崖の上に寝ていた。
慌てて起き上がろうとして頭を押さえた。きっと地面に思い切り頭をぶつけたのだろう、酷く痛かった。振動を与えないようにゆっくり起き上がると、おでこにかすり傷と鈍い痛みはあるけれど、動けないことはなかった。
それよりも、どうしてわたしはこんな所に寝ていたんだろう。どう見てもさっきいた森の中ではない。木の一本どころか草も生き物の姿もない。ここがどこかは分からないけれど、取り合えず人のいそうな場所に行かなければ。と言っても、一体どこにどうやって行けばいいんだろう。
考え込んでいると、冷たい風に乗って、かすかに話し声らしいものが聞こえた。目を凝らすと、声のする方は薄ら明るくなっている。ここからそう遠くない場所で誰か話しているようだ。焦る気持ちを抑えながら足音を立てないようゆっくりと近づき、岩陰に隠れつつから様子を伺うと、やっぱり、人がいた。
けれどいたのは、背の高い男の人らしい影が一人だけだった。話し声がしたから二人以上かと思ったのに、まさか壁と話をしていたんだろうか。だとしたら結構危ない人だ。声をかけようかどうしようかまごついていると、その人は変わった形の剣を担いで歩き出した。やばい、この人がどんな人だとしても、この人とはぐれたらもう二度と人と会えないかもしれない!
「あのーっ!」
勢いよく振り向いたその人は、予想した通り男の人だった。整った顔立ちをしてはいるけどやたら取っつきにくそうだ。眉間の皺が、それはもう深く刻まれていたのだから。一瞬、声をかけたことを後悔した。
「すみません、お聞きしたいことがあるんですけどー!」
男の人は喋らない。わたしはこれ以上大声を出すとまた頭が痛くなる。なので警戒しつつ、あまり大声を出さずに済む距離まで近づいた。
「ここは、どこですか」
男の人はわたしをまじまじと見ている。嫌らしさを感じる視線ではなく、驚きと警戒の混じった視線だ。怪しんでいるのがひしひしと伝わってきて、わたしは慌てて捲し立てた。「実は気づいたらここに倒れていて、これからどうしたらいいのか分からなくて。どこか人や町のある所があったら教えて欲しいんですけど」
「……」
どうしよう、めちゃくちゃ警戒されている。途方に暮れた時、低い声が聞こえた。
「この世界には町なんか無い」
男の人が初めて喋った。わたしと同い年くらいに見えるのに、声には見た目以上の落ち着きがある。
「へ?」
「ここはカオスとコスモスが戦う世界。お前のいた世界とは別物だ」
「は? カオス? コスモス?」
「コスモスは調和の女神。カオスは混沌の男神。この世界には、コスモスの戦士とカオスの戦士しかいない」
「えっ。でもこの世界、こんなに広そうなのに……。ちなみに戦士の人って、全部で何人くらいいるんですか」
「コスモス陣に10人カオス陣に10人、合計20人」
「ええー……」
合計20人しかいない、神同士が争う世界。わたしの世界とは別の世界。普通なら到底受け入れられない話だ。けれどいつの間にか見知らぬ場所に倒れていたこと、そこが人も建物もない異様な世界であったこと、初めて会った人が首にふさふさをつけた見慣れない服装をしていたこと、同じく変わった剣を持っていたこと、は、その話が現実なのだと嫌でも思い知らせてくれた。
「俺は違う世界から召喚されたコスモスの戦士だ。この世界を救うには、クリスタルとやらを見つけないといけない。お前は……カオス側ではなさそうだな。クリスタルは見つかったのか?」
「クリスタル?」
質問に質問で返してしまったわたしの言葉に、男の人は目を丸くした。知らないのか、とでも言いたげな顔をしていた。
呆然としていた男の人が気を取り直して教えてくれたことによると、コスモスの戦士は皆、カオスを倒すために必要な「クリスタル」を探して旅をしているそうだ。カオスの戦士と戦い、仲間や敵の姿を模した「イミテーション」と戦い、そうしてクリスタルを手に入れたら秩序の聖域に向かうことになっているらしい。それらの情報は、最初にこの世界に呼ばれたときにコスモスが教えてくれたのだという。勿論わたしはそんな話は知らない。
わざわざ神様が呼ぶということは、きっと強い人たちばかりなのに、どうしてわたしがここにいるんだろう。わたしはただ、仲間を助けようとして――。
「あれ?」
こんなことになってまで助けようとした仲間の名前が出てこない。特徴や思い出を思い出そうとしても、何一つ出て来ず、ただどんなに必死で相手を助けようとしたのか、その時の気持ちが蘇ってくるだけだった。
「わたし、誰かを助けようとしてたの。けど、誰を助けたかったのか、思い出せない」
「……」
「どこかからここに来た時、頭を打った。そのせいかもしれないけど、その人の顔も名前も出てこない」
「……本当か」
低い声が少し震えている。この世界の仕組みや事情を理解している「ここに来るべくして来た人」にとって、わたしのような存在はかなり特殊なのかもしれない。それに、とても迷惑なのかもしれない。
本当に、この人に頼っていいのだろうか。
思わず無言になって相手の気配を探ったけど、相手はさっきから黙ったままだ。ちらりと見上げると、視線は射貫くようにこちらを見据えている。こちらの嘘を暴こうとしているような視線を、まともに見つめ返した。そうすれば嘘を言っていないということが証明されるような気がしたのだ。
「嘘は言っていないようだな」
長いようで短いような時間が経った後、男の人はぼそりと呟き、続けて「お前は、」と何か言いかけた。
「……」
「……」
男の人は黙ったままだ。しばらくしてようやく、さっきの「お前は、」は、わたしの素性を尋ねたくて発した言葉なのだと気づいた。言ってくれたらすぐ話したのになあ。
「ええと、わたしは、というかわたし達は自分の世界にいたんだけど。そしたらいきなり相手の体が光に包まれて、助けようとして腕を掴んだの。そしたらわたしまで光に包まれて、気づいたらここにいた」
一旦そこで言葉を区切る。わたしが今ここにいる理由が、唐突に分かってしまったからだ。
「多分、その人がここには必要だった。けれどわたしがその人を助けようと近くにいたから、呼ぶ必要のないわたしまでこっちに来てしまった、んだと思う」
こく、と生唾を飲んで男の人を見る。呆気にとられた顔をしたその人は、また眉間に皺を寄せた。
「そのようだな」
また、沈黙が流れた。
間違ってここに来てしまったのなら、帰りたい。けれどその誰かを置いては帰れない。というかそもそも帰れるのかどうかすら分からない。
「どうすればいいんだろう……」
「来てしまった以上、元の世界に帰る方法はクリスタルを手に入れて戦いに勝つことだけだ」
「戦いに勝つしかないって……じゃあ、負けたら?」
「負けた記憶が無いから分からない」
そりゃそうだ。
「その戦いって、すぐに決着がつくものなの?」
「分からない」
「じゃあ、いつ戻れるのかも」
「分からない」
「わたしみたいに、戦士でもない人が紛れ込んだことって」
「無い……はずだ」
目の前が暗くなった。訳の分からない世界にきて、戦いに勝たないと帰れないなんてあり得ない。改めて夜空を見上げると、綺麗な満月が輝いている。少しの欠けもない完璧な丸さと静かな輝きが、余所者でしかない自分を責めているような気がする。恐ろしくなって座り込んだ地面は、震えが来るほどに冷たかった。
どうしよう、こんなところに来てしまって。元の世界では仲間たちがきっと心配しているはずだ。けれど。
仲間の顔と名前が、出てこない。
たった今まで一緒にいた人達だ。とても大事に思っていた。忘れるはずもない人達だった。けれど、忘れている。頭を打つとこんなにも色々忘れるものなのだろうか。
男の人が、小さくため息をついたのが聞こえた。見上げると相手はしばらく黙り、「仕方ない」と呟く。
「とりあえず、ついて来い」
「えっ」
「ここにいてもカオスの戦士の餌食になるだけだ。秩序の聖域に行けばコスモスが何とかしてくれるだろう。多分」
「い、い、いいの? 迷惑じゃない?」
「あんた一人増えたところで、特に問題はない」
「!」
さっきまで彼のことを取っつきにくそうとか危ない人だとか思っていた自分を内心で罵倒しまくった。突然現れた訳の分からない人間に、この人はどうすればいいか分からないなりに、手を差し伸べてくれようとしているのだ。この瞬間の安堵感と感謝の気持ちは、何があっても一生忘れないだろう。
「あ、ありがとう! 本当に助かるよ!」
「それよりも戦いの経験はあるのか? 俺は以前の世界では傭兵をしていた」
「そうなんだ。わたし、前の世界では……」
説明しようとした。
「確か何人かで旅をしていて……」
自分の素性も旅の目的も、思い出そうとしなくても心と頭に染み付いていたはずの事が、伝えられない。そこだけ白いもやがかかったように、思い浮かべられない。おかしい。さっきまでは混乱してるからだとか一時的な記憶喪失だとか色々言い訳をしていたけど、そういうレベルの問題ではないかもしれない。
「思い出せないのか」
意外にも咎める響きがないことに安心して素直に頷くと「気にすることはない」と、驚く様子もない返事が返ってくる。
「ここに呼ばれた戦士たちは、程度の差はあるが、全員が元の世界の記憶を失っている。大した問題じゃない」
「で、でも、戦っていた記憶も無くしてるんだけどわたし。どうやって戦うの」
「戦えば思い出せる。例えばあんたの腰の剣。それを振り回していた時のことも思い出せないか?」
ハッとして思わず腰に手を当て、身に着けていることすら忘れていた剣の柄を握った。ひやりと冷たいのに手にしっくりと馴染む感覚。これを使っていた事を、どうして忘れていたのだろう。
「……この剣は、振り回すっていうより、突くための剣なの。レイピア、っていうんだけど」
すらりと剣を抜く。ああそうだ、これで攻撃し、身を守り、力のないわたしでも負担なく扱えるよう鍛冶屋で改良に改良を重ねた武器。細い刀身が月の光を受けて鋭く光る。
「細身なんだけど何度も改良してあるから、刀身は意外と丈夫なの。これを、」
説明するより見てもらう方が早い。立ち上がり剣を構え、簡単な剣術の型を見せた。そこから敵との対峙をイメージし、虚空を目がけ、最速で何度も剣を突き出す。頭と心で覚えた記憶はなくしても、体に染み付いた戦いの記憶は色濃く残っていたらしい。
「こんな感じで攻撃して、最後は急所を突いて仕留めてた」
男の人は黙って剣先を見つめていた。薄い唇が、狙われたくないな、と動いたように見えた。
「戦えるのは確認した。先を急ぐぞ。こんな見晴らしのいい場所に長居していたらカオスの軍勢に見つかる」
「う、うん」
男の人はくるりと背を向けて歩き出した。小走りで駆け寄り、その後に続いて歩く。これからどうなるのかわからないけれど、進むしかないのだ。
「あ、そう言えばまだ名前言ってなかったね。わたしは。あなたは?」
「……スコール・レオンハートだ」
「スコールかあ。本当に助かったよ。これからよろしくね」
「ああ」
わたしは名前しか名乗らなかった。けれど彼は律儀にフルネームを名乗ってくれた。この人はやっぱり、いい人だ。
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