だいたいセッツァーは、初対面からわたしを子ども扱いしていた。
 10歳近く離れているせいかと思ったけど、わたしと同い年のセリスの事は女性として見ているらしく、目で追いかけたりちょっかいをかけたりしているのをよく見かけた。そしてその都度ブリザドで氷漬けにされたりロックに攻撃されるのも見た。
 年下のティナは、わたしと同じく子どもだとは思っているのだろうけど、少なくとも丁寧には扱っている。ティナに何か聞かれると、彼なりに考えて真剣に答えているのもよく見た。それなのに。
 「おいガキ。邪魔だ」
 ソファーで本を読んでいたわたしは、後からやって来たセッツァーに威嚇されてソファーを明け渡す羽目になった。どういうことなのこの差は。
 「いいじゃない、ここでわたしが本読んでたって」
 「よくねえよ。これは俺の愛用しているソファーだ」
 納得しかけて頭をブンブン振った。こないだ別のソファーに座っていた時にも同じことを言われたばかりだ。
 「嘘ばっかり。違うソファーにわたしが座ってた時も、同じこと言ってたよね」
 抗議の意を込めて睨んだけれど、鼻で笑われた。
 「バーカ。飛空艇は俺のもの。つまり飛空艇のソファーは全部俺のものだ!」
 「うう…」
 滅茶苦茶だけど間違ってるとも言いきれない。口では到底勝てないと悟り、彼の無防備なお腹に頭突きをお見舞いした。
 「ぐふっ…てめえ、何しやがる」
 「頭突き」
 「分かってんだよ馬鹿が!」
 お腹を押さえたセッツァーが殴りかかって来て、わたしたちはまた、いつものように喧嘩を始めるのだった。


 それが昨日の出来事で。
 今日はついてない事に、わたしはそんなセッツァーと、街に買い出しに出かけることになってしまった。
 元々はカイエンさんとガウ君の役目だったのだけど、その日の朝になっても二人が戦いで受けた傷が治っていなかったから、わたしが名乗りを上げたのだ。
 街を一人で回るつもりで、行く前に洗濯物を干しに甲板に向かうマッシュに「行ってきます」と声をかけたのが間違いだった。マッシュが「が出かけるぞ。付いてってやれよ」と奥に呼びかけたから何だろうと思ったら、セッツァーがだるそうに出てきたのだ。
 「買い物くらい一人で行けるんだけどなあ」
 「付いて行かないとあいつがうるさいだろ」
 甲板から、一緒にいるのを確認するかのように見ているマッシュを仰ぎ見て、セッツァーはため息をついた。
 ため息をつきたいのはこっちだ、と思いながら、わたしは提案した。
 「…あのね。まずは必要な買い物をさっと済ませましょう」
 「当たり前だろ」
 「くっ……その後は自由時間にします。お互い好きな所に行きましょう」
 「そりゃいい。馬鹿の癖にまともな事言うじゃねえか」
 「……」
 拳を震わせながら、セッツァーと一緒に店を回った。効率良く回るなら別々に行動した方がいいと言ったのだけど、この街は人が多くて方向音痴のわたしが迷子になるかもしれないから、という理由で却下された。情けないけれどその通りだ。
 武器屋で剣を新調し、防具屋で頼まれた物を買い、道具屋で壊れたテントを買い替え、残すはあとアクセサリー屋だけになり、わたしはつくづく二人行動のありがたさを噛みしめていた。武器も防具も重いけど、大人数用のテントともなればそれ以上に重いのだ。武器も防具もセッツァーに持って貰っていたのでテントくらいはと思って持っていたら、「貸せよ」と取り上げられた。
 「セッツァーもう色々持ってるじゃない。テントくらい持つよ」
 「ガキが細かい事言ってんじゃねえよ。代わりにこれ持て」
 渡されたのは小さな袋で、テントに比べると当然軽い。わたしにとって重くてどうしようもない荷物の数々は、彼が持つには右手一つで十分なようだ。気遣ってくれているのだと分かった瞬間、彼の知らない一面を見たようで新鮮な気持ちになった。
 「うん。ありがとう、テント持ってくれて」
 「……おう」
 セッツァーはお礼を言ったわたしをまじまじと見た後、ふいっと顔を逸らした。
 「次はアクセサリー屋だろ。さっさと行くぞ」


 その後セッツァーは急に無口になった。
 日頃うるさい人が静かなのはそれだけで不安になる。不安を取り除きたくて話しかけていると、それがよかったのか段々意地悪なセッツァーが戻ってきて、いつもなら腹が立つその事にほっとした。そうしてアクセサリー屋の前に着くと、向かいの店の前にベンチが置いてあるのに気付いた。二人先に座っているけど、あと一人座るくらいなら余裕がある。この街は本当に人が多くて、ぶつからないようによけながら歩かないといけない。何度かすれ違う人にぶつかりそうになって、その度にセッツァーが肩を抱き寄せてぶつからないようにしてくれたから、感謝と緊張で胸がいっぱいになっていたわたしは、重いものを沢山持って疲れているだろうセッツァーに声をかけた。
 「セッツァー、向かいの店にベンチがあるから、あそこに座って待ってて。わたし一人で行ってくるよ」
 「…あのベンチに、か?」
 何故か不満そうな顔をしている。
 「うん。ここで買う物はそんなに多くないから」
 「買い物リスト見せてみろ」
 言われるままにリストを渡すと、素早く目を通したセッツァーは、ふうん、と唸った。
 「こんだけならすぐ終わりそうだな。じゃ、出来るだけ早く行って来い」
 「うん」
 そうして店に入ってみると、人が多いこの街は店の中も人でごった返している。商品を選んで取るのにも一苦労で、レジに並ぶのも一苦労、おまけにレジもとても込んでいたのでかなり時間がかかった。怒ってるだろうなあ、馬鹿にされるかなあと思いながら店を駆け足で出てベンチを見ると、
 「……あれ」
 セッツァーがいなかった。
 待たせたから怒って帰ったのか、それとも先に自由行動に入ったのか。それならそれで一言言ってくれたらいいのに。
 意外にいい人だと思ったばかりだったから、思わぬ置いてけぼりを食らったわたしは寂しくて、ベンチの前で俯いていた。
 どん、と後ろから人がぶつかって来た。
 「あ、すみません」
 邪魔になっていた事を謝って慌てて避けると、そのまま通り過ぎて行くはずだった男の人は立ち止まって、わたしをまじまじと見ている。こんなに見てくるということはもしかして知り合いかもしれないと思って、わたしも相手を見返した。
 うーん、知らない。どうも覚えがない。何か手がかりがあればいいんだけど。
 相手の気分を損ねないように名前を聞くにはどうしたらいいかな、なんて考えていると、相手の方からにこりと笑って「きみ、」と話しかけてきた。
 「はいっ」
 俺のこと覚えてる?とか聞かれたらどうしよう。全く覚えていない!
 「いくらだい?」
 一瞬何を言われたのか分からず、わたしはぽかんとした。
 男の人はまた繰り返す。
 「新しく入った子?君なら高く買ってあげるよ。一晩いくら?」
 「え、いや、」
 ようやく意味を理解したけれど、どうして唐突にそんな事を言われたのかは謎だった。セッツァーが来てくれないかなと周りを見回した所で謎が解けた。
わたしが今立っている所、ベンチが置いてあった所は、そういうサービスをするお店、だったのだ。だからセッツァーはあの時、妙な顔をしたんだ。
 「あの、わたしこの店の人じゃありません、ちょっと知り合いを探してるんです!」
 威嚇するつもりで叫ぶと、男の人は目を丸くして「あ…そうなんだ…勘違いしてごめん」と呟いた。
 今度こそ通り過ぎると思ったら、その人はすぐに気を取り直したのか「知り合いってどんな人?一緒に探そうか?」と言ってきて、また驚いた。ここはお言葉に甘えて一緒に探して貰った方がいいのか、気持ちだけ受け取ってやんわり断った方がいいのか、それとも強く断ったらいいのか、こういう場面に遭遇したことがないわたしは困惑して固まってしまった。
 「う、あ」
 「どうしたんだい、具合でも悪いの?」
 心配した男の人が一歩近づいてきて肩に手を置いた、その直後だった。横から出てきた手がそれをバシンと払い落したのは。
 「おい、あんた!」
 目の前が黒一色になった。立ちはだかったその人物がセッツァーだということはすぐに分かったけれど、声は聞いたことがないくらい低くて、激しい感情を無理に抑えつけているかのように震えていた。
 「人の連れに気安く触ってんじゃねえよ」
 セッツァーはさぞかし凶悪な表情をしていたに違いなかった。わたしが威嚇しても意に介さなかった人が、顔を青くしたり白くしたりして小走りに走り去っていったのだから。
 さっきの人が去った後、しばらく洒落た黒いコートの背中を見ていたら、今度は段々怖くなってきた。
 セッツァーがまだ怒っている気がしたのだ。どういうお店かろくに見もしないで休むように勧めた事とか、絡んできた人一人も追っ払えなかった事とか、重いものを沢山持って疲れてるのに、更に疲れさせてしまった事とか。自分でも大分旅慣れてきたと思ったのに、まだまだわたしは世間を知らなくて、非常事態に弱くて、こんな風に迷惑をかけてしまった。
 「セッツァー、ごめ」
 「悪かったな」
 言いかけた謝罪は、もうひとつの謝罪の言葉にかき消された。振り向いた傷だらけの顔はむっとしていたけど、怒っているようではなく、気まずいような困ったような表情だった。
 「なかなか来ないから煙草買いに行ってた」
 「そうだったんだ」
 「すまなかった。あいつに何かされなかったか」
 「一晩いくらかって聞かれた」
 セッツァーの顔がまた凶悪になった。
 「あの野郎!」
 このままだと追いかけていきそうな勢いだったので、慌てて腕を引いて続けた。「でも、わたしちゃんと言ったよ、この店の人じゃないって」
 まだ不満そうな顔をしていたけれど、セッツァーはようやく怒りを収めたようだ。怒りが引いたのを見たら、急に安心してじわりと涙が浮かんできた。
 「セッツァー、ごめんね。本当は飛空挺で休んでたのに、こんな、面倒くさいことになって」
 迂闊だった自分のせいなのだから泣く資格なんてないと分かっていても、一度出てしまうと、涙は次から次に零れてくる。
 「おい、泣くな、俺は別にいいから」
 セッツァーはしばらく袖で乱暴に顔を拭っていたけど、やがて唐突に「何か美味いものでも食うか」と言ってきた。言われて初めてお腹が空いている事に気づいたわたしが泣きやんで頷くと「もう泣き止みやがって」と笑った。
 その後のセッツァーは、とても優しかった。必要な物を買い終わったからもう帰っても良かったのに、「さっきの事もあるし、暇だから付き合う」と一緒に回ってくれて、わたしの長い買い物にも辛抱強く付き合ってくれた。人ごみに紛れてセッツァーを見失いそうになって、とっさに腕を掴んだら、嫌がるかと思ったセッツァーは「しっかり掴んどけよ」と嬉しそうに言った。あんまり嬉しそうだったので、こっちが照れて赤くなってしまった。それを見て彼は益々嬉しそうに笑った。


 「え?俺はセッツァーに頼まれただけだぞ?」
 飛空挺に帰った後、行き掛けにセッツァーに声をかけてくれたマッシュにお礼を言いに行くと、マッシュはきょとん、とした。
 「急に一人が買い物当番になっただろ?が準備してる間にセッツァーが俺も行くって言ってさ。が出かける前に教えてくれって頼まれたんだ」
 「…そうなの?」
 「『明日の買い物は重いもんばかりで、女一人じゃ持てないだろ』って。あと『この街は治安が悪いから、男がいた方がいいだろうからついて行く』ってさ。だから礼ならセッツァーに言ってやりなよ」
 知らなかった。マッシュが言うからついて来た、みたいな言い方をしていたから、そうなのだと思っていた。
 さっき甲板で煙草吸ってたぞ、とマッシュが教えてくれたのですぐに甲板に向かうと、言われたとおり甲板で夕陽を見ながら煙草をふかしている背中が目に入った。セッツァーの背中は抱きつきたいような、そのまま見ていたいような色気、みたいなものがある。どきどきしながら声を掛けると振り向いて、携帯用の灰皿でぐしゃぐしゃと火を消す。そう言えば仲間の中で煙草を吸うのはこの人だけだ。
 「好きな所で煙草吸ったらいいのに。セッツァーの船だし、別に誰も文句言わないよ」
 「ここで吸うのが好きなんだよ」
 嘘ばっかり。他の人が煙を吸わないように、こんな所にいるくせに。それを言うと全力で否定されそうだから敢えて黙っておくことにして、わたしはセッツァーの横に並んだ。
 「あの、今日一緒に来てくれてありがとね。重い物持ってもらったし、助けてもらったし、ご飯も奢ってもらったし、セッツァーと一緒じゃなかったら大変な事になるとこだったよ」
 「……そんな大事にはならなかっただろうよ。大げさなんだお前は」
 そうかなあ。今日わたし一人だった場合を考えると色々な事が上手くいかなかった気がするから、そう大げさでもないと思うけど。
 首を捻っていると「まあ、でも」と、セッツァーがため息交じりに呟いた。視線は夕陽を見たままだ。
 「もう少し自分が女だって自覚を持っとけよ。治安の悪いあの街を一人で歩き回るとか、正気じゃねえぞ」
 「……っく」
 「?」
 「あはははは!」
 「何が可笑しいんだよ!」
 「自分が一番人のこと女の人扱いしてないくせに、って思ってさ。セッツァー、変なの!」
 しばらく変だ変だと騒ぐのを、セッツァーは黙って聞いていた。騒ぎ終わるのと同時に、初めて夕陽からわたしへと視線を移す。
 「女扱い、した方がいいのか?」
 「はい?」
 「女として見ていいんだな?」
 「そりゃ子ども扱いよりは、女の人として丁寧に扱われたいかなあ」
 わたしとしては聞かれたから答えた、くらいの軽い感覚で返した答えだった。でも、彼にとっては重大な意味を持つ答えだったみたいだ。


 その日からセッツァーは、間違いなくわたしを女性として扱うようになった。
 最初はかなり乱暴だった。飛空挺の通路を歩いていると、いきなり人気のない部屋に連れ込まれて抱きつかれて、その後キスをされそうになった。いきなりだったのでわたしが怖がって半泣きで抵抗したら慌てて「すまん」と謝ってくれた。
 それを打ち消そうとするかのように、その後は凄く紳士的になった。
 一緒のパーティーで戦っている時は、ナイトの心得でも装備しているのかいつもわたしを敵から庇ってくれるし、重い物を運んでいると必ず代わりに運んでくれた。
 一人で出かけようとすると護衛をするかのように後に付いてきてくれて、買い物に辛抱強く付き合ってくれる。劇的な変化だ。
 ソファーに座って(色々座ってみたけど、談話室の窓際に置いてあるソファーが日当たりが良く気持ちいいので定位置にしたのだ、勝手に)今までの子ども扱いとの変わりようの凄さをくすくす笑っていると、唐突にセッツァーの言葉を思い出した。

 『女として見ていいんだな?』

 顔がぼうっと熱くなった。
 セッツァーに女の人扱いされるって、こういう事なんだ。
 恥ずかしいようなくすぐったいような、ほわほわした気分になって、赤くなった顔をソファーのクッションに埋めてジタバタしていると、コツコツと足音が聞こえた。
 「何やってんだ、おい」
 顔を上げると、セッツァーが呆れた顔で見ている。動揺を悟られたくなくて、いや動揺しているのは気付いているだろうけどその理由を悟られたくなくて何とか笑顔を作った。
 「ううん、大したことじゃないの。セッツァーこそどうしたの?」
 外出用の黒いコートを羽織っている。
 「ちょっと街に出る用があってな。あと、この街にお前が行きたいって言ってた店があるらしい。それでだな、」
 セッツァーの視線がわたしから窓の外に移り、最後に天井に移った。
 「一緒に行くか?」
 わたしがぽかんとしていると、「いや、別に行きたくなけりゃいいんだ」と慌てて付け足した。コートを翻した黒い背中が部屋を出て行こうとする。
 「まってセッツァー、わたしも一緒に行く」
 引き止めたいのと、誘われた嬉しさと、ずっとそうしたかったのもあって、わたしは彼の背中に思い切り抱きついた。




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