ある日突然、マッシュに好きだと言われた。二人で街に出かけた帰りのことだった。
 彼が飛空艇を二人で出た時から妙に無口だったのが気になっていたわたしは、何か落ち込んでるのかもしれない、と思って、色んな事を話しかけて彼の気を紛らわせようとしていた。
 「そう言えばさ、わたしたち二人きりなんて、レテ川以来じゃない?あれから色々あったよねー」
 「そうだな」
返事した声が少しだけ明るくなったので、ほっとした時だ。
 「はいつも誰かと一緒にいるから、ずっと二人きりになれなくて、寂しかったよ」
 言葉に違和感を感じて見上げると、マッシュもわたしを見ていた。
 「ロックやセッツァーや、だれか男と一緒にいるのを見ると、そいつの事が好きなのかって、心配になった」
 「マッシュ?」
 「…特に兄貴と一緒にいると、嫉妬でどうにかなりそうだった。俺には見せないような顔を、兄貴の前ではしてたから」
 「マッシュ?急にどうしたの」
 「好きだよ」
 マッシュは初めて見る表情をしていた。穏やかなのに思いつめたみたいな、真剣なのに照れてるみたいな、こっちまで切なくなるような表情だった。
 本当に突然で、驚きすぎて目を回しているわたしを見て「やっぱり気付いてなかったか」とマッシュは笑った。


 それからというもの、わたしはマッシュを意識するようになった。
 豪快な所も、そのくせ気を使ってくれる優しい所も、意外に料理上手な所も、それまでは仲間として好きだった部分が、男の人として魅力的に映るようになっていた。一度そうなってしまうと今まで気づかなかったのが不思議なくらい、マッシュは素敵な人だった。
 そんなマッシュが、いったいわたしのどこを好きになったんだろう。バレンの滝で颯爽と先陣を切って飛び込んだのがよかったのかな。マッシュたちがティナを探しに行ってる間ナルシェで教えてもらって、美味しい料理が出来るようになったのがよかったのかな。
 考えてもこれという理由は浮かんでこないまま、マッシュの事をいつの間にか目で追いかけて、いざ目が合うと今度は直視できなくなった。
 作戦会議で真剣な顔をしている時も、ガウ君やリルムと遊んでいる時も、エドガーたちと楽しそうに談笑している時でさえも、わたしと目が合った瞬間、ぱあっと、という表現がぴったりなくらい嬉しそうに笑いかけてくるから、どうしたらいいか分からなくなる。わからないのに、凄く嬉しくて顔が熱くなる。
 つまりわたしは好きだと言われた時から、マッシュのことを好きになっていたのだ。自分でも驚くくらい単純だ。
 自覚してしまうと、色々と気持ちを押さえるのが大変になった。
 一緒のパーティーになって彼の後ろを歩いていると、その逞しい背中に縋りつきたくてうずうずした。隣を歩けば力強い腕に抱きしめられるのを想像してぼんやりしていることもあった。正面にいると(マッシュの顔を直視できない分)大きな胸板ばかりを見てしまい、ここに飛び込んだらどんな顔をするだろう、なんて思ったりもした。
 そんなわたしの変化に、仲間の女子達が気付かないわけがなかった。

 「、それどうしたの?」
 お風呂から上がったわたしは、同じくお風呂上りのセリスに聞かれて、「へっへっへ」と笑いながら買ったばかりのボディクリームを見せた。
 「昨日ティナと町の雑貨屋に行ったんだけどね、匂いとパッケージが気に入って、ティナと色違いで買っちゃったの」
 本当はそれだけではなかった。わたしが近付いた時にマッシュに「いい匂いだな」と思われたかった、と言うのが一番の理由だ。
 もし「なんだかいい匂いがするな」と口に出して言ってくれたら嬉しいな。そしたら「マッシュのためにいい匂いをさせてるんだよ」と言ってあの胸に飛び込むんだ。その後、わたしもマッシュの事が好きになったんだって、あの胸の中で言ったら驚くかな。
 「ふうん…いいな。私も欲しいな」
 そう言ってちょっとだけ頬を染めたセリスは可愛く見えた。ロックの事を考えてるんだろうなと、今ならすぐに分かる。
 「じゃあ明日にでも一緒に行く?わたしもまたあそこに行きたいし」
 「いいの?じゃあ明日空けといてくれる?」
 「いいよ!やっぱり好きな人にはいい匂いだって思われたいもんね、その気持ち、分かる」
 「ちょ…違っ!」
 セリスは途端に顔を真っ赤にした。真っ赤にしたけれど、両手を頬に当てて、小さく「…うん」と言った。
 凛としていて綺麗なセリスは、ロックの事になると急に女の子になるから可愛い。わたしもマッシュの事を考えている時、こんな風になってるのかな。
 「あら、…」
 「ん?」
 ガールズトークに夢中になっていたわたしは、髪を乾かしていたティナの声に笑顔で振り向いた。ティナは不思議そうな顔でわたしを見ていた。
 「好きな人からいい匂いって思われたい気持ち、良く分かるの?」
 「え?」
 「ええと…も誰かに…好きな人、にいい匂いって思われたくて、それ、買ったのかなって」
 会話の流れでセリスをからかおうとしていたわたしは、完全に固まってしまった。
 ティナは最近まで帝国に操られていて、ずっと記憶がない。その代わりに周りの人の言葉や態度の変化にはすぐ反応した。抜け落ちた記憶を取り戻そうとするかのように、取り巻く環境のわずかな変化から状況や相手の気持ちを敏感に感じ取れる彼女に、わたしは密かに舌を巻いていた。
 そしてティナはまた、無意識なのだろうけど、わたしの心境を的確に捉えていた。
 「えっ…あっ…」
 とっさに言い繕う事が出来なくて口ごもるわたしを、ティナとセリスは不思議そうに見ている。
 ああ、何か上手いこと言わなくちゃ。慌てるわたしに、ちょっと離れた所からやり取りを見守っていたリルムが静かに近づいて来た。いつもは飛びついてくるか、可愛い顔に天使のような(そして実は悪魔のような)笑顔を浮かべながら近づいてくるのに珍しいことだ。だけどその時のわたしには、それが珍しいことだと思う余裕もなかった。
 ちょいちょい、とリルムに肩を叩かれた。助け舟!?と期待して顔を輝かせたわたしに、リルムは4つ折りにした紙をそっと握らせた。
 「開いてみて」
 言われたとおり紙を開いてみる。半分開くと、マッシュが立っている姿がスケッチしてあった。豪快に口を開けて笑っている。
 「マッシュじゃない」
 「マッシュね」
 セリスとティナが覗き込んでくる。動悸を押さえ「リルムはホントに絵が上手いよね」なんて言いながら、わたしは後半分を開いた。
 「ちょ……!!」
 紙の半分に描かれていたのは。
 口を半開きにして、手を胸の前で組んで。
 壁にでも隠れているのか、マッシュから少し離れた所にいる、必死な、切ない表情を浮かべた、わたしの姿。
 絵の中のわたしが、絵の中のマッシュを見つめていた。
 その視線から熱が伝わってくるくらい、熱く見つめていた。わたし、いつもこんな顔をしてマッシュを見ていたんだ。
 「…」
 「マッシュのこと好きなの?」
 ティナとセリスが目を輝かせて聞いてきた。特にセリスは、普段わたしがロックとの事をからかっている分、色々聞き出してやろうというオーラが見え隠れしている。
 「や…その…」
 再び言葉に詰まっていると、ドアが開く音がした。見るとリルムが手に別の紙切れを持って、部屋を出ようとする所だった。
 「きひひひ!実は同じものをあと一枚描いたんだー!これ、キンニク男に渡しちゃおーっと!」
 「リルムーー!!!!」
 わたしは慌てて後を追った。マッシュを好きだと皆にばれたら恥ずかしかった。そういう事で話題の中心になって冷やかされるのも嫌だったし、周りに気を使われるのはもっと嫌だった。多分マッシュもそれで、二人きりの時に気持ちを伝えたのだろう。
 わたしの遥か先を走るリルムが、男性陣の部屋のドアを開け、中に入っていった。
 「うわあああ!」
 「何だ!?」
 ロックとセッツァーの叫び声が聞こえ、続いて「あれえ?マッシュいないの?」とリルムの不満げな声も聞こえる。え?マッシュいないの?とわたしまで慌てながらノックをして、おずおずと中に入った。
 「ちょっとお邪魔しますよ」
 部屋を見回すと、目を丸くしたロックとセッツァーと、机で新聞を読んでいたエドガーの目がこっちを見ていた。確かにマッシュはいない。どこにいるのか気になるけど、リルムを捕まえる方が先だ。そう思って振り返るとリルムは既にいなかった。いつの間にか開けっ放しにしていたドアから出ていったのだ。それならもう、ここには用は無い。
 「お邪魔しました」
 そそくさと部屋を飛び出しドアを閉めると、中で「何だったんだ」とセッツァーの呆れた声がした。そう言えば驚かしたことを謝りそびれた。まあいいか、明日謝ろう。だって今凄く忙しいんだ、わたし。


 台所や談話室を探しまわって最後に甲板に出ると「リルム、こんな時間まで起きてたのか?」と聞きなれた声がした。声のした方を見ると、にこにこしているマッシュとニヤニヤしているリルムがいる。まずい。非常にまずい。
 わたしは素早く静かに駆け出し、無言で二人の間に割り込んだ。
 「ぎゃっ!」
 「何だあ?」
 驚く声を無視してリルムをマッシュから引き離し、そのまま声の聞こえない場所まで引きずって行き、ずい、と手を差し出した。
 「?」
 「さっき持ってた紙。渡しなさい」
 「えーでもー」
 「いいから、渡しなさい」
 「でもさー」
 「渡しなさい」
 「いや、だからさあ」
 はっきりきっぱりした性格のリルムが珍しく潔くない。どうしたんだろうと首を捻っていて、後ろから近づいてくる影に気付くのが遅れた。
 「その紙って、これか?」
 「ひゃああああ!」
 ばっと振り向くとマッシュが困った顔で立っていた。手には白い紙きれを持っている。「それ!それ!」と叫んで紙切れをひったくってリルムを睨むと、
 「ごめん、もう渡しちゃったんだ。でも時間は戻せないし許してね?じゃあ、後はごゆっくりー」
 それはそれは可愛らしく笑った少女は悪びれる様子もなく走り去っていき、広い甲板に、わたしとマッシュだけが残された。


 わたしはリルムが消えた、部屋へと続くドアを見ていた。
 ずっとそうしているのもきつかったけど、そうしていないと、わたしを見つめているマッシュと目が合いそうで、なんだか怖かった。
 「……」
 「……」
 「じゃ、じゃあ、わたしも、寝ようかな。おやすみー」
 「
 長い沈黙に耐えられなくなって、さり気なく背中を向けたわたしは、そのまま甲板を去ろうとして、失敗した。
 マッシュの手が腕を掴んでいた。
 「返事を聞きたい」
 何の、なんて聞かなくても分かるし、どう返事するかも決まっている。それなのに言葉が出なかった。
 いつも一つに結んだ髪が解かれていて、夜風になびいている。強い意志を感じさせる瞳が、真っ直ぐわたしを見ている。いつもの溌剌とした声は、かすれていて静かだった。
 昼間見たことのないマッシュがそこにいて、わたしは彼に見とれていたのだ。
 マッシュはわたしの沈黙を悪い方に捉えたようだ。
 「俺が、嫌いか?」
 そんなわけない。思い切り首を横に振る。
 「仲間としか思えない?」
 それ以上に想っている。また首を強く横に振る。
 「……じゃあ、俺のこと、どう思っている?」
 勿論大好きに決まっている。けど言葉にならない。わたしの返事を辛抱強く待っていたマッシュは、焦れたのか視線をさっきの紙切れに目を向けた。
 「これ、何だったんだ?」
 「!」
 紙切れをするりと取って、かさかさ音を立てながら開く。全部開いた瞬間動きが止まった。逆にわたしの方は掴まれた腕を離されて、視線が紙切れに移ったことで、息もできない緊張感から解放された。
 身動き一つしないマッシュに向けて「…それが返事だよ」とぼそっと呟いた。
 「わたしも、マッシュのこと、好き…みたい」
 信じられない物を見るように、マッシュがわたしを見た。恥ずかしいのを我慢して、わたしも見つめ返した。
 真剣な顔がだんだん明るい笑顔に変わり、それに胸がきゅうんとした瞬間、太い腕が伸びてきた。
 「ちょっと、マッシュ」
 「がっはっは!すまん!あんまり嬉しくて、つい」
 「もう」
 謝っているくせにマッシュは腕を離さない。わたしも別に抵抗しなかった。温かくてマッシュの匂いがして、全く離れる気がしなかったのだ。にやにやしていると、「、何だかいい匂いがするな」と上から声が降って来た。
 「へへ。……まあ、ね」
 いざとなると本人を前にして「マッシュのためだよ」なんて言うのは恥ずかしすぎる。その代わりに頭を胸にぐいぐいこすりつけた。小さく笑ったマッシュが「」と名前を呼ぶので顔を上げると、おでこに軽くキスされた。急に力が抜けてしまって完全に身を預けてしまうと、背中に回す腕の力がますます強くなる。
 「でもな、
 「ん?」
 「蜂蜜の甘い匂いなんかさせてると、腹を空かした熊に食べられちまうぞ?」
 「熊?うん…?」
 「まあ、そのうち分かるさ」
 そう言ってにこりと笑ったマッシュの唇が、わたしの唇と重なった。


 その時は、マッシュは何を言ってるんだろうと思っただけだった。
 だけどその後、だんだん一緒に出かけるようになって、抱き合って、キスをするのが当たり前になって。
 ある晩、初めて同じ部屋の同じベッドで寝ることになって。
 『あ…わたし今、熊に食べられてる…』
 そのさなかにようやくマッシュの言葉の意味を理解するのだけど、それはまだ、当分先の話なのだった。




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