エドガーが叫ぶ。
「!!!良い子だから待ちなさい!」
わたしは逃げる。
ブラックジャック号の廊下を歩いていたら、向こうからエドガーが歩いて来た。わたしが気付くのと同時にエドガーも気付いて、嬉しそうに近付いて来た。かちんときたわたしは来た方向へ引き返した。
エドガーに怒っていたからだ。
数日前、髪が伸びてきたから髪留めが欲しいな、と呟いたら、たまたま通りかかったエドガーが、いいお店を知っているから一緒に行こうと言ってきて、一緒に出かけることになって。
昨日連れて行ってもらったお店は趣味が良くて値段も良心的だった。目移りしながらも可愛い髪留めを買う事が出来て、エドガーにお礼を言おうとしたけど、お店の中は結構込んでて、なかなか見つけきれない。
ふと聞きなれた笑い声が聞こえて振り向くと、エドガーは、お店のカウンターにいた美人なお姉さんを口説いている真っ最中だった。
この人が女の人を口説くのが好きなのは知っていたけど、見るのは初めてだったので、わたしは固まって、ただ見ていた。
エドガーは凄く格好いいし背も高い。それだけでも十分目立つのに、女の人が大好きで社交的だから、わたしがぼんやり見ている間に次から次へ女の人に声をかけ、とうとうお店にいた女の子達に囲まれてしまった。最初こそわたしを気にする素振りを見せてくれていたのだけど、そのうちこちらなんて見向きもしなくなって、悲しくなった。わたしと来ているのに他の女の子に囲まれて喜んでいる姿には何故か凄く腹が立った。
好きなだけ女の子に囲まれるがいいさ、と先に帰ることにした。でも実はわたしは方向音痴で、初めて来た所とか、入り組んだ所にある場所とかですぐ迷ってしまうのだ。今回もエドガーの後ろにくっついて、しかも色々喋りながら来たから、どこをどう歩いてこの店に来たのか全く覚えていなかった。
行きとは違って、帰りは腹が立つし悔しいし道が分からなくて不安だし、最悪な気分だ。こんなことになる筈じゃなかったのに。
あちこち歩きまくって道を聞きまくって、やっと皆の待つ宿屋に着いたら、お店に放置してきたはずのエドガーがとっくに帰っていた。「まだ戻ってきていないから心配したよ」と優しく言ってきたのが馬鹿にしているように聞こえて、またかちんときた。
あからさまに不機嫌なわたしに、ようやくエドガーは気付いた。気付いたくせに、謝ってくるわけでも不機嫌なのを気にするわけでもなく、なぜかいつもより嬉しそうにべたべたと構ってくるのだった。わたしが触られるのが嫌いな事を知っているくせに。
そんなわけでとうとう切れたわたしは、逃げている所なのだ。
「!どうして逃げるんだ!?」
あと何日かたって怒ってるのが馬鹿馬鹿しくなって、エドガーの顔を見ても腹が立たなくなったら逃げるのをやめるつもりだ。だから怒りが収まるまでは全力で逃げる!
幸いわたしは足が早いから、本気で逃げたらエドガーが追いつくことは出来ない。素早く廊下を右に曲がって、最初に見つけた部屋に飛び込んだ。これまた幸いな事にドアも半開きになっていた。
「うぉっ」
部屋に飛び込むと、ソファーに寝転がって煙草を吸っていたセッツァーが跳ね起きた。休憩中なのを邪魔したみたいだ。一瞬出て行こうとしたけれど、既にエドガーの足音が近くに迫っていた。今出ていけば確実に捕まる。
「ごめん、匿って!」
返事も聞かずにわたしはしゃがんだ。彼が座っていたソファーの下に入るのだ。はぁ?と呆れと疑問を含んだ声が降ってくる。体を全部ソファーの下にしまい込んだ直後、ドアが開く音がした。
「!…なんだ、セッツァーか」
間一髪。薄暗いソファーの下で、走って乱れた息を静かに静かに整えた。危ない所だった。
「おかしいな…この辺で音が聞こえたんだが。セッツァー、を見かけなかったか?」
「…なんだ、また逃げられたのか?」
セッツァーは黙っていてくれるようだ。なんていい人なんだろう!顔は傷だらけで怖いけど、傷ついた分だけ人は優しくなれるって、あれは本当なんだね!
「私の顔を見るなり怒って逃げてしまったよ」
頭の上でスプリングが軋む音がした。声が聞こえる位置からして、エドガーが座ったのだろう。わたしを追いかけるのは諦めたようだ。それはありがたいのだけど、居座られるのはありがたくない。このソファーの下、結構埃っぽいのだ。
「ふうん」
またスプリングが軋んだ。セッツァーが隣に座ったみたいだ。
「はどうして逃げるんだろうなあ」
「怒ってるんだろ」と、間髪いれずセッツァーが答えた。「デート中に他の女を口説いて、取り囲まれて喜んで、放っとかれりゃ、良い気はしねえぞ」
わたしが怒っている理由をそのまま言ってくれた。意外といい人なんだな。顔の傷が怖くてセッツァーと今まであまり話さなかったことを、わたしは密かに反省した。見た目だけで怖そうだとか話しにくそうだとか思って避けるのは、自覚しているわたしの短所だ。皆で旅するなら、そういう所直していかないと!
しかしあれはデート、だったのかな?たまたま知っている店があるから、なんて、軽い感じで誘ってくれたからそんな風には思わなかったけれど。
一人でああだこうだ考えていると、エドガーの笑い声が聞こえた。
「が直接頼んでくれたら、今後一切他の女性は口説かないんだけどね」
「えっ」
思わず小さい声が漏れて、慌てて口を押さえた。見つかるのを覚悟したけど、一向にエドガーが覗き込んでくる様子は無い。話に夢中で聞こえなかったみたいだ。良かった。
「お前の好みはもっと大人の女かと思ってたがな」
「女性は皆好きだよ。それぞれに魅力的だろう。でもあの子は特別だ」
特別ってどう特別なんだろう。
「どう特別なんだよ」
セッツァーがまた上手いこと聞きたい事を聞いてくれた。今日一日でセッツァーの株は上がりっぱなしだ。また低い笑い声がした。
「楽しいんだよ、といると。気を張らずに済む」
確かに気は張ってないよね、と、わたしは普段の様子を思い浮かべる。
エドガーは王様なのに話しやすいから、普通に話す時はどうでもいい話ばかりしている。ジドールに干し肉が売っていない不満だとか、道具屋のおじさんがおまけしてくれたこととか、マッシュに教わって修行しているのにまだオーラキャノンが出せないとか。エドガーもいろんな話をしてくれる。街に出かけた時に最初に見たのが女性ならラッキー、男性ならアンラッキーだと決めていることとか、小さい男の子を見かけたと思っていたら実はその子が女の子で口説き損ねたこととか、フィガロ周辺以外では機械を作るための工具が手に入りにくいだとか。
うわあ、思い浮かべると本当にどうでも良すぎる。実はエドガー、わたしのこと頭悪いと思っているんじゃなかろうか。実際賢くは無いけど。
ソファーの下で悶えるわたしを余所に、ソファーの上の会話は続いていた。
「戦いで疲れて帰って来るだろう?そんな時にあの子が出迎えて「お帰り」と言ってくれるだけで安心する」
「へえ」
「城でもそうだ。国のためと言いながら己の利益しか考えない部下の相手をした後には、いつもに会いたくなる」
わたしはソファーの下で首を捻る。どうしてだろう。
「どうしてだ?」
少し沈黙した後で、声がした。
「あの子は私に遠慮なんかしない。嫌な時は逃げるし話したい時は近づいてくる。可愛くて気まぐれで、子猫のようだ。それに、」
「それに?」
「はとても魅力的だ。彼女を見ていると、甘えてみたくなるし同時に守りたい気持ちにもなる。無理矢理抱いてしまいたい色気を感じる時もあるのに、一生触れず大事にしたいとも思う」
「矛盾だらけだな」
「そうだね。その矛盾が楽しいよ」
エドガーは面白そうに先を続けた。
「結局、私が王だという事を忘れさせてくれるから、が好きなんだ」
さっき声を出してしまったから、用心して口に手を当てていて良かった。そうでなかったらわたしは大声で叫んでいたかもしれない。
ちっとも気付かなかった。エドガーはいつも、そんな気持ちを隠しながらわたしを見ていたんだ。
「随分入れ込んでるんだな、あの餓鬼に」
「口が悪いな、は餓鬼ではなくレディだ。それも未来の王妃になるかもしれないレディだよ」
「お前結婚まで考えてんのか!出会ってせいぜい2、3カ月だろ!?早すぎだ、まずはお互いを知ることから始めてだな、」
「セッツァー、お前は案外真面目だね」
低く笑う声が聞こえた。
「お前の言うとおりお互いを知ることから始めていたら、どこかの誰かにを取られてしまうよ。私は早くを一人占めしたいんだ」
体が火照ってきた。一人占めしたいとか、未来の王妃とか、普段わたしと話している時のエドガーからは聞けないような言葉が次々出てきて、頭がついて行かない。
だけどまさかこんな所にわたしが隠れてるなんて思ってないだろうから、多分、聞かなかったことにして、今まで通りに振舞えばいいんだよね?難しいけど。考えに没頭していたわたしは、ソファーの隙間から傷だらけの顔が現れた事に気付かなかった。
「……だとよ。、お前はどうなんだ」
「うわあ!」
突然声を掛けられて、大声で叫んでしまった。セッツァーは耳を塞ぎながら「まずは出てこい。埃だらけだろ、そこ」と呼ぶので、しぶしぶ這い出した。びっくりした顔のエドガーと目が合って、さっきの言葉を思い出してどきどきする。逃げようと立ち上がったら、逃がすまいとするようにエドガーに腕を掴まれて、動けなくなってしまった。
「まあ、後はふたりでやってくれ。俺は昼寝する」
わたしは見た。部屋を出ていく時のセッツァーが面白そうに笑っていたのを。ちょっとでもこの人をいい人だと思ったわたしが馬鹿だった。やっぱり人は見かけだ!
セッツァーはご丁寧にもドアを閉めていったから、あれだけ避けていた二人きりになってしまった。
「」
エドガーがぽんぽんとソファーの空いてるところを叩く。座れということらしい。逃げようにも腕を掴まれているから逃げられないし、仕方なくわたしは座った。動揺しているのを悟られたくなくて、不機嫌な顔をしてそっぽを向いた。
くすり、と笑う声がした。
「顔、赤いよ」
「赤くない」
「…はどうして逃げていたんだい?」
「自分で気づいてよ」
「うーん、難しいな」
言いながらもエドガーはにこにこしている。焦らされているようで何だか面白くない。
「、一つ聞いていいかい?」
「…何?」
「昨日の店で、私は君に何度も話しかけたんだが。覚えているかな?」
「へ?」
わたしは昨日の記憶をたどる。
ここだよ、と案内されて中に入ったとたん、カラフルな店内に目を奪われて、店の中に小走りで入った。
アクセサリーも服も、カウンターの近くに置いてあるお菓子までいちいち可愛くて好みで、あちこち歩き回って、やっと髪留めの場所を見つけて。
そこもまた可愛いのが沢山あって目移りしてて、やっと、本当にやっと一つだけ選んで買って、そこで初めてエドガーを探して。
声のした方を振り返ったら、エドガーが女の人を口説いてたんだった。
雑貨に目を奪われてて、話しかけられていた事なんて、全然気付かなかった。
先にエドガーをないがしろにしたのは、わたしの方だった。
「あ……」
「はしゃぐ君を見るのは楽しかったけど、ちっとも構ってくれないから、寂しかったよ。だけど不機嫌なのは嬉しかったな。妬いてくれたんだと思ってね」
エドガーは笑っていた。わたしは自分が悪い事も気づけずに一人で怒っていたというのに。
「エドガー、ごめんね」
「いいんだ」
エドガーは頷いて、「でも、質問には答えてもらうよ」と続けた。
「どうして怒って逃げたりしたんだ?」
「それは、」
エドガーが、他の女の子に優しくしてたから。
わたし以外の女の子たちに囲まれて、嬉しそうに見えたから。
エドガーがその子たちの相手をするのに夢中で、わたしの方なんて、見てもくれなかったから。
わたしだけを見て、追いかけてほしかったから。
怒りの理由はいくつも浮かんできて、それはどれも同じことを教えていた。
わたし多分、エドガーの事、好きなんだ。
「わたしね、悔しかったの。それに寂しかった。追いかけてほしかった」
言葉を続けるのは怖かった。自分勝手な事を言っている自覚もあった。でもさっき聞いた「特別」という言葉に後押しされて、わたしはエドガーを真っ直ぐに見た。
「わたしだけ、見てほしかったの」
青い瞳に、むっとした顔のわたしが映っている。もっと縋りつくような可愛い表情が出来たらいいのに。そんな不満ばかり思ってたから、エドガーの柔らかな雰囲気が変わった事に気付くのが遅れた。
気付いたのは背中に腕を回された後だった。
「わかった。これからは、君以外の女性は口説かないようにしよう」
「うん…」
耳元で囁かれて、驚いて離れようとしたわたしは、エドガー嬉しそうな声を聞いて、離れるタイミングを逃した。それに今気付いたのだけど、エドガーに抱きしめられるのは意外にも気持ちが良かった。ずっとこのままでいたい気になってしまう。触られるのは嫌いだったはずなのに、何だかわたし、変だ。
「私が君だけを見つめる。これがどういうことか分かるかい」
「?」
「君は私と結婚しなければいけないんだよ?何しろ他の女性の相手をしてはいけないのだから」
「へ!?けっこん!?」
確かにエドガーはさっき、未来の王妃がどうのこうのと言っていた!エドガーの事は好きだけど、そこまでは心の準備が出来ていない。そもそもこの人の事を好きだと気付いたのだって今さっきだ。急に自分の言葉の重みを実感して、わたしは大きな腕の中でそわそわ動いた。
「…私は気が長い方ではないけど」
見かねたのか、エドガーが苦笑する。
「今はまだ、無理に答えは出さなくていいよ。旅が終わるまでは待つつもりでいるから」
優しいのか、大人だから余裕があるのか分からないけど。
答えを急かさない言葉にずるずると甘えることにして、小さく頷いたわたしは、エドガーの胸に顔を当てて、うっとりと目を閉じた。
「まあそれまでには、私なしでは生きられないようにするつもりだけどね」
心も体も、全てで私を欲しがるように、してあげるよ。
何だか怖い台詞を聞いた気がするけど、きっと気のせいだろう。
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