炭坑都市ナルシェ。雪で覆われた町。
 降り積もるこの町の雪のように、私の苛立ちも静かに積もりつつあった。
 勿論、感情をむき出しにする事はない。リターナーのメンバーやナルシェのガード達に不安と不信感を与えてしまう。それにナルシェにもリターナーにも女性はいる。女性の前で不機嫌な顔をするなんてもってのほかだ。
 そういうわけで私は、気を抜くと深くなる眉間のしわを気にしながら、バナン様と、何日もかけてナルシェの長老を説得していた。
 説得開始から数日たった頃、双子の弟マッシュが戻ってきた。
 胸をなで下ろしたのは言うまでもない。流れの速い事で有名なレテ川に流され、バナン様を優先すべき状況だった事もあって自分で何とかしろとは言ったものの、どこかで大変な目にあってはいないかと気が気ではなかったのだ。
 帰ってきたあいつは疲れた様子だったが、前より逞しくなったように見えた。おまけに、一目で只者ではないと分かる、カイエンと名乗るドマの戦士と、それが名前なのかガウガウ連呼する人懐っこそうな少年も一緒だ。旅の途中で仲間になったのだという。小さい頃は大人しくて私の後ろに隠れることが多かったのに、本当に大きくなった。今も昔も自慢の弟だ。
 私はしみじみとマッシュを眺めた。そのマッシュはドアに向かって「寒いだろ、早く入ってこいよ」と言っている。
 他にも仲間がいたのか。男ばかり4人で旅してきたとは。私にはとても耐えられない。
 例えば危険な森や草原を旅する途中、そこに名もなき花が咲いていたりすると心が和むだろう?その花がつまり女性だ。女性の存在はいつでもどんな時でも、必要不可欠なのだ。
 それにしても呼ばれるまで入ってこないとは、3人目の仲間は非常に変わった男のようだ。一体どのような人物なのだろう。
 「ごめんなさい、雪の上って歩くの大変で」
 鈴を転がすような可憐な声がして、耳を疑って、その後目を疑った。
 何とも愛らしい少女が立っているじゃないか!


 部屋に入り、大勢の視線が自分に注目しているのに気づいた彼女は、顔を赤く染めた。
 「あの、、と言います。ニケアから来ました…」
 やっと、という感じで言い終わると、すぐにマッシュの後ろに隠れてしまった。レディ・。うん、彼女によく似合う素敵な名前だ。
 「レテ川に流された俺を助けてくれたんだ。で、戦いの経験もあるそうだから、リターナーに連れてきた」
 マッシュが補足する。なるほど、弟の命の恩人というわけだ。私の視線に気づいたのか、がふっと顔を上げた。
 内気そうな子だから目を逸らされるかと思ったら、意外な事に見つめ返してきた。マッシュとも、ロックやティナとも違う黒い瞳がきらきら輝いている。全てを飲み込む漆黒の闇と言うよりは、星が輝く夜空のような穏やかさに満ちていて、苛立っていた心が蕩けそうに柔らかくなった。優しく神秘的な深さと、好奇心を隠すことなく見つめてくる素直さと。可憐な少女でもあり成熟した淑女のようでもある。
 早く口説きたいな。そう思ってにこりと笑いかけると、ははっとして目を逸らし、ますますマッシュの後ろに隠れてしまった。私の位置からは顔の半分しか見えない。ああ、残念だ。
 まだまだ彼女を見ていたかったが、そうもいかないのは王様の辛い所だ。マッシュとカイエンからドマ王国の惨状とケフカの行いを聞いてもなお、長老は首を縦に振らない。それどころか「中立でいた方が安全」などと言う。慎重と言うより臆病と言った方がいいか。レディに見つめられて癒された心が再びざわつき始めた時、扉が開く音と共に、懐かしい声が耳に飛び込んできた。
 「そんな事は無いぞ!」
 サウスフィガロからロックが戻ってきたのだ。それも帝国の元将軍だという目の覚めるような美しい女性を連れて。
 おかげで視線がロックよりも彼女に向かってしまった。流れるような金髪に、意志の強そうな青い瞳。薄紅色の唇はきりっと結ばれている。彼女はまだ無言だったが、息を飲む美貌だけではなく秘めている芯の強さが滲み出ており、その佇まいだけで周りを圧倒していた。
 いくらロックとはいえ、帝国の包囲網を潜り抜けながらの陽動作戦は危険極まりなかったから、こっちは心配していたというのに、セリスと言う名のそのレディがロックに熱を帯びた視線を送っているのは大変面白くない。私の心配を返してくれ。
 だがそんな事を思ったのも一瞬だった。激高したカイエンが、ガウ少年とを突き飛ばすように押しのけ、セリスに斬りかかったのだ(その際によろけたをとっさに支えることも、勿論私は忘れなかった)。
 一触即発の状況はロックがセリスを庇い、マッシュがカイエンを宥めて事なきを得た。さらにロックとセリスが持ち帰ってきた「帝国がナルシェに向かっている」という情報が決定打となり、ナルシェの長老はようやく戦う事を決めてくれたのだった。

 作戦会議を開く事になり、準備が出来るまで、それぞれが短い休憩を思い思いに過ごした。
 ナルシェの住民が軽食を用意してくれて、腹が減ったと呟き続けていたガウが我先に飛びついた。ビスケットを一口食べてカイエンに笑顔を向ける。カイエンの険しい表情が途端に緩み、ガウの隣に立った。ナルシェのガードの一人が持ってきた魚の塩漬けを「珍しいものでござるな」と言いながら興味深げに見ている。雰囲気も見た目も違うのに、この二人は親子のようだ。
 ティナは、マッシュに駆け寄って何か言っている。「色々あったけど無事だぞ、それに修行にもなったしな!」とマッシュの明るい声が聞こえて、安否の確認をしていたのかと知った。マッシュが流されたのを自分の責任のように感じて落ち込んでいたティナは、それを聞いて嬉しそうに笑った。記憶を封じられ操られていてもなお、人を思いやる優しいティナの柔らかい笑顔が眩しかった。女性の笑顔はそれだけで私を幸せにするのだから、本当に大したものだ。
 ロックとセリスは二人で何か話している。こちらはあえて他愛もない話をしているのか、時々ロックが笑っている。セリスは声こそ出さないが口元が綻んでいて、心を許しているように見えるのが切なかった。ロックに本気になってはいけない。本気になって傷つくのは目に見えている。
 「あの…」
 遠慮がちな声が思考を遮った。「支えていただいて、ありがとうございます……」
 腕の中にいたが見上げていた。大きな瞳に険しい顔の私が映っている。怖がらせたくなくて、私は優雅に笑って見せた。
 「気にする事はないよ、レディ」
 「へっ!?レディ?わたしが?」
 の声が裏返った。女性扱いは慣れていないのか、急に腕の中の体がもぞもぞして落ち着きを無くし始めた。警戒する小動物のようで、何だか可笑しい。
 「勿論君だよ。魅力的なレディが困っているのを助けるのは、男として当然の義務だ」
 「え!?いや、その」
 しばらくあたふたしていたは、困ったように再び見上げてきた。
 「そんなことは、ないです…」
 「自分が素敵なレディだという自覚が無いのかな?」
 「……ええと、あのですね。わたし、もう大丈夫ですから」
 大丈夫ですから、だから離して、とでも言いたげな言葉。望み通りに手を離そうとして、やっぱりやめた。
 こうして近くで見ると、は確かに美しかった。艶やかな髪に滑らかそうな肌、花弁のような唇に私を虜にした神秘的な瞳、それを縁取る長い睫毛。顔立ちや均整のとれた体つきだけ見ると、しっとりした色気さえ感じる美形なのに、表情や口調から受ける印象は少女そのものだった。いや、彼女は少女なのだが。とにかくその美しくて可愛い、魅力的なレディが腕の中で困っている。
その途方に暮れた顔にぞくりとした。私につかまれて震える肩に加虐心が沸いた。ああ可愛い。困らせたい。そのあと優しく慰めて、安心させて笑ってもらおう。笑顔もきっと可愛らしいに違いない。
 おや、私はどうしてこんなことを思っているのだろう。女性には優しくするものだと昔あれほど教えられたというのに。
 怯える少女が可愛くて、自分の矛盾も面白くて、明らかに困っているのにも関わらず、むしろもっと困らせるつもりで、背中を向けていたの肩をくるりと回して、私と正面で向きあう体勢にした。は両手で服の裾を握りしめていて、私と目があった途端、益々服の裾を固く握りしめた。嬉しくなって、にこりと笑いかける。
 「、と言ったね」
 「はい…そうです」
 「君にお礼を言わないと、と思っていたんだ。弟のマッシュを助けてくれたそうだね。ありがとう」
 「いえ、わたしもマッシュに色々助けてもらったから」
 「そうか。あいつは見ての通り頑丈だから、自分のペースでどんどん進んで、女性の君に無理をさせなかったか心配だ」
 「そんなことなかったです。マッシュはいつも気遣ってくれました」
 首を横に振っては答えた。さっきまであんなに不安そうだったのに、弟の話題になった途端嬉しそうになる。
 「マッシュはいつも、強くて頼もしかったです」
 「……そうか」
 レテ川下流からナルシェまでは、大分距離がある。時間もかかる。女性がついて行くのは相当な体力と気力が必要だ。そんなに大変な思いをして弟と旅をしてきた理由とは、
 「君はもしかして…マッシュの恋人、でもあるのかな?」
 あるいは弟に好意を持っているのか。
 はきょとんとした。
 「え…違います」
 「では、故郷に恋人は?」
 二度目の質問はまた、不思議そうに否定された。
 「いないです」
 「そうか」
 彼女が誰のものでも、弟の恋人でもない事に安堵した。私を捉えた彼女の瞳が他の男を愛おしく見つめるのを想像すると、どうにも面白くなかったのだ。
 「あのう、わたし、お腹がすいたので」
 質問が終わったのを確認して、今度はの方から話しかけてきた。「あそこにあるお茶とかお菓子とか食べたいんですが」
 は先ほどから離れたがっているようだ。目は既にカイエン達がいるテーブルをちらちら見ている。勿論彼女の願い通りにするつもりなど、全くない。
 「それはいいね。ちょうど私も小腹が空いていたんだ。一緒に行こう」
 私は親切そうな笑顔を作り、小さな肩に手を回した。が「えぇ!?」と情けない声を上げる。明らかにうろたえた顔は間が抜けていて、女性に対してこんなことを思うのは失礼だが、少し変な顔だった。
 怯えた顔、ほっとした顔、変な顔。本当にくるくると表情が変わるから目が離せない。色んな反応をするのが面白い。ああ、こんなに楽しい気分は久しぶりだな。の肩を抱いて上機嫌になりながら、私はテーブルに向かった。
 それは、ほんの一瞬の出来事だった。
 「ひゃっ」
 私との間に何かが差し込まれ、いち早く気付いたが仰け反って避けた。意外に機敏な反応にあっけにとられる間もなかった。よく見れば差し込まれたものは銀色の刃で、その切っ先は少しも動かず私の首にぴたり、と当てられていたからだ。
 「もう我慢できぬ、貴様、その手を離せ」
 剣を構えたセリスが、静かな声に怒りを含んで私を睨みつけている。
 「怯える女性を意のままにしようなど、男として最も恥ずべき行為だ、フィガロ王」
 驚いて小さな肩から手を離すと、はあたふたしながらセリスの横に立った。そんなに頷き、セリスは再び私を見る。私は両手を上げて降参の意を示した。そうしないと彼女の怒りは収まりそうになかった。
 「…軽率な行動は控えた方がいい。私は貴様のような軟弱で軟派な男が一番嫌いだ」
 「これは手厳しいな。肝に銘じるよ」
 「貴様が部下だったら切り捨てている所だ。今の私の立場に感謝しろ」
 釘をさすように言い捨てて、セリスはロックの元へ戻っていく。が「あの…ありがとう」と声をかけ、セリスは「気にするな」と返した。
 ロックといた時とは一変して、女傑と呼ぶのにふさわしい顔になっていた。流石は元将軍。叱られてしまったというのになんだか興奮するではないか。
 おっと、これではまるで変態だな、自重しよう。私は気を取り直して、はどうしてるかな…と、視線を移した。
 「かっこいい…」
 が、うっとり呟いている。頬を赤く染めて、両手を胸の前で祈るように組んで。
 「……は?」
 間抜けな声しか出せなかった。
 彼女の瞳は、魔法にかかったようにとろんとしていた。無垢に輝いていた瞳には色香さえ漂っている。
 もし私があんな風に見つめられたら、歓喜と興奮と欲情でどうにかなってしまいそうなのに、私を狂わせる夜の瞳を持つ少女は、私ではなくセリスを見つめている。計算違いも甚だしい。
 おかしいな。ここは私が彼女にそういう目で見つめられる場面になるはずだったのに。
 これは予想外の展開だ。だが、計算違いはそれだけでは終わらなかった。


 「お前さ。初対面で、しかも怖がってる女の子にあれは無いわ」
 まず、ロックには呆れられた。「自重しろよ」とだけ言って肩をぽんと叩いて去り、またセリスと楽しそうに話している。見せつけられているようで腹が立った。
 マッシュは私達のやり取りをいつの間にか見ていたようだ。ただ無言で私を睨み続け(これが一番恐ろしかった)、ユリアノに近づこうとするとすっと間に割り込まれ、なかなか接近させてくれなくなった。しかも不機嫌になった気がする。
 さらにロックから事情を聞いたバナン様が、私の近くに女性がいるのは危険だとばかりに、ティナもセリスもも離れた所に座るよう指示し、作戦会議の時は勿論、その後の夕食時ですら、麗しい女性が隣に座る事は無かった。
 そして何よりも計算違いだったのは、強引に迫りすぎた事でに危険人物とみなされてしまい、触れることは勿論、話しかける時でさえ、距離を取られるようになってしまったことだ。
 全くついていない。
 結果として私は、仲間が帰ってくる前よりも苛立つ羽目になってしまった。


 こうなったらこの怒り、帝国兵にぶつけてやる。
 ナルシェと氷漬けの幻獣を守り、そしてその後ゆっくりとを――私を捉えて離さない、夜の瞳を持つ少女を――口説く事にしよう。
 ケフカめ、覚悟していろ。




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