頬を撫でる風は冷たいが、酔いで火照った体には丁度いい。
久しぶりに酒を飲んだし、帰り道を照らす月は綺麗だ。
いい気分で歩く俺の前を、それ以上にご機嫌なが、ふらりふらりと歩いている。
世界崩壊という絶望的な状況で、全員生きて再会する事が出来た。喜びに湧く皆はあの後自分たちがどう過ごしてきたかを話していたが、が得意げに口を開いたときから、流れが変わった。
「皆がばらばらになってる間に、わたし二十歳になったんだよ」
全員がを見て、口々に祝った。
「そうなの? おめでとう!」
「殿も大人の仲間入りでござるな!」
「へへ、ありがとう」
「じゃ、少し遅れちまったけどお祝いをしないとな! 今日はご馳走だ!」
は待ってましたとばかりに目を輝かせた。
「ご馳走もいいけど、わたし、皆と一緒に酒場でお酒が飲みたい!」
なかなかに意外な言葉が、の口から飛び出した。ご馳走かデザート、あるいは可愛いアクセサリーだとか、そういう物を欲しがると思っていたのだが。酒場で酒を飲むなんて、日常の延長のようなものじゃないか。
「そんなんでいいのか?」
「うん」
セッツァーの言葉に、は首を縦に振った。
「二十歳になって最初に飲むお酒は、皆と一緒にわいわいしながら飲みたいって思ってたの」
ああ、そういうことか。
「なるほどな。じゃあ今日はお前の酒場デビューに付き合うとするか」
にやりと笑ったセッツァーは周りの皆に声をかけ、あっという間に「今夜は再会との成人祝いを兼ねて飲みに行く」という計画を練り上げ、参加者を募った。
最終的には酒場に入れない子供達、酒を飲まないティナにストラゴス、モグにウーマロがを祝福はしたものの飛空挺に残ることになった。さらにシャドウとゴゴも飛空挺に残るという。結局参加したのはいつも酒場に行く面子だった。
歩く道すがら、は「やっと皆とお酒が飲めるよ!」「皆が酒場に行くの見送るとき、羨ましかったんだよね!」「これまでもお酒を飲む機会はあったんだけど、この日のためにずっと我慢してたの!」「だってほら、皆がどうしてるか分からないのに、お酒に逃げるわけにはいかないじゃない?」とか色々話していた(この発言を聞いて、セッツァーは気まずそうに煙草を吸い始めた)。
とにかくは誰の目から見ても浮かれている。屈託なく笑う顔は二十歳にしては幼く見えて、それが俺の心配を煽った。
「、いい気分だからってあんまり飲み過ぎるなよ。二日酔いで青い顔してるロックやセッツァーの姿、今まで見てきただろ」
「勿論分かってるよ! 大丈夫、大丈夫」
何度も繰り返したやりとりを、は酒場に入った途端に全て忘れてしまったようだ。兄貴やセッツァーが選んだ、女性に人気のある酒を薦められるままに飲み、真っ赤な顔で「美味しい」と笑い、メニュー表にある酒の説明を聞いては「じゃあそれも飲む!」とはしゃぎ、飲むたびに「どれもおいひいねえ」と呂律が回らなくなっていった。笑うたびに体を動かし、何度も横に座る俺にぶつかっているのにも気づかない。トイレに行こうと歩き出せば足下がおぼつかなくなっていて、付き添ったセリスに手を引かれながら行き、体を預けるようにして帰ってきた。
がこの日まで酒を我慢していて本当に良かった。一人で飲んでいるときにこんな風になっちまったら、どこの悪党に何をされるか分かったもんじゃない。今日は初めてだから仕方がないが、次からが酒場に行くときは、必ず俺も付いていって飲み過ぎないように見張っておこう。密かに決意を固める俺の気など知らず、は4杯目を飲み終わり、5杯目を注文しようとメニュー表に手を伸ばしている。
「おっと、今日はその辺で止めておいた方がいい」
兄貴がメニュー表を取り上げ、やんわりと制止した。当然も「えーなんでーまだ飲めるのにー」とごねたが兄貴は折れようとしない。は助けを求めるように他の仲間を見たが、セッツァーは我関せずとばかりに煙草を吸い、ロックは兄貴の言葉に頷いている。セリスは乱れた様子も見せずにワインを味わっていた。カイエンはどうしているかと言えば、こちらはもう酔いつぶれたらしく、テーブルに突っ伏して眠っていた。
途方に暮れたは俺を見た。当然俺も加勢するつもりはない。「兄貴が止めなければ俺が止めてたよ。その辺にしとけ」と少しきつく言うと、流石にしゅんとして、俺が差し出したグラスの水をちびちびと飲み始めた。
酒を頼むのをやめたは、酒の代わりにと兄貴が注文したゼリーをちびちび味わっていたが、やがてその顔がとろんとしてきた。ゆっくり動かしていたスプーンを床に落とし、ぼんやりと眺めた後に拾う。そしてそのスプーンをまたゼリーの中に沈め、それを口に運ぼうとした。
「それ今落ちたスプーンだろ。なんでそのまま使うんだ。替えて貰えよ」
「あー……」
「……、もしかして眠いのか?」
思わず腕を掴み尋ねると、は何故か首を傾げた後、「……そうかもしれない」と呟いた。
何がそうかもしれないだよ、どう見ても眠そうじゃないか。
「俺、を連れて先に帰るよ。ここに置いといたらそのまま寝ちまいそうだ」
「それがいいな。俺達はもうちょっと飲んでから帰るよ」
ロックが片手をあげて応え、「ほらカイエン、お前も起きろって」とカイエンの体を揺すった。
カイエンが飲み過ぎて潰れるなんて珍しいことだ。今や娘代わりにも思っていると飲む酒は、特別に美味かったに違いない。
酒場を出た途端吹き付けてきた風は思いの外冷たかった。少しでも冷気を防ごうと上着の襟を立てている間には「満月だよー綺麗だねー」と、おぼつかない足取りで一人歩き出している。残念ながら皆が待つ宿屋とは逆方向だった。
「、帰り道はこっちだよ」
呼びかけたが、は鼻歌を歌っていて聞こえなかったらしい。やれやれと思いながら小走りで追いつき、また声をかけた。
「そっちは逆方向だ」
「んー?」
何に驚いたのかは目をぱちくりさせ、さらに何がおかしかったのか「あはは」と笑った。けれど俺の言うことは理解できたようで、向きを変えて正しい方向へ歩き出そうとした――途端、足がもつれた。
「おっと」
ある意味予想通りの動きだ。腕を掴んで転びそうになるのを防ぎ、もう片方の腕を背中に回して支えた。全く危なっかしい。一体どこが大人になったんだよ。
「危ないなあ。大丈夫か?」
「大丈夫。ありがと、マッシュ。おかげで少し酔いが覚めたみたい」
は転びそうになった自分を恥じるように、照れ笑いを浮かべた。確かにはさっきより落ち着いていたが、逆に今度は俺が落ち着かない気分になった。
俺を見て笑った顔が、やけに近い位置にある。
「マッシュ?」
「な、何でもない」
慌ててから離れ、頭をぶるぶると横に振った。は俺を不思議そうに見つめ、今度は嬉しそうに笑った。
「今日は楽しかったなあ。皆に再会できて、皆でお酒を飲めて。世界がこんなになってからがむしゃらに動いてきたけど、それが報われたよ」
そうだ、俺が仲間を探して一人旅をしたように、もなりに頑張っていたのだ。飛空挺での会話を思い出し、目の前の少女が過ごしてきた日々に思いを馳せた。
ブラックジャック号が二つに裂けた日、は気を失ったまま海を漂い、運良く故郷近くの砂浜に流れ着いたそうだ。
地形はかなり変化していたが、僅かに原形を留めている所もあり、それを頼りに故郷に向かった。かつてより強くなった魔物に手こずりながら何とか故郷に着いた彼女を待っていたのは、父の訃報だった。
が故郷を飛び出した理由に関しては、には全く非が無いし、父親とは元々不仲だった。だから訃報を聞いても心を動かされなかったが、町の権力者であった彼の後座を巡り、一時期町では諍いが絶えなかったらしい。その諍いの原因が、が町を出たことにあるとして直に文句を言われたりもした。だからは初め、故郷であるはずの町で居心地の悪い思いをしたそうだ。
だがはもう、内気で控えめなだけの少女ではなかった。不在を詫びながらも自分だけに非があるわけではないこと、この町にいる間は町のために働くことを宣言した。「誰も文句を言わないでいてくれたから、ほっとしたよ」とは本人の言葉だが、恐らくは、その時の雄には異論を唱える事を許さないだけの迫力があったのだろう。そして言葉通り、彼女は侵入してくる魔物を返り討ちにし、ならず者達から町の人々を守り、武器を使えない人々に武器の使い方を教え、町に貢献した。
数ヶ月経った頃、町に盗賊団がやってきたという話を耳にした。最初は町の治安が乱れないかと不安になっただが、意に反して盗賊達は、女に絡まず店で暴れず、盗賊だというのに物を盗むことすらしない。そんな奇妙な盗賊団を率いるのは、盗賊にしては品のある美形で、女性と見れば老若男女かまわず口説きまくる男だという。単に軟派なだけかと思えばそうでもなく、剣や槍の扱いにも長けていると言う話だ。俺とセリスがと再会したのは、彼女が盗賊団のボス、ジェフという男のことを調べようと思った矢先のことだった。
まあ、その盗賊のボスというのは、俺達がよく知る人物の仮の姿だったわけだが、それは省略することにしよう。
「俺も大変だったけど、も色々頑張ってたんだな」
ぽろりと零した言葉に、は照れたように笑った。
「マッシュだってずっと旅をして頑張ってたじゃない。だからこうして再会できたんだよ」
絶望してた人も、くじけそうになってた人も、どこかで希望を捨てなかったんだよ、きっと。そう小さく付け足したのは、飛空挺を失い酒浸りの日々を過ごしていたセッツァーや、絶望のあまり狂信者の集団に入信したストラゴスのことを慮ったのだろう。
俺は改めて、を正面から見た。
初めて出会った頃。彼女は髪を肩までの位置で綺麗に切り揃えていた。言動は今以上に子供っぽかった気がする。常にぱたぱたと落ち着かなく動いていた。その全てが、彼女を必要以上に幼く、頼りなさそうに見せていた。
けれど再会したは、人を引きつける黒い瞳に、強い光を宿していた。可愛らしいだけだった顔立ちは大人びて、芯の強さを感じさせた。それなのに言動は穏やかで柔らかく、対峙する相手を受け入れる優しさに満ちて、いつまでも見ていたいような気分になった。事実俺は当初、数年ぶりに再会したが驚き喜び、泣き笑いするその全ての所作に見とれていたのだ。
そして今、くるんと丸い瞳は酒のせいで潤んでいて、誘われているような心地になる。満月の光を浴びて輝く髪は背中まで伸び、しっとりした雰囲気を醸し出している。笑みを浮かべる口元は、やけに色っぽく見えた。
つまりは出会った頃よりもずっと強く綺麗になっていて、俺は出会った頃よりもずっと、を好きになっている。
「マッシュ」
が不意に俺の名を呼んだ。突然のことで、俺は「んん?」とも「ああ?」ともつかないあやふやな発音でそれに応えた。
「ぼんやりしてるけど大丈夫? マッシュも飲み過ぎたの?」
「いや、俺はを見てて」
「え?」
小鳥のように小首を傾げる何気ない動きまで、誘惑しているような動作に見えてしまう。いかんいかんと首を横に振り正気に戻ったときには遅かった。ついさっきぽん、と放った言葉をは聞き逃さず、「わたしを、見てたの?」と鸚鵡返しに繰り返す。
「あ、いや、深い意味は無くてだな!? ただ、は頑張ったんだなーってしみじみとさ」
「なあんだ」
は肩をすくめて、いかにも残念そうに呟いた。
「もしかしてわたしに見とれてたのかなって、自惚れちゃったよ」
図星だ。
ずくんと心臓が痛いくらいに高鳴り、その痛さに動けなくなった。はまだほんのり酔っているのだろう、自分の言葉に照れる様子もなく楽しそうに笑っている。その後しばらくは無言でにこにこと、俺も無言でかちこちに固まりながら見つめ合っていた。
俺達の間をひときわ冷たい風が吹き抜ける。のんびり歩いている間に、夜は大分更けてきたらしい。
「寒いな。早く宿屋に帰ろうぜ。風邪ひいちまう」
俺はから目を逸らし、さっさと歩き始めた。いいタイミングで風が吹いてくれた。いつかに好きだと伝えたい気持ちはあるが、それは今ではないからだ。じゃあどのタイミングで言うんだと聞かれれば、俺の心の準備が出来てから、としか言い様がないのだけど。
は、その場から動かなかった。
「、どうした」
「……ねむい」
「は?」
「なんか、眠くて。もう動けない」
さっきまではあんなにご機嫌だったじゃないか。異を唱えようとしたが、は何度も目を閉じかけては開け、ぼんやりとその場に佇んでいる。こっくりこっくり船をこいでいる姿を目の当たりにしては、何も言えない。
「もう少しで宿屋だから、頑張れよ」
「だめ。もう歩けない」
不機嫌な顔でその場にしゃがみ込んだは、甘えるように俺を見上げた。「マッシュ、おんぶしてほしい」
「おんぶって、そんな」
子供ならともかく、れっきとした大人の女性を背負うなんて、流石にまずい。ただの大人の女性ならいくらでも我慢できる。だが相手はだ。俺が十年かけて手に入れた動じない精神を、ちょっと笑うだけでなし崩しにしてしまう子だ。その子をおんぶするなんて、背中の重みだとか柔らかさだとかで、変な想像が膨らんでしまうに決まっているじゃないか。
無言で拒否の姿勢を見せると、も無言で懇願の意志を見せた。結局、というかいつも通り俺が譲る羽目になった。きっと一生修行しても、俺はこの子に勝てないだろうな。諦めにもにた確信を抱きながら、視線を外す。
「今日だけだぞ」
やがて感じるであろう柔らかな感触に動じないよう心構え、が負ぶさりやすいようその場にかがんだ。俺の妥協を悟ったのか、がのそりと立ち上がり、俺に一歩ずつ近づいてくる。
そのまま背中に負ぶさるかと思ったが、ひょい、と俺の前にかがんだ。
「ん?」
あれ、おぶさるんじゃないのか。予期しない動きを、多分俺はきょとんとした顔で見守っていたのだろう。が声を出さずに笑い、ふと真顔になった。その顔がゆっくり近づいてくる。
間近で見たは、やっぱりとても綺麗になっている。本当に随分と変わった。でも俺はずっとこの子が好きだったな。それにしても顔、やけに近くないか。俺が暢気に考えている間に、の顔はどんどん近づいてくる。
とうとう、柔らかな唇が、俺の唇を塞いだ。
「本当に寒いね。お酒飲んでいる間はぽかぽかしてたのに」
俺がぼんやりしている間に、はいつの間にか立ち上がっていた。猫のようにするりと俺の背後に回り、肩を掴んで体重を預けてくる。
「じゃあ、悪いけどお願いします」
「お、おう」
何気ない言葉は呪文のような効力を発揮した。言われるままにを負ぶって立ち上がり、宿屋に向かって歩き出す。が何も言わないから、俺も何も聞けないまま黙々と宿屋へと歩いていた。かといって冷静だった訳ではない。むしろその逆で、頭の中は色々な考えが巡ってしまい、爆発寸前だった。
このまま悶々としているのは、精神的に良くない。
「あのさ、……さっきのは、」
「……」
「?」
「……」
「寝てる……だと……」
大の大人をさんざん悩ませておいて、この子は!
やり場のない悶々とした感情の行き所を見失い、足下の石ころを力いっぱい蹴飛ばした。石ころは地面を走るように転がり、近くの小川に落ちる。それでも気持ちに収まりがつかず、無理矢理起こしてさっきのあれは何だったのか問い質そうとも思ったのだが、規則正しい寝息は気持ちよさそうで、起こすのが悪い気がしてすぐに諦めた。甘い甘いとセッツァー辺りには言われるがその通りだ。俺はどうしてもには甘くなる。
「全く、さっきのあれはどういうつもりだったのか、聞こうと思ったのに」
わざとらしいため息をついて聞きたかったことを独りごちた。肩に乗せた腕がぴくりと動いたのを確認し、さらに続ける。
「驚いたけど、嬉しかったぞ、俺は」
かみしめるように呟くと、寝ている筈の背中の人は、嬉しそうに小さな笑い声を立てた。
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