洞窟の探検を無事に終えて飛空挺に帰ってきた。いつもよりちょっと大変だった。それを誰かに話したい気分だった。
普段なら寝る前に女の子達に話すのだけど、今回一緒に探検していたリルムが「疲れたから今日は早く寝るね」と早々と宣言していたから、部屋でおしゃべりは出来ない。とはいえ話したい気持ちはどうにも治まらず、悶々としながら夕食を食べていた。
探検後だからお腹は減っている。ぺろりと食べた白身魚のフライが美味しくておかわりしようとした時、偶然マッシュと目が合った。マッシュと目が合う事はわりと良くあって、気のいい彼はその都度「どうした?」でも言うような笑顔を返す。いつもは反射的に微笑み返すのだけど、今日は悶々としていたから、変な間を開けてから笑顔を返してしまった。
マッシュはその微妙な間だけで、わたしの異変に勘付いた。修行の成果なのか、それとも王子様だった頃にお城の人の色んな表情を見ていたからなのかわからないけれど、彼はとても察しがいい。
とにかくマッシュは自分の食器をまとめながら「俺、武器の手入れをしてから寝るよ。みんな先に寝てていいからな」とエドガー達に言い、こちらを見て小さく笑った。
マッシュはいつも談話室で武器の手入れをする。つまり談話室で待っているという事で、他の人に先に寝るように促すという事は、みんなが寝るような遅い時間に待ってる、ということで間違いない。どうしてそこまで分かるのかというと、実はこんな風に示し合わせて二人で話すのは、今に始まったことではないからだ。
とにかく食事の後、冒険に持って行った道具を片付けたり次に探検に行く人達に今日の報告をしたりして、やがて皆が欠伸を始めたのを見計らって、お腹空いたからなんか食べてくる、と言って部屋を抜け出した。
思ったとおり、というかいつもどおり、談話室のソファーにはぴかぴかの武器を前にしたマッシュがいた。わたしに気付くと笑顔で迎えてくれたので、笑い返してその隣に腰を下ろしたのだった。
「今日の探検、大変だったのか?まあ最近は魔物も凶暴化しちまってやりにくいよな」
「それもある。前は逃げたり通り過ぎる魔物もいたのに、今は見境なく攻撃してくるのばっかりだからね」
「それもあるって事は、魔物以外にも何か手こずったのか?」
「…あのさ、今回の探検のメンバーって、わたし、リルム、ガウ君、モグちゃんでしょ?なんか違和感を感じない?」
マッシュはすぐわたしの言いたい事に気付いたのだろう。そしてそれを口に出しては失礼だと思ったのだろう。礼儀正しい彼は言葉を選ぶようにゆっくりと、躊躇いながら口を開いた。
「あくまで俺個人の印象だけどさ、頼りないというか、その、リーダー不在のパーティーだな、って…」
「そう!」
マッシュの言う通り、今回はまさにリーダー不在だった。
パーティーを率いるのは、普段からまとめ役であるエドガー、みんなを引っ張ってくれるマッシュ、森も洞窟も塔もお任せのロック、知恵と経験が豊富なカイエンさんとストラゴスさんが多い。だけど今回はみんな別の場所に冒険に行ったり大事な用があったりと都合が悪く、わたしがリーダーとして頑張る羽目になった。
絶対に無理だと思い、もっと上手くやれそうな人に代わって欲しかったのだけど、子ども達はわたしを頼りにして、出発の時間や準備する物をあれこれ尋ねてくる。それに答えているうちに徐々に「期待に応えないと!」という気になって、メンバーの先頭に立ち指揮を取ったのだった。
「はは、そりゃ大変だったな。ま、愚痴ならいくらでも聞いてやるぞ?」
本当に、マッシュは強くて頼もしいだけでなくとても親切だ。その言葉に甘えて、わたしはこれまで以上に道中を詳しく話した。
安全第一で戦いの指揮を取り、進むか引き返すか野宿するか慎重に判断したこと。洞窟の道順を必死で覚えて迷わないよう気を付けたこと。それなのにガウ君は言うことを聞かず迷子になりかけたり、リルムとモグちゃんは口喧嘩を始め、纏めるのが大変だったこと。リーダーだから(それに子どもばかりだから)、夜中みんなより長い時間火の番をしたこと。何とか無事に洞窟を抜け、飛空挺が見えてきた時は本当に安心したこと。
一気にまくしたてたせいでマッシュは目を丸くしたけれど、徐々に話に引き込まれるように身を乗り出した。いいタイミングで相槌を打ち、同意するように頷き、苦笑する。それがわたしをさらにいい気分にさせた。
「もちろんわたしだけじゃなくてみんなも頑張ってたよ。リルムなんて、疲れきってもう寝ちゃってるくらい。それでも達成感はすごくあったよ。無事にみんなと戻ってこれた!って。リーダー役なんて無理だと思ってたけど、必死で頑張ったら何とかなるんだね。それが分かって良かった」
「はこの旅で随分成長したんだな!」
「うん。まあ、本当に大変だったけど。あ、そうだ」
マッシュに笑い返して、わたしはもう一つ嬉しかったことを思い出した。
「あの洞窟、メンバーを変えてまた行こうって話になったでしょ?それでさっきまで次のメンバーに引き継ぎしてたの。洞窟までの道とか、出てくる魔物の特徴と弱点、洞窟内の様子とかさ」
「ふんふん」
「その時に説明が分かりやすいってセッツァーに褒められたの。あと洞窟の地図、初めてにしては良く描けてるってロックにも褒められたんだよ!」
セッツァーはほとんど人を褒めない。一方ロックほど冒険において経験豊富な人はいない。皮肉屋のセッツァーと冒険家のロックに認められたのはとんでもない事件なのだ。
「そりゃすごいな!あの二人に褒められるなんて、俺だって滅多にないのに」
マッシュはわたし以上に興奮し、わたし以上に嬉しそうに笑う。ああ、やっぱりこの人と話すの好きだなあ。毎回マッシュと話すたびに思うことをまた思いながら、今日の出来事を改めて振り返る。
旅は大変だったけど、頑張って良かった。そのことを心行くまで話せてよかった。
話を聞いてくれたお礼を言おうと上げると、マッシュもわたしを見ていた。マッシュと目が合う事は多いけど、そのまま見つめ合う事はまずない。目を逸らすのは不自然な気がしてそのまま見つめあっていると、空色の瞳を細めて、マッシュは語りかけるように口を開いた。
「俺は、なら大丈夫だと思ってたよ。は苦手な事も、頑張って克服してるだろ?」
「だって頑張らないとみんなに迷惑かけちゃうし、今回だってみんなを守らないといけなかったし」
「はは、優しいな。だからガウもリルムも、を慕ってるんだな」
「そうかなあ。あの二人は、みんなにもああだと思うんだけど」
「俺はリルムとガウは、と話す時が一番楽しそうに見えるぞ」
ふるふると首を横に振って、わたしは目を伏せた。
「そんなことないよ」
「はは、謙遜すんなって」
「謙遜じゃないよ…」
どうしてだろう。今日のマッシュは凄く褒めてくれるせいか居心地が悪い。さっきセッツァー達に褒められた時は単純に嬉しかったのに、今はなんだか恥ずかしい。マッシュがいつもと違って、大切で仕方ないものを見るようにわたしを見ているせいもあるからかもしれない。
談話室は急にしんとした。話し終わった途端そそくさと「じゃ、おやすみ」と帰るのも失礼だし、脚をぶらぶらさせながら必死で話題を探した。けれど探しても探してもこれという話題は見つからず、聞こえる音らしい音と言えば、脚をぶらつかせた時の衣ずれの音と分の耳鳴りだけだ。
「は自分で思ってるよりもずっと凄いんだぞ。小さい子に優しいし努力家だし、いつも一生懸命だ」
「そうかな…」
「ああ。だからもっと自信を持てよ」
「う、うん」
「まあ、そういう驕らない所ものいい所なんだけどな」
マッシュは自分の手元を見ながら淡々と話している。なのにわたしの困惑した顔も、動揺している心も見透かされているみたいだ。
例えばわたしが立ち寄った町の話をしたら、そこから派生するようにその町に行った他のメンバーの話になったり、その町で有名な食べ物の話になったりとする。当たり障りのない話からは当たり障りのない話しか生まれない。だから安心して二人きりでいられたのに、わたし自身が会話の軸になるなんて考えた事も無かった。
「わたし、そんなに立派じゃないんだけどなあ」
伸びをしながらわざと間抜けな声を出した。わたしの他愛もない話をマッシュが笑いながら聞き、しばらく雑談して、午前0時の時計の音でお休みを言いながら部屋に戻る、いつもの一日の終わりになるはずだった。それなのにどうしてこうなったんだろう。
伸びをした手を何でもない風に下ろすと、その手が少しだけマッシュの手と当たった。そこだけ不思議に熱くて、熱の鎖でつながれているみたいだった。
マッシュがわたしを見て小さく笑った。掠れた声で低く笑う様子は、まるで知らない人みたいだ。こういう風に笑う男の人は何度も見たことがある。身近でない所では、酒場のカウンターで、男の人が隣に座る女の人を見つめながら。身近な所では、ロックがセリスと二人だけで話している時に。その笑顔には特別な意味があるのだと流石に知っている。
いつかわたしにもそんな笑顔を向けてくる誰かが現れるのかな、と何度か想像したことがあった。相手を想像する時、真っ先に浮かぶのはいつもマッシュだった。けれどそれは兄のように慕っている身近な存在だから最初に頭に浮かぶというだけのことで、特別な人だからというわけではない。自分がそんな風だったから、マッシュもそうなのだと勝手に思っていた。けれど違った。マッシュはわたしに、もっと別の感情を持っている。
滅多にない静けさは、忘れていたことを思い出させた。マッシュはお兄さんみたいな人だけど、決してお兄さんではない。大人の男の人だ。その人と二人きりでここにいるのだ。
「あの、話、いつも聞いていてくれてありがとう。マッシュももう眠いでしょ」
低い声でマッシュがまた笑った。
「まあ、少しは眠いけど」
「だよね、ごめんね引き止めちゃって!じゃ、もう寝るから」
何かが大きく変わる前に逃げないと。焦る気持ちが身体に出てしまい、わたしは勢いよく立ち上がった。あわよくばそのまま「おやすみ!」と言って逃げ帰る予定だった。
「!」
出来なかった。
「駄目」
マッシュが、わたしの服の裾を掴んでいる。驚いて固まっている間に、マッシュは一度手を離し、今度はわたしの腕を掴んで引っ張った。立ちあがったばかりのソファーにまた座ってしまっても驚きから抜け出せず、あれほど頭を占めていた「逃げる」という選択肢が、不思議なくらい浮かんでこない。腕を掴んでいるマッシュの手の熱さを振りほどくことが、どうしてもできなかった。
「、あのさ、聞きたいことがあるんだよ」
「…なに?」
マッシュは自分の行動を一切説明せずにわたしを見つめた。目を逸らすことなど許されないような気がして、真摯な瞳を見つめ続けた。わたしに逃げるつもりがないのを悟ったのか、マッシュはふ、と目を閉じ、しばらくしてまた開いた。
「、俺のこと、どう思ってる」
「ど、ど、どうって、なんでそんなこと聞くの」
「決まってるだろ」
好きだからだよ。
さらりと言ったようで、その実マッシュの声は微かに震えていた。朗らかな顔に痛みを堪えているような必死さを浮かべている。
「で、はどうなんだ?」
ずきん、と胸が痛くなった。その痛みで言葉が出なくなったみたいに、わたしは何も言えなくなってしまった。
静かなせいか、時計の秒針がやけにうるさい気がする。わたしが長い時間無駄に黙りこくっているのだと言わんばかりに、規則正しく時を刻む。息苦しい空気、わたしを見据えるマッシュの瞳、責めるような時計の音、その全部がわたしを焦らせる。
もちろんマッシュを嫌いではない。むしろ好きだ。だからと言って好きだと答える事は出来ない。だってわたしの「好き」とマッシュの「好き」は全然意味も重さも違うから。そもそもさっきまでマッシュの気持ちに気付いていなかったわたしにとって、今は告白された、という事実を受け止めるだけで精一杯だ。
結果的に好きだとも嫌いだとも答えられず俯いてもごもご言っていると、頭の上で笑う気配がした。
「そんなに動揺しなくてもいいだろ。別に怒ってるわけじゃないんだし」
顔を上げると、いつもの人の良い顔をしたマッシュがそこにいる。戸惑っているとさらに「なんか怖がらせちまったみたいだな。そんなつもりじゃなかったんだが、ごめんな?」と困ったように笑った。さっきまでの張り詰めた空気が嘘のように緩んでいる。 わたしは深く長い溜息をつき、やっと口を開いた。
「……だって、急に言われたから、びっくりして」
「はは、そうか。まあ言ったのはいきなりだが、好きだと思ってたのは本当だからな?」
「別に、そこは疑ってないけど…」
「ならよかった」
屈託のない笑顔に、急に許されたような気がして曖昧に笑い返すと、あくびをするような柱時計の音が響いた。戸惑っている間に随分時間が過ぎていたらしい。
気だるげな音に先に反応したのはマッシュで、「なんだ、もう寝る時間か」とテーブルに置いた武器を手に取った。光沢を確かめるように眺めた後、袋にそれをしまいこんだ。一連の動作をぼんやり見ていたわたしと目が合うと、「じゃあ、おやすみ」と、何でもなかったかのように帰ろうとしている。
「え、帰っちゃうの?わたしの返事、聞かなくていいの?」
「、ちょ、声でかい」
マッシュはジェスチャーで声のボリュームを落とすよう合図した。
「聞きたいのは山々だが気長に待つよ。どっちみち答えられないだろ?見りゃわかる。そうだな、この旅が終わるまでに返事してくれれば」
「そんなにのんびりでいいの?どうして」
わたしの問いに、マッシュは即答した。
「もしが無理矢理出した答えがノーだったら、こんな悲しいことないだろ。それに…」
「それに?」
マッシュがふ、と俯き、頭をがしがし掻いた。と思ったら「あー」とか「うーん」と間延びした声をあげ続けている。やがて俯いた顔を上げた時、マッシュは少し赤くなっていた。やっと、という感じでわたしを見つめる。わたしも、返事を即答しなくていいと知った安心感から、その目を見つめ返した。
「…旅が終わるまでには、俺を好きにさせてみせるから。だからまだ、返事はいらない」
おやすみ、また明日。ぎこちなく挨拶して別れた後も、心の中は色んなことが渦巻いていた。
マッシュがわたしのいい所をずっと見ていたこと、好きだと言われた事、初めて見る笑顔、先延ばしでいいと言われた返事。
確かにマッシュの言うとおり、すぐに答えなど出せなかった。嫌いではないけど深く好きでもなかった。これから自分の心がどう変わるのか自分でも分からなかった、あの瞬間までは。
俺を好きにさせてみせる、そう言ったマッシュの、照れと決意の混ざった真剣な瞳。その瞳を見た瞬間、全てが決まった。文字通り心を打ち抜かれた。
色々な出来事に戸惑ってばかりの中、心の奥に新しい感情が芽生えたことは理解していた。地上の嵐が土深くに眠る種に何の影響も与えないように、渦巻く感情が干渉出来ない部分で、その気持ちはきっと育っていくのだとも確信していた。
マッシュは、鈍感だ。
好きだと言ったくせに、まだ返事はいらないなんて、優しく気遣ってくれて。
そうかと思えばあんな風に見つめて、らしくもない強引な台詞なんか言って。
それなのに、何事もなかったかのようにそのまま帰っちゃって。
きっとわたしがとっくに恋に落ちている事なんか、気付いていないんだろう。
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