談話室の二人掛けのソファーには、身を縮こませたが、それでも足りないとばかりに正座して、ただし左足だけは伸ばしたまま震えている。廊下へ続く扉の向こうからは仲間達が様子を伺う気配を感じていた。何かあったら飛び込む心づもりでいるのだろう。そんな心配をさせるほど、今の俺は恐ろしいほどの怒りのオーラを放っている訳だ。
 実際、怒っていた。何が起こっていたのか知りもしないで呑気に筋トレをしていた自分にも、その場にいたのに気付かなかった他の仲間達にも、それに何より、自分のした事の重大さに未だ気付かずおどおどしている目の前のにも。
 彼女の右腕には、出来たばかりの傷跡があった。引き裂くような傷痕は明らかに動物か魔物の爪によるもので、消毒してあるとはいえ赤さが痛々しい。左足だけ伸ばしているのは足首を捻ってしまって正座出来ないからだ。
 そう、
 彼女が傷を負った原因は、彼女自身にあった。


 話は少し前に遡る。
 いつものように甲板でトレーニングに励んでいた俺は、休憩しようと甲板の端に立ち、生ぬるい風を肌に感じながら荒れた大地をぼんやり眺めていた。しばらくそうしていると、やがて数人分の黒い人影がこちらに近づいて来た。影は思った通り仲間達のもので、手を振って上からお帰り、と声を掛けようとしたのだが、すぐに止めた。が兄貴に背負われていたのだ。
 兄貴が時々背後を振り向いて話しかけ、それにが答えているようなやり取りを見た。ガウが周りに纏わりつき、その後ろにはロックとストラゴスがいた。皆急ぎ足で戻ってくる。戦いの途中で怪我をしたのだろうか。この辺りは強い敵が出るところでは無かったはずだが。
 気になって中に戻り、談話室に駆け込んだ。が良く座るソファーの周りに皆が集まっている。人だかり(と言うほどでもないが)の一番後ろにいたストラゴスが振り向いた。
 「修行かえ?精が出るのう。ワシの若い頃を思い出すゾイ」
 「じいさん、怪我したのか?兄貴におぶわれてるのを見たんだが」
 「ん?ああ、心配するほどの怪我じゃ…なんじゃその顔は、心配ならほれ、見てみい」
 場所を譲ってもらって見ると、がティナに傷の消毒をしてもらっている所だった。怪我したのは腕だけかとほっとしたのもつかの間、左足首が変に腫れている。リルムが湿布を貼ろうとしていたのだが、貼ろうとした瞬間「いてっ」とが顔をしかめ「痛いから後で貼る」と丁重にお断りしていた。
 しかめた顔をがふと上げた。丁度目があって、恥ずかしそうに笑う。確かにとんでもなく酷い怪我ではないようで、安心して俺も笑い返した。
 「おんぶされて戻ってくるから何事かと思ったよ。大丈夫か?そんなに戦闘に手こずったのか?」
 「ううん」
 「え、じゃあその怪我は…」
 「これ?これはねえ、ナッツイーターにやられたの」
 「は?」


 その日はを含めた数人が、飛空挺を降りていた。戦って経験を積むためと言うよりは、数日間空を飛びっぱなしで地面が恋しくなったり、訛った身体を動かしたかったり、つまりリフレッシュのため、というのが大きい。この辺りの魔物は最早俺達の敵ではなく、おまけに空からやってきた飛空挺を警戒して身を潜めているのか、どんなに歩き回っても魔物には出会わなかったそうだ。
 それは予想の範囲内だったので、手頃な場所を見つけた女性陣は持って来たお弁当を広げた。赤い空に荒れた大地でピクニックなんて少々シュールだが、弁当は美味いし魔物は来ないし、それなりに楽しい時間だったらしい。
 やがては腹ごなしにその辺を一人で散策し始めた。適当にうろうろしていると可愛らしい鳴き声が聞こえてくる。声のする方に向かうと、子どものナッツイーターが巣穴の前で2匹じゃれ合って遊んでいた。
 可愛いな、と思って近付くと、気配を察知したナッツイーター達は巣穴の中に逃げてしまった。がっかりして帰ろうとした時、さっきまで二匹がいた所に大量のクルミが落ちているのに気付いた。中には齧りかけのものもあったが、手つかずのクルミが殆どだ。
 世界が崩壊してから、こんなにたくさんのクルミを見た事が無い。嬉しくなってお土産に持って帰ろうとクルミを拾い始めた瞬間、それは起こった。
 急に背中に殺気を感じ、反射的に飛びのいた。わずかに間に合わず右腕を何かが掠める感触がして、腕にじわりと痛みが広がった。何者かと見れば、先ほどの二匹の親らしいナッツイーターが鋭い爪を光らせて立っている。子どもに近付き、大好物のクルミまで奪おうとする人間を前にして、異様に興奮していたそうだ。
 ナッツイーターはそんなに凶暴でも強くも無い。その可愛さに油断するとか不用意に手を伸ばしたりしなければ、噛みつかれる事も無い。今のなら余裕で撃退できるはずだった。
 が、最初の一撃を腕に食らった事では焦った。慌てて逃げようと駆け出した途端石につまずいて転び、足を捻った。反撃しようにも、すぐ戻るつもりだったから剣も持っていない。這いずるようにして逃げていた時、の姿が見えない事に気付いた皆がやってきてこの状態を目の当たりにした。これは運が良かった。人間の数が増えた事でナッツイーターは怖気づいて逃げ、は兄貴に背負われて、とりあえずは無事に飛空挺まで帰って来たのだから。
 「あの時はちょっと怖かったよー、今日は失敗したけど次あの巣穴に行ったら、クルミ取れるかもしれないなー」
 は笑って話を締めくくった。が、今度は笑い返す気にはなれなかった。むしろこみ上げてきたのは怒りだった。
 「…馬鹿野郎!」


 確かにナッツイーターは弱い。だが丸腰の上、呪文も忘れてしまうほど慌てていては、万一の事が起こらないとも限らない。現には危機に陥っていた。怪我を負い足をくじきながらも鋭い爪と前歯から逃げられたのは、たまたま皆が気付いてくれたからだ。
 そこで反省する素振りも見せず、あろうことかへらへら笑っている。全く懲りていない。
 それに、だ。世界が崩壊してから魔物も凶暴化している。外を歩く時は常に武器を身に付けるのが暗黙の了解になっている。俺も兄貴もそうしているし、子どものリルムでさえそうしている。なのに僅かな時間とはいえそれも守っていないのはどういうわけだ。
 強くなったせいで自信過剰になっているのか、怪我したら皆が心配する事が頭から抜け落ちているのかは分からないが、とにかく自分の不注意で危ない目にあった自覚が無さすぎる!
 言いたい事、言うべき事を殆ど怒鳴るように伝えた後、俺は険しい顔を崩さず、ユーリを睨みつけていた。
 その結果がこれだ。は震え、俺は怒り、なんのかんのと理由を付けてその場を去った仲間達は、皆ドアの外で俺達の様子を伺っている。


 まるで父親ね。しかも雷親父だ。正論とはいえレディに声を荒げるのは如何なものかな。ドアの外でセリスとロックと兄貴が好き勝手に盛り上がっている。何だ父親って。俺は心配しているだけなのに。
 「………だってさ」
 長い沈黙の後、彼女がやっと口を開いた。俯きながら喋るので、ぼそぼそとして聞き取りにくい。
 「久しぶりにさ、クルミ、見たんだもん」
 「それがどうした。自分の命よりもクルミの方が大事だってのか?」
 「……クルミ持って帰ったらさ、マッシュ、喜ぶかなって…こないだ食べたいって言ってたから」
 「!」
 はっとした。そう言えば数日前、最近クルミを見かけないとかクルミが恋しいとか、そんな話をとしていた覚えがある。しかも「クッキーに混ぜて焼くのも美味しい」「そのままでも美味い」「クルミは万能」と、かなり熱く語っていた。は「マッシュって本当にクルミ好きなんだねー」と笑っていただけなのに、思い返せば馬鹿馬鹿しいあの力説を、しっかり胸に刻み込んでいたのだ。
 無茶な行動は俺のためだった。知るや否や怒りは消えてしまい、今度は喜びで小躍りしたくなった。我ながら単純だ。いや、惚れた弱みと言う奴かもしれない。
 だけどあんなに怒った手前、喜びを露骨に表すのも何だか格好悪い。そこでわざとしかめっ面を作り、精神を集中させて呪文を唱えた。それこそクルミ程度の大きさの氷が数個空中に出来上がり、重さで床に散らばる。魔法は苦手だがブリザドくらいなら何とかなるのだ。屈んで散らばった氷を拾い集め、手近にあったタオルにくるんだ。
 「足出してみろ」
 「……」
 リルムの時は痛みで断ったのに、駄々をこねたらまた怒られると思ったのか、は素直に腫れた足を出した。
 「足、痛くないか?」
 「大丈夫。ひんやりして気持ちいい」
 「捻挫は冷やすと治りが早いし、痛みも引くって修行の時に教わったんだ。あと10分くらいは冷やすからな」
 「うん」
 リルムの時は断ったのにー!リルムの治療は荒っぽいからのう。マッシュ殿は手慣れているでござるな、面倒見のいい兄貴分でござる。
 それぞれリルム、ストラゴス、カイエンの声を聞きながら足首を冷やしていた俺は、ふ、と視線を上にずらした。良く見ると膝から太ももにかけて、湿疹みたいなものがある。何だこれ。
 「、湿疹が出来てるぞ。これ、どうした?」
 「あ、それ?それは、モルボルにやられたの」
 「は?いつ?」
 そんな話は聞いてないぞ。
 「ええと、半月ほど前かな。野宿の途中で洞窟を見つけて、何だろうと思って入ってみたの。奥に入るにつれて変な臭いがしてきて、臭すぎて引き返そうとしたら気配を感じたのね。そしたらモルボルの巣だったみたいで、うじゃうじゃいたの、そこに。で、まあ何とか逃げ切れたんだけど、臭い息が足にかかってたみたいで、その後痒いなーと思ったら湿疹が出来てた。今は何ともないんだけどねー」
 「一人で入ったのか?」
 「うん」
 「………」
 「マッシュ?」
 「……大馬鹿野郎!!!!」


 治まった怒りが蘇り、またも俺は怒鳴った。
 「何が出るか分からない洞窟に一人で入るなんて、どんだけ危険な事か分かってるのか!?しかもそれがモルボルの巣だぁ?下手すりゃ死んでんだぞ?」
 「ご、ごめん」
 「世界が崩壊してから危険な場所が増えたのは知ってんだろ?怪しい場所を見つけたらまず報告、一人で突っ込むなってのが皆で決めたルールだってのに、なんで一人で入ったんだ?自分の力を過信したのか!?」
 「そんなこと無いよ!剣も持ってたし防具も装備して入ったから」
 「じゃあ、なんで」
 「皆に報告しようとしたんだけど、中がどうなってるのか気になって気になって、ちょっと覗くだけならいいかと思って」
 「で、覗くだけじゃ我慢できずに奥まで入ったんだな?」
 「うん…」
 確信した。は自分の強さを過信している訳でも、周りの心配を忘れている訳でもない。ただ、元々先の事を考えるのが不得意なうえ、時々好奇心が警戒心を上回るものだから、軽い気持ちで興味のある所に首を突っ込んでしまうだけなのだ。ひょっとすると今回の件以外にも色々やらかしているんじゃなかろうか。今の大声は皆にも聞こえたらしく、モルボルの巣に入るとかイカレてやがるぜ…と、セッツァーの感心と呆れの混じった呟きが聞こえてくる。
 「マッシュ、あの、ごめん」
 「…とりあえず湿疹も見せてみろ」
 「う、うん」
 確かに湿疹は赤みも引いて治りかけているように見えた。だが念のため救急箱に入っている軟膏を取り出し、湿疹のできている個所に薄く塗った。ケアルを使えば捻挫も湿疹も一発で治るのだろうけど、俺は回復魔法が得意じゃない。それに戦いの最中に負った怪我ならともかく、不注意による怪我を安易に魔法で治すのは、長い目で見るとにとって良くない事のような気もした。そう言えばは回復魔法が得意な筈なのに、何故魔法で治そうとしなかったのだろう。
 「なあ、湿疹もだけど、この捻挫も怪我も、帰ってくるまでにケアルで治さなかったのか?」
 「モルボルの時はとにかく逃げるのに必死で、魔法を後回しにしてたら酷くなってたんだよね。今日の怪我はわたしもみんなも慌てちゃって、治す暇も無く帰って来ちゃったの」
 「そうか」
 「うん」


 はどうも、人気のない場所に対して警戒心が薄いな、と思った。
 普通なら人気の無い場所でこそ魔物に警戒しそうなものだが、親から受けた仕打ちや故郷の住人の目に耐えられず旅に出た彼女にとって、人のいない洞窟や何かの巣穴は好奇心の赴くままに行動できる場所であり、むしろ人のいる所こそ警戒すべき場所なのだろう。現には街や村に入る時、どんなに治安のいい場所でも、仲間数人で出かけるときでも、短剣など護身用の武器を必ず身に付けていて、俺が知る限り忘れた事は一度も無い。
 それだけ彼女が人から受けた恐怖と不快感は根深い、ということか。
 苦いものがこみ上げて来て、すぐに我に返った。今俺が物思いに沈んでどうする。
 確かに悪い奴はどこにでもいるから、街で警戒するのは悪いことではない。だがその警戒心をもう少し、他の場所でも発揮して欲しいものだ。


 腫れあがった足首を冷やしながら、口を開いた。
 「あのなあ、。皆が慌ててたって事は、それだけ君を心配してたってことなんだ」
 が俺を見た。
 「君が皆に黙って危険な所に行って、トラブルに巻き込まれて帰ってこれなくなったら、俺達はどこに君を探しに行けばいい?帰りを待ってるのに、心配しているのに、いつまでも君が戻ってこなかったら、どうしたらいいんだ?」
 俺の言わんとしていることに気付いたのだろう。がいたたまれないような表情で涙ぐんだ。
 「さっき甲板から見てたらさ、君が背負われて帰ってきたから、酷い怪我じゃねえかと心配したんだぞ」
 まあ、少しだけ兄貴に対する嫉妬もあったのだが。この子に何かあった時、一番先に駆けつけるのは俺でありたかった。
 「…ごめん」
 「皆を心配させるような事はしちゃいけない。分かったか?」
 「うん!」
 「よし。…しかし、しばらくは足首を動かさないようにしないとな。包帯で固定しとくぞ」
 「うん」
 ドアの向こうから「ふふ、お母さんみたいね」とティナが嬉しそうに言うのが聞こえた。さっきから父とか兄とか母とか、もういいっての。
 救急箱にあった包帯を足首に巻いてやっている間、ずっと手元に視線を感じていた。巻き終わって顔を上げるとの瞳をまともに見てしまい、つい目を逸らした。
 の目は、吸い込まれそうな瞳とはまさにこれとでも言うような、ずっと見つめていたい魅力があるので困る。危険なことはしないよう再び念を押すつもりだったのに、俺のために危険な目に遭った事と、何か言いたげなこの瞳を見ていると、まあいいか、とふわふわした心持ちで許してしまいそうになるのだ。
 まだ許してはいけない。一人で行動する時は誰かに行き先を言うこと、危険な場所には近付かないこと。この二つを約束させなければ。
 「、あのな、」
 「マッシュ、わたしね!」
 一瞬早くが大声を出した。驚いて「お、おう」と応えると、はきりっと顔を引き締めた。
 「マッシュに言われて気付いた。わたしが今まで考えなしに行動してたってこと」
 「あ、そ、そうか」
 「今度から気を付ける!だってみんなに心配させちゃいけないもんね!」
 「…ああ」
 なんだ、軽はずみな行動だったことを、も気づいていたんじゃないか。
もう念を押す必要はなさそうだった。何も分かっていないようだったらあと一時間は説教しようと本気で思ったんだが。
 俺も怒りすぎたし、本人も反省しているようだし、そろそろ許してあげよう。
 ふう、と息を吐いて、の顔に怪我が無かった事に安堵しながら、肩に軽く手を置いた。
 「まあ、これからは危険な場所に一人で行くんじゃないぞ」
 「うん!わたしこれから、ナッツイーターの巣穴と、モルボルの巣には絶対近付かない」
 「そうだな…え?」
 微妙に意思のすれ違いみたいなものを感じた。確かにその二か所、近付かないに越した事は無いのだが、近付かない範囲が少し限定的すぎやしないか?
 「なあ、
 「ん?」
 「例えばだ。例えばだぞ。今日みたいに皆で出かけて、休憩中一人で森の中をぶらぶらしていたら、怪しげな小屋を見つけた。どうする?」
 「近付いてみる」
 「………近付いて、中に誰もいないようだったら?」
 「一応ノックしてから中に入る」
 「そうか………」
 要するに、危険が身にしみた場所には決して近付かないと約束してくれたが、それ以外に興味を持った場所には近付いてみるわけだ。頭に変な痛みを感じながらを見れば、生真面目そのものの顔で「マッシュどうしたの?具合悪い?」と聞いてくる。悲しい事にふざけてなどいないようだった。
 ああ、俺の言いたい事、半分は分かってくれたけど、半分は分かってない。
どうすればいいんだ、とドアの向こうにいる仲間達に助けを求めようとしたが、飽きて部屋に戻ったのか、既に人の気配が無くなっている。本来なら分かってくれるまで説教する所だけど、さっきの説教中既に泣きそうになってたから、これ以上やると泣きだすかもしれない。それにはこっぴどく怒られると、怖さと気まずさで、しばらくは怒った相手に近付かなくなるから、それは俺が嫌だ。かと言ってまた不注意で危ない目に遭わせたくない。
 考えて、考えて、俺は結局怒らない事にした。
 「まあ、今日は本当に危ないとこだったんだ。それは分かってるよな?」
 「…でもね、わたし、一人であちこち歩くの好きなんだよ。穴とか洞窟とか茂みとか、何があるんだろうってわくわくするの…それで…つい…」
 「それで皆が心配する羽目になったんだぞ?何度もこんな事が続くようなら、俺ならの散策を禁止する」
 「そんなのやだ!ね、わたし、次から本当に気を付けるから」
 「じゃあ約束してくれ。気になる場所を見つけても、一人で近付かないこと。それに散策する時は、誰かを…旅の面子の中に俺がいる時は、まず俺を誘うこと。いいな?」
 「マッシュを?なんで?」
 不思議そうな顔のに、俺は、そうする事がどれだけいい事かを説明した。
 「俺も散策について行けば、が気になる場所を見つけた時、一緒に探検できるからさ。それにより俺の方が、魔物や動物の気配を察知するのは得意だぞ。もし魔物が出ても、二人なら何とか戦って逃げ切れる。どうだ?」
 いいアイデアだろう?とばかりに笑いかけると、「……本当だ!」との顔が輝いた。好きな散策を禁止されずに済み、面白そうな場所にも近付いていいのだから(俺と一緒という条件付きだが)、そりゃ嬉しいだろうな。
 「じゃあ、今度から面白そうな穴とか洞窟とか見つけたら、マッシュも誘うね!そんときは一緒に来てね、絶対だよ!」
 「勿論!ところで腹減っただろ?昨日焼いたクッキーあるけど食うか?砂糖も高いから甘さ控えめだけど」
 「食べる!」
 「よし来た。今持ってくるから、少し待ってろよ」
 クッキーと紅茶の乗ったトレイを片手に談話室に戻ると、はソファーの上でうとうとしていた。疲れていたのかもしれないし、気が緩んだのかもしれない。
 テーブルに静かに置いたカップがかすかにカチャン、と鳴った音で、ははっとしたように顔を上げた。「ありがと」とカップを受け取り、クッキーを口に運ぶ。
 「甘さ控えめだけど、美味しい」
 「そりゃ良かった」
 に笑いかけながら、これでいいんだ…と自分に言い聞かせた。
 あまりきつく叱って、出会った頃よりものびのび振舞うようになったを委縮させたくないし、人気のない場所での危険は、まあ、これからは何かあったら俺に言ってくるだろうし、そもそも俺が彼女から決して目を離さないようにすればいいだけのことだ。
 半分は分かってないけど、半分は分かってくれたってことで、良しとしよう。それで十分じゃないか。
 「どころでさ、マッシュ」
 「どうした?」
 はにこりと笑った。
 「あのねえ、わたしの怪我が治ったら、今日行ったナッツイーターの巣穴連れていくから、一緒に来てくれる?」
 「…は?」
 「だってほんとに大量のクルミだったんだよ!巣穴に行って様子を見て、上手く行ったらクルミ持って帰ろうよ!」
 駄目だこりゃ。普通痛い目に合ったら人は懲りるものだが、この子は痛い目に合っても懲りないらしい。俺の言いたい事、半分どころか一割も分かっちゃいなかった。
 「だからその軽率な行動がだな…」
 言いかけて、言葉を飲んだ。の期待に満ちた目と満面の笑みを目の当たりにしてしまえば、それを曇らせる事など俺には出来ない。
 俺は見えない所で拳をぐっと握り締め、二、三度深呼吸をくり返し、荒ぶり始めた気持ちを静めた。
 「………」
 「マッシュ?」
 「………そうだな、一緒に行こう」
 「やったー!」


 これで…これでよかったんだろうか…。
 足と腕の痛みも忘れて大喜びするを見ながら、俺は、深いため息をついた…。




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