世界が崩壊してブラックジャック号を失った俺は、同時に、生きることへの情熱も失ってしまった。
空を飛ぶ手段が無くなった訳ではない。あいつが遺した飛空挺が地下深くに眠っているから、探そうと思えば仲間を探しに行けた。そうしなかったのは、空で別れたきり帰って来なかったそいつの事を思い出したからだ。
もし、誰も見つからなかったら。見つからないだけならまだしも、誰も生きていなかったらどうする。最悪の結末を目の当たりにするのを恐れた俺は、あんなに嫌い抜いていた腰抜けになり下がっていた。その事を認めたくなくて逃げた。残り少ない金を酒に変えて、絶望と自分への嫌悪を紛らわせていた俺に喝を入れたのは、突如現れたセリスだった。
憔悴しきった顔をして、そのくせ気迫と目の輝きは以前より強さを増している。まるで魂を燃やすような煌めきに見とれた。ロックへの思いは彼女をこう変えたのか。
情熱というのは感染するものらしい。酒でふやけた腹の奥が熱くなり、鈍っていた頭が働き出す。あの飛空挺で空を取り戻してみせる。決意新たに椅子から立ち上がった俺にセリスは力強い笑顔を向けた。ここまで一人で来たのかと尋ねると、「他にもいるわ。頼もしい仲間がね」と意味ありげに答えた。誰のことだと聞く間もなかった。酒場を出たすぐそこに、エドガーとマッシュが立っていたからだ。
「セッツァー久しぶりだな…って酒臭っ!」
マッシュが露骨に鼻をつまんだ。前より逞しく見えるのは、こいつもセリスと同じく仲間を探して旅していたからだろうか。
「こんな所で腑抜けてる場合じゃないぞ。まだ命をチップにした賭けは終わっていないんだ」
エドガーがウィンクする。フィガロ城が地中に埋まったという噂はその後、無事に地上に出たらしいという噂に変わっていた。気障ったらしいのは頂けないが、こいつを王に持つフィガロの奴らは幸せだ。希望を捨てずにいた仲間たちが眩しくて思わず目を細めた、その時だ。
「セッツァー!」
背後から名前を呼ばれ、胸が熱くなった。
整った顔立ちでありながら色気を感じない、ひょろりとした餓鬼。出会った頃はびくびくおどおどしていた分、甘えられるとまんざらでもない気分にさせる小娘。剣と料理の腕は確かだが、それ以外の事は不器用な、見ていてはらはらする女。
俺の知っているはそんな女だった。あいつもここに来ているのだ。興奮を誤魔化すようににやりと笑い、再会の第一声を何にしようかと考えながら勢いよく振り返ると、
「……お」
目の覚めるような、綺麗な女が立っていた。
長い髪を無造作に一つに束ねて、神秘的な黒い瞳を真っ直ぐこちらに向けている。均整のとれた体つきも、湯上りのように上気する白い肌も、風に靡くおくれ毛さえも、思わず触れてみたくなるような色香が漂っている。全く素晴らしい美女だったが、俺の知り合いにこんな女はいない。
「お前、誰だ」
女の珊瑚色の唇がぽかんと開いた。その動きまでも艶のある美しさだと感動していると、いきなりその女に胸を軽く叩かれた。
「ひどい!セッツァーひどい!わたし、だよ。忘れたの!?」
の見た目は大変俺好みに変化していたのだが、悲しい事に、中身は全く変わっていなかった。
酒場を出てから目的地に向かう道中、忘れるなんてひどいとか、酒のせいだから禁酒しろとか、わたしたちの絆はそんなもんだったのかとか、ずっと文句を言い続けるその姿は、紛れもなくあのそのもので、見惚れた事をつくづく後悔した。
大騒ぎしながらあいつの墓に向かい、そこに巣食った魔物と戦った後最下部にたどり着いた俺は、仕掛けを動かしてもう一つの飛空挺、ファルコンを仲間に見せた。感嘆の声を聞きながら操縦席に座りレバーを動かすと、ファルコンはまるでこの時を待っていたかのように力強く空へ駆け昇る。久しぶりの空からの光景は記憶とは大分違って、赤と黒と茶色が混じったような不吉な色合いだった。たちまち絶望へと飲まれそうになった俺を、セリスの鋭い声が現実へ引き戻す。
「セッツァー、あの鳥を追って!」
我に返った俺は、鳥の向かう先に仲間がいる予感がするという彼女に賭けることにした。鳥は飛び続け、それを追いかけ、日が落ちた頃にたどり着いたのはモブリズの村近く。この辺りにどんな魔物がいるか分からない以上夜動くのは危険というエドガーの判断で、モブリズへは明日の朝向かう事にして、その日はファルコンで休む事にした。
手持ちの食料と船に少し積んであった缶詰を夕食代わりにした後は、それぞれが思い思いにファルコンを歩き回った。
エンジンルームに興味を示したのはエドガー。下手な事はしないだろうから、場所だけ教えて、付いて行かなかった。
キッチンに向かったのはマッシュ。料理好きなあいつらしい。
風呂を見に行ったのはセリス。場所を案内するついでに折角だから一緒に入るか?とからかったら睨まれた。
は一足先に休む部屋を見に行った。恐らく迷子になるだろうと思いながら、それも面白いかと思って放置した。
仲間達の動向を見守ってから、あいつの部屋だった場所に向かった。
机、椅子、ベッド、小さな本棚、それ以外は何もない部屋だ。
あの日見た、無残な姿で地に横たわるファルコンがまた飛べるようになったのは、奇跡的にも外部の損傷に対して内部の構造が修理出来る程度の損傷で済んだからだ。だが整備が進んだ理由は他にもあった。この部屋の本棚に置いてあった――その時は本棚から飛び出して床に散らばっていたのだが――ファルコンの設計図だ。それも構造、設備、配置、平面、全ての図面が揃っていた。まるで、壊れたらこれを見て修理して欲しいとでも言うかのように。
その図面を見つけ、早速雇ったエンジニア達と修理に取りかかった。何日も、何カ月も、何年も経ってようやく修理が終わった。それは、あいつがもうこの世にいない事を受け入れるのにかかった時間でもあった。さらには粋がった若造がギャンブラーとしてそこそこ知られるまでにかかった時間でもあった。
椅子に腰かけ、カーテンも無い窓の向こうに広がる黒い空を見ていると柄にもなく感傷的な気分になる。あの頃は生きているだけで楽しかったものだが。ファルコンとあいつに勝つために毎日のように勝負しては負けた。俺が悔しがるのを見てあいつは豪快に笑い、それがまた悔しくて次の勝負に向けて飛空挺を改良したものだ。
昼は空で、夜はバーで、飛ぶ楽しさや飛空挺へのこだわりを熱く、時には喧嘩しながら語りあい、そのまま朝まで飲み明かしたこともある。そのくせ一度も男女の関係にはならなかった。なりそうな空気は何度もあったが、その度にどちらかが甘い空気を遮った。あいつに恋愛感情を抱かなかったと言えば嘘になる。が、それだけでは言い表せない別の感情が、少なくとも俺にはあった。
何かあったらファルコンをよろしく、そう言って笑ったあいつは、どうだったのだろう。
「まあ、過去は過去だ」
感傷を断ち切るように天井を見て鼻で笑った後、再び窓の外に目をやると、さっきまでは無かった、ふらりと甲板を歩く小さな影が見えた。
何となく追いかけて甲板に出ると思いがけない風の冷たさにぶるりと震え、慌ててコートの釦を留めた。影は黒い髪を靡かせて空を眺めていて、今の仲間の中で黒髪なのは一人しかいないから、すぐに誰なのか分かる。風が強いせいでドアが開いた音も近付く足音も聞こえなかったようだ。隣に立った時にようやく、は肩をびくつかせて俺を見上げた。
「ちょ…」
誰もいない甲板で、は泣いていた。
「お前…何泣いてんだよ」
「いや、これは」
慌てて袖で顔を擦っても遅い。俺の視線を受けて、は観念したように言葉を紡ぎ出した。
「……まあ、なんか、色々思い出して」
「崩壊前の世界のことか??」
「それもあるんだけど」
言葉の続きを待ったが、そこでは口を噤んでしまったので、それ以上聞くことはせず隣に並んだ。月も星も無い夜空の下に広がる平野は、飲み込まれそうな闇にしか見えない。こんな暗闇の中で何を見、何を考えていたのだろう。
教えてほしいと思った。元々お互いに立ち入った話をしない人間の集まりではあったが、それでも知りたかった。
やがて、呟くような小さな声がした。
「世界が崩壊してから、わたし、歩いて故郷のニケアに戻ったんだ。墜落して海に落ちて、そのまま気を失ったのかもしれない。気が着いたらニケア近くの海岸に打ち上げられてた」
「へえ」
そこからは、ぽつりぽつりと自分の事を語りだした。父親とのいざこざで、謂れのない中傷を受けたこと。逃げるように故郷を出て、成り行きでリターナーに加わったこと。故郷に戻ったら父親が他界していて、自分への中傷など無かったかのようになっていたこと。たまたま町に侵入してきた魔物を倒したら、住民に感謝されて、定期船に乗って町を出る事を伝えたら、どうか残って欲しいと懇願されたこと。
「残ってもいいかと思った。元々ニケアは故郷だし、世界はこんなだけど、わたしにとっては町は以前より住みやすかった。侵入してくる魔物を倒していれば感謝もされるしお金も貯まるし、お金が全てとは言わないけど、とりあえずは住む場所とか食べ物とか、大体の事は何とかなるでしょ?」
「まあ、な」
「だから一人で生きていけるかもって思った…でも、駄目だった」
「どうして」
「ティナにはわたしみたいに帰る場所もゆかりの場所もないから、今頃どこかで途方に暮れているかもしれない。セリスはロックと離れ離れになって絶望しているかもしれない。エドガーに何かあったらフィガロの人達は悲しむし、ガウ君とリルムは子どもだしストラゴスさんはお年寄りだから、放っておけない。ロックは秘宝のために危険な所を一人で旅して怪我してるかもしれない。モグは小さいから、魔物に怯えて震えているかもしれない。マッシュとカイエンさんとシャドウさんは魔物に怯えたりはしないだろうけど、強いからきっと今頃私達を探してるだろうなって思った。それに、」
は暗い空を仰ぎ見る。
「ブラックジャック号が壊れてしまって、セッツァーは落ち込んでるかも知れない。そんな風にみんなの事考えたら、わたしだけ安全な場所にいるなんて出来なかった」
以前のこいつならきっと故郷に留まる事を望んだに違いなかった。怖がりで、面倒なのが嫌いな奴だから。元々は当ても無く旅していたのをマッシュと出会ったのがきっかけで仲間になったのだという。それで根拠はないが、こいつは他に居場所が無いからここで戦っているのだと思っていた。他に居心地のいい場所が出来たらそっちに逃げるのだとも。だけど、こいつは逃げなかった。実際に逃げたのは俺だ。
偉いな、お前は、と言いかけた声は、のさっきとは打って変わった明るい声に遮られた。
「まあ、色々言ってみたんだけど。結局は自分の為なんだよね」
「?」
「みんなが痛い思いしてたら嫌だ。みんなと居ないと寂しい。故郷に残りたいって気持ちより、みんなに会いたい気持ちの方が強かったの」
「……そうか」
泣いてたのはまだ会っていないみんなの事を考えて、ちょっと寂しかったから。そう付け足して更に続ける。
「それに我儘なんだ、わたし。この旅の終わりはケフカを倒して、それぞれの場所へ帰るみんなを笑い泣きしながら見送るって決めてるの。絶対」
はそこで初めて俺を見た。涙の跡が残る顔に決意の色を浮かべ、黒い瞳は穏やかさの中に希望を秘めている。今は見る事の出来ない、星の輝く夜空を思い出した。
ああ、俺の目は節穴だ。
成長したのは外見だけなんてとんでもない、その魂も、こんなに明るく輝いてるじゃないか。
「お前のそれは強さとか、決意とか、そういう類のもんだ。我儘じゃない。胸を張れ」
目をぱちくりさせた後、はふわりと笑って頷いた。
「……一番近くで星空を見る女になる」
「?」
「ファルコンの持ち主だった奴の願いだ。お前には話してなかっただろ。聞くか?」
「うん。聞いてもいいなら聞きたい」
「じゃ、部屋に戻るぞ。さみーんだ、ここは」
「あはは、そうだね」
甲板を後にしながら、かつての親友を思い出す。
あいつともっと話がしたかった。空のこと、飛空挺のこと。
いつか会えたなら、彼女の夢を乗せたファルコンが、俺達の希望になった話をしよう。
ダリルの残した翼と共に、俺はまた、空を駆ける夢を見る。
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