ベッドの中で目を開けると、いつものファルコン号の寝室ではなかった。間を置かず、そうかフィガロ城に泊まったんだった、と昨夜の出来事が蘇る。
昨日はわたしの二十歳の誕生日で、皆がお祝いをしてくれたのだ。
ささやかだけど楽しかった夜を思い出し、小さな笑みが零れた。マッシュとロックの料理男子二人が作ってくれた、大好物ばかりの夕食。デザートはふわふわのシフォンケーキが色んな味ごとに沢山作ってあって、軽い食感だからいくらでも食べる事が出来た。勿論全部一切れずつ美味しく頂いた。
それだけじゃない。女の子達からは猫をモチーフにした可愛いシルバーのピンブローチを、男の人達(モグやウーマロも男子に入るのかは聞きそびれた)からは二十歳で成人したのだからと、女の人でも飲みやすいという苺のお酒をプレゼントされた。
皆がお祝いしてくれて、嬉しくて楽しくて、とにかく幸せな時間だった。こんな幸せな誕生日は、母が生きていた時以来かもしれない。
もう一度、ふふ、と笑い、わたしは体を横に傾けた。そこで初めて異変に気付いた。
体がすーすーする。
原因はすぐに分かった。下着しか身に着けていなかったのだ。それも辛うじて身につけているような状態で。
パニックになる頭で必死に記憶を掘り起こす。皆でお祝いしてくれた時には確かに服を着ていた。デザートを食べプレゼントを貰った時も当然服を着ていた。貰ったお酒を少しだけ飲んで多少熱くなったけど、窓を開けて涼んでいたら酔いが冷めて涼しくなったから、間違いなく服は着ていた。
そろそろお開きにしようかという段階になって、名残惜しくてセッツァーに「綺麗な夜景が見たい」とリクエストしたら「こんな時代に夜明るい所なんざ、ジドールとここぐらいだ」とサウスフィガロ上空をゆっくり飛んでくれて、しばらく夜景を楽しんでいると、エドガーが甲板にやって来た。
「折角だから今夜は城に泊まらないか?すぐに準備をさせるよ」
わたしは手を叩いて喜んだ。フィガロ城はお風呂も寝室も、お城だけあって広くて綺麗なのだ。ファルコン号のお風呂も悪くは無いのだけど、皆でワイワイ言いながら入るには少し小さいのだ。飛空艇が着地し、城に入ると既にお風呂の準備がしてあって、また嬉しくなって女の子達ときゃっきゃうふふ言いながら入浴。上がるとそのまま寝室に向かった。フィガロの夜は冷えるから、寝ている間に服を脱いでしまうことはない筈だ。
頭をブンブン振ったところで、また気づいてしまった。
「……下も、スースーするんですけど…」
ショーツは履いてすらいなかった。おまけに体を少し動かしただけで、足の付け根がずきんと痛む。
おかしい、あり得ない。裸同然で寝ていて、体のこんな部分が痛いなんて。嫌な予感に毛布を捲ろうかどうしようか迷い、捲ろうと決め毛布をぐっと掴んだ瞬間、「う、ん…」と自分のものではない声がしたことにぎくりとして手を止めた。
隣に男の人が寝ている。裸で。しかも良く知っている男の人が。
日焼けしているけど、元々は白いであろう肌。
すれ違った女の人が振り向く程の整った顔。
いつも青いリボンで結ばれている長い金髪は乱れに乱れている。
誰にも言ったことは無いけど、素敵だなと密かに憧れていた、その人。
「え」
本当に、何があったんだ!
ここは女子の部屋じゃないの、どうしてこの人が、思って見回すとそこは全く違う部屋だった。もっと豪華で広く、調度品は古めかしくて長い歴史を感じさせるけど、手入れが行き届いてぴかぴかだ。
今寝ている大きなベッドは天蓋付きで、慌てて胸を隠した毛布からは薔薇の香り。その中に、いつもこの香りをさせている人の匂いが混じっている。
「エドガー!」
考える前に叫んでいた。金色の睫毛に縁取られた青い瞳がぱちりと開き、幸せそうに笑いながら「お早う、私の可愛いレディ」なんて挨拶してくる。パニックで爆発しそうになっているわたしと対照的に、エドガーはとても落ち着いていた。
「わた、わた、わたし達、何があったの」
「ん?」
にこりと笑って起き上がったエドガーは上半身どころか下も裸だった。何があったのか答えて貰わなくても、もう嫌と言うほど分かった。
「君の想像通りだよ」
ああ、やっぱり。
昨日、エドガーは遅くまで仕事をした後、久しぶりに帰って来た城に変わりは無いか城内を見回っていた。
一通り見て回り、最後に屋上に向かうと犬の遠吠えがする。野犬が紛れ込んだのか、それともガウ君が寝ぼけているのかと警戒しつつ覗いたら、そこにいたのはわたしで、遠吠えに聞こえたのはわたしの歌声だったそうだ。
「?」
「あ、エドガー。月が綺麗だね。嬉しくって歌っちゃった」
「歌だったのか…私はてっきり…いや、何でもない」
わたしが酔っている事に気付いたエドガーは「ここは冷えるから部屋に戻ろう?」と諭した。その途端、上機嫌だったわたしがぐずりだした。
「やだ。部屋に戻ったら歌えなくなるもの」
「でも、ここにいたら風邪をひいてしまうだろう?」
「大丈夫。お酒飲んだからいつもより暑いくらいだよ」
「、いい子だから部屋に戻ろう。送って行くから」
「やだよー。部屋に戻ったらあとは寝るだけじゃないの」
わたしがどうしても部屋に帰りたがらないので、エドガーは「それなら私の部屋に来るといい。広いから思う存分歌えるよ」と誘った。
屋上は冷えるし、言う事を聞いて貰えそうにもない。かと言って放っておいて、わたしが酔って夜遅くに騒いだ事が城中に知れ渡るのも可哀相だと思ったそうだ。この時は誓って、下心など無かったらしい。
わたしは笑顔で何度も頷いて、エドガーのマントを掴んで部屋まで着いて来た。
「…ああ……段々思い出してきた……」
エドガーの話は、都合良く忘れていた事を全部思い出させてくれた。
皆とお風呂に入って、もう寝ようという話になったのだけど、わたしはまだ起きていたかった。寝たら楽しい一日が終わって明日になってしまうのが勿体無かったのだ。
今日が名残惜しくて貰ったばかりの苺のお酒をまた少し飲むと、ふわんと楽しい気分が蘇ってくる。部屋でじっとしていられなくなってふらふらと廊下を歩くうちに段々体が熱くなってきた。前にマッシュが「屋上は風が涼しくて気持ちいいんだ」と言っていたのを思い出して屋上に行くと、確かにひんやりして気持ちがいい。月は綺麗だし、何だかオペラの舞台に立っているような気になって、セリスに教わった歌を気持ちよく歌っていた。そこにエドガーがやって来たのだ。
わたしはこんなに楽しいのに、もう部屋に帰りなさいと言われてしまった。まだ帰りたくないと粘ったらエドガーが折れて「私の部屋に来るといい」と言ってくれた。広いから思い切り歌っても迷惑にならないし、屋上より温かいから、と。
それを聞いて、起きていたい気持ちを分かってくれたエドガーの事を益々好きになった。招かれるまま部屋に入り、広い部屋の中を歓声を上げながら走り回り、天蓋付きの大きなベッドを見つけて思い切り飛び乗った。ふかふかして薔薇の匂いがするベッドは早くもお気に入りの場所になり、わたしはそこに横たわったまま歌を歌った。
エドガーはわたしのすることを面白そうに見ていたのだけど、ベッドの横にあるテーブルに座って何か飲み始めた。
「それ、お酒?」
「そうだよ」
「わたしにもちょうだい」
「駄目だよ」
エドガーはやんわり言って、自分ばかり美味しそうにお酒を飲んでいる。
「ずるい。わたしも飲みたい」
「君が飲むには少し強いんだ、これは。いい子だから我慢しなさい」
楽しい気分に水を差されたような気分になって、むっとした。
「いい子だから、なんて言わないで。わたしは子どもじゃないんだから」
「勿論分かってるさ」
絶対分かってない。
あのお酒を飲むには、わたしが子どもじゃないという事を分からせる必要があった。王様のエドガーが普通に飲んでるのだから、きっとあれは上等で美味しいお酒だ。美味しいのならわたしも飲みたい。だって、もう二十歳で大人なんだから!
良く分からない使命感に突き動かされてベッドから起き上がり、エドガーの手を取った。その手を自分の胸に押し当てると、エドガーが目を丸くする。
「…!一体何を」
「わたし今日で二十歳になったんだよ。早い人だったら結婚してたり、子どもがいる人もいるのよ。もう大人なの」
エドガーの喉仏が動くのが見えた。
「だから、わたしのこと、子ども扱いしないで、」
そしてお酒早くちょうだい!
一番大事な部分を口にする前にエドガーが立ち上がっていた。驚いていた青い瞳が真剣な色を浮かべてゆっくり近付いてきてわたしをじっと見つめるので、怒られるかなと思い、怖くなって目を閉じた。
「んっ!」
予想に反してキスされたことに驚きしか感じなかった。嫌悪は全く無かった。それどころかうっとりとさえしていた。だって何度もこの人とのキスはどんななんだろうと想像、いや妄想していたからだ。ただしこんなお酒の勢いなんかではなく、もっとロマンチックな想像だったけれど。
どきどきしながらも、この人は睫毛まで金色なのね、と凄くどうでもいい事を考えていたわたしの唇をこじ開けるようにしてエドガーの舌が入ってくる。変な感触にぞくぞくしたのもつかの間、舌と同時に不思議な風味のする液体も一緒に入ってきて口の中が一杯になった。温いのに燃えるように熱いそれが何と言うお酒なのかエドガーに聞くことも、熱いからと吐き出すことも出来ない。どうすることも出来なくて少しずつ飲み干すと、今度は体も、頭の中も熱くなった。知らないうちに強張っていた体に力が入らなくなり、完全に身を預ける形になったところでようやくエドガーは唇を離してくれた。
「子どもだなんて思ったことは一度も無いよ」
(彼の隣にいるマッシュと比べてしまうせいで気付かなかったけど)思ったよりも筋肉質で逞しい胸の中で荒い息を繰り返しているわたしに、エドガーの掠れた声が降ってくる。
「ずっと自分を押さえていたが、君の気持ちが分かった以上、もう我慢しない」
エドガーは片手でグラスを持って、さっきのお酒をまた口に含んだ。
気持ちが分かったって、何のことだろう。
考えながらも目の前で行われる優雅な動作に見とれているうちに顎を持ち上げられて、またさっきのお酒を口移しで飲まされた。既に回転が鈍っていた頭と体は益々回転が遅くなり、考える事が面倒臭くなっていく。
唇を離したエドガーはわたしをベッドに座らせて、隣に座る。覆い被さるようにして柔らかなベッドに押し倒される頃には、これから何をされるのかはっきり分かっていて、心はそれを受け入れる準備を始めていた。
お酒は頭の回転や体の動きだけじゃなくて、恐怖や恥ずかしさも麻痺させるんだ。
エドガーの手の動きに翻弄されて勝手に変な声が出てしまうのを押さえられず、そう思ったのを最後に、意識は薄れていった。
「思い出した?」
「うん……」
「全部?」
「ううん…ベッドで、体を触られた辺りまでは思い出した。けど、そこから先は…」
「それは残念だ」
エドガーは、本当に残念そうな顔をした。
「声も仕草も表情も最高に素直で可愛らしかったから、起きた時の反応が楽しみだったのに」
「……」
相当やらかしたらしい。だけどどうしよう、全く覚えていない。結局知ってしまう事で受けるであろう衝撃よりも、知らないままでいる不安の方が勝った。下着や服をかき集めながら何でもない風に「昨日わたし、どんなだったの」と聞くと、この人にしては珍しい締まりのない笑顔と、さっきと同じような答えが返ってきただけだった。
「うん、とても可愛らしかったよ」
「いやだから、それがどんな風だったか聞いてるの。例えばあの、えっと、恥ずかしがってたよーとか」
「とんでもない。とても大胆でセクシーだった」
「うっ……声も出せずに震えていた、とか」
「いいや、君があんな声で喘ぐなんて意外で、私も興奮してしまったよ」
「……で、でも、わたし、少しも抵抗しなかった?した筈だよね?その時に『こんなことは止めよう』とか思わなかったの?」
「抵抗どころか『ずっとエドガーとこうなりたかった』、事が終わった後は『わたし今、世界で一番幸せ』と言ってくれた。あれは嬉しかったな」
「………」
わたしは聞くのをやめた。これ以上聞いたら立ち直れない。だって、今でさえショックで顔を上げられないのだから。
夜遅くにお酒に酔っ払って大はしゃぎして。
泊めて頂いたお宅の、というかお城の主の部屋でもはしゃいだ挙句、わたしから誘うような態度を取り。
恥じらう様子を見せるならまだしも『とても大胆でセクシーで喘ぎ声も激しかったし、全く抵抗しなかった』そうだ。軽蔑されたっておかしくない。
何より、憧れていた人に抱かれるなんて、初めてだったのに、その記憶も無く。
憧れてた?いや、違う。
『ずっとこうなりたかった』『世界で一番幸せ』なんて。それにキスされて全然嫌じゃないなんて、憧れてるだけの人に抱く感情じゃない。
憧れよりも、もっと強い感情を、わたしはエドガーに持っている。
どうしよう。こんな事になってから気づくなんて。
ふと影が差したので顔を上げると、真剣な顔をしたエドガーの顔が目の前にあって、思わず身を引いた。逃げるつもりは全くないのだけどエドガーはそう思ったらしく、わたしの手の上に自分の手を重ねた。逃がすまいとするかのように。
「私は、誘われたからと言って誰とでもベッドを共に出来るほど、節操が無い人間では無いよ。それほど気軽な立場でない事は自覚しているつもりだ」
勿論知っている。エドガーが女の人に誘われるままそういう事をしていたら、世界中にフィガロの次の王位継承者が生まれてしまいそうだ。それにこの人の性格上、いくら女性が好きだからと言って、いや女性が好きだからこそ、簡単に女の人に手を出して傷つけるなんてあり得なかった。
「君を特別に想っていなければ、それに君が私を想ってくれなければ、抱いたりしない」
耳に心地いい言葉が入って来る。落ち込んでいるわたしを慰めてくれているのだと思った。この人は本当に女性に優しい人だから。
「…慰めてくれなくていいよ、わたしが悪かったんだから、このまま無かった事に…」
「それは出来ない」
重ねられていた大きな手が、わたしの手を握りしめた。
「君は私を想っているように見えるのに、急に余所余所しくなる所があって、ずっと気持ちを掴みかねていた。だから昨夜君が私を愛していると知って、とても嬉しかったんだ。だから抱いた。やっと君を手に入れたのに、それを無かった事には出来ないよ」
エドガーが、わたしを好きだと言っている。
夢の中にいるような気持だった。昨日までは手が届かないと思っていた人が、ずっと、わたしだけを見てくれていた。
ようやくこれが現実なのだと理解出来て、今度は別の意味で俯いた。嬉しいのと恥ずかしいのとで顔が赤くなるのを見られたくなかったのだ。それに気付いたのだろう、エドガーが、いつもの余裕に満ちた雰囲気を取り戻した。わざわざわたしの顔を覗き込んで、尋ねてくる。
「私は君を愛している。君は私をどう思っているのか、改めて教えてくれないか?」
「……き」
「よく聞こえないよ」
「すき……」
「よく出来ました」
おでこにキスをされて、それを合図に二人で抱き合ってベッドに倒れ込んだ。こうなると昨夜の記憶がないのが実に勿体なく思えて、それを伝えると、「それなら大丈夫」と何だかわからない返事が返って来た。
「何が大丈夫なの」
「すぐに分かるさ」
エドガーが体勢を変えた。横からわたしの上に移動して見下ろしている。
「今から、昨夜と同じことをしよう」
だからすぐ思い出すよ、昨日のこと。
楽しそうに言って唇を舐め、体重を預けてくる大きな背中に腕を回し、わたしはうっとりと目を閉じた。
まさか部屋の外で「ついにエドガーも結婚を決めたのですね」と感動に目を潤ませるばあやさんや、「二十歳になった途端早速手を付けるとか…兄貴…」とため息をつくマッシュがいるとも知らず。
わたし達は、心行くまで二人の時間を楽しんだ。
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