その日はわたし以外の女子が全員留守だった。
 近くの洞窟に何かしらの秘宝があるらしく、もしかしたら冒険に何か役立つものかもしれないと言う事で入ってみることになったのだけど、最初に洞窟に入ったマッシュ、カイエンさん、ガウ君のレテ川組がへろへろになって帰って来た。どうやら洞窟の中には、物理攻撃が効きにくい魔物が多くて、流石の三人も苦戦を強いられて一旦退却したのだそうだ。
 物理攻撃が駄目なら魔法攻撃と言うことで、会議の結果魔力が高いリルムとティナ、魔力も高く剣も使えるセリスの女子メンバーが選ばれた。すると今度は女性だけでは心配だと四人目のメンバーにロックが名乗りを上げ、今朝から出かけていたのだ。女性が多いパーティーだから奥に入るのにも時間がかかるだろうし、夕食の時間になっても帰って来なかったから、きっと今夜は洞窟で夜を過ごすのだろう。
 三人とも泥だらけで帰ってくるだろうから、明日は早いうちにお風呂の準備しといてあげよう。そう思いながら湯船につかり、上がってのろのろと体を拭いていると、何だか妙に喉が渇いた。一人だからと思って長く入り過ぎたのがいけなかったみたいだ。
 厨房にジュースと、それにアイスクリームがあった筈だから、部屋に持って帰って食べよう。幸い今夜はセリスもリルムもいない。リルムは夜遅くにわたしがお菓子を食べていると必ず欲しがって来るし、セリスはそれを見て「あんたが食べるからリルムは欲しがるんでしょ。夜遅くにお菓子を食べる癖、直した方がいいわよ」と言ってくるから、普段はこんなこと出来ないのだ。
 うきうきしながらわたしは厨房に向かった。
 でも、それがいけなかった。


 夜遅くの談話室は誰もいなくて真っ暗だから、通るのが少し怖い。だけど厨房は談話室と食堂を通り抜けた一番奥にある。だから厨房に行くにはどうしても談話室を通らないといけない。
 少しの我慢だと思いながらドアの前まで来ると、いつもは静かなそこが珍しく賑やかだった。誰かの話し声や笑い声がする。勇気づけられた気がして思い切りドアを開けると「あ、」と顔を真っ赤にしたマッシュが声をかけてきて、にこにこっと嬉しそうに笑った。
 「マッシュ。それに二人とも、何してるの」
 談話室にはマッシュの他に、エドガーとセッツァーが揃っていた。ここで飲んで盛り上がっていたのだろう、三人の足もとには空になったワインの瓶が何本も転がっている。この崩壊した世界ではワインだってかなり値上がりしているのに、こんなにたくさんどこで手に入れたんだろう。
 「昼間買い出しに出かけた時、町に魔物が紛れ込んできてね。たまたま助けた男性がその町ではかなりの名士らしくて、助けたお礼にと秘蔵のワインを沢山くれたのさ」
 頬がほんのり赤く染まったエドガーが上機嫌で教えてくれた。
 「お前は飲まねえから知らねえだろうけど、結構いいワインなんだぞ?これは。それで早速酒盛りを始めたってわけだ」
 セッツァーの説明に、わたしは首を傾げた。
 「でも、どうして談話室で飲んでるの?いつも皆で部屋で飲んでるじゃない」
 「たまには他の場所で飲むのもいいと思ったんだよ。ほら、今日は女が皆出払ってるから煩くしても文句言われねえだろ?」
 女が皆出払ってるって、じゃあわたしは何なんだ、と聞こうとして止めた。三人とも開放感を味わっている途中だし、わたしも一人を満喫しようとしている途中なのだ。邪魔をしたくもないし、されたくもない。
 「ふうん。別にいいけど、寝るときは散らかした瓶とか片付けてよね」
 わたしはもう一度転がった瓶を見た後、厨房まで入ってお目当てのジュースとアイスを取りだした。そしてアイスが溶けないうちに部屋に戻ろうと、小走りで談話室から出ようとした。
 「待ちな!」
 「え?」
 セッツァーの鋭い声に呼び止められて振り返ると、セッツァーは険しい顔のままわたしを手招きした。驚いたのはわたしだけではなかったようで、フィガロ兄弟も目を丸くしている。意味が分からなくておずおずと近付くと、セッツァーはわたしが持っていたジュースとアイスを取ってテーブルに置いた後、上から下へ、下から上へと視線を素早くわたしの全身に走らせ、「ん、」と自分が座っているソファーの右側を叩いた。
 「座れってこと?」
 「おう」
 セッツァーの青白い顔はいつもより血の気があって、酔っている方が健康的に見えた。彼はもう少し太陽に当たった方がいいんじゃないかな。ああでもずっと太陽も出てないな、世界が崩壊して空は真っ赤なのに。ソファーに座ってそんなことを考えていたから、セッツァーが「お前、今幾つになった」と尋ねてきたのもどこか遠くに聞こえた。
 「おい、聞いてんのか。お前今、幾つだ」
 「あ、わたし?えーと、一応お酒は飲める歳だけど…」
 「それなら問題ねえか。お前も酒に付き合え」
 「は?嫌だよ、わたし今一人を満喫しようとしてるんだから。部屋に帰ってアイスとジュースを楽しむんだから」
 きっぱり言い捨ててお菓子とジュースに手を伸ばすと、黙って話を聞いていたエドガーの手が横から伸びてきて、わたしの手をそっと掴んだ。そして「アイスとジュースなら、ここで食べることも出来るだろう?」と、笑顔で迫ってくる。やだこの人酔ってる。
 ここから抜け出す頼みの綱はマッシュだけだ。そう思ってマッシュを見上げると何を勘違いしたのか、このモンク僧まで「、部屋よりもここで食べた方が楽しいぞ!」と二人に賛同する。この人何言ってるんだろう。「助けて」の意味を込めて、あんなに困った顔で見上げたのに!
 剣は部屋に置いたままだ。力では勝てない。魔法は…わたしは他の女子と比べて魔力が低いから、力を加減して器用に三人だけを攻撃することが出来ず、下手したら飛空挺ごと壊しかねない。
 『夜遅くにお菓子を食べる癖、直した方がいいわよ』
 セリスの言葉が、今更ながら身に染みた。


 「いやあ、ワインが猶更美味しく感じるよ。君のおかげだね」
 いつの間にか隣に座っていたエドガーが、肩に手を回して耳元で囁く。体がびくんと跳ねたのが恥ずかしくて反対方向に顔を逸らすと、今度はセッツァーがわたしの顔を覗き込んで、意地悪そうな顔で笑う。
 「おいおい、随分そそる顔してるじゃねえの。確かに、酒も美味くなる筈だ」
 「何馬鹿なこと言って…ひゃっ!」
 するりと腰を撫でる感触に、わたしの体はまた跳ねた。「反応もたまんねえ」とセッツァーがにやにやしている。まさかのセクハラに頭が混乱するのとお酒臭いのが気持ち悪くて一刻も早くこの場を去りたい。手を固く握ってセッツァーを殴ろうとしたら、「おい!いい加減にしろよ!」とマッシュが立ち上がった。あ、やっとマッシュが助けてくれるんだとわたしは心底安心した。ていうか、今助けるんだったらさっき助けてくれてもよかったのに。
 ところが。
 「二人だけの隣にいてずるいぞ!俺だけセッツァーの隣は嫌だ!」
 「は?」
 この人何言ってるんだろうと思っている間にマッシュはわたしの手をぐいと引っ張って立ち上がらせた。そしてわたしがいた場所に自分が座った後、またわたしの手を引っ張って座らせた…自分の膝の上に、向い合わせになる形で。
 「ちょ…!」
 傍から見ればわたしがマッシュの膝に乗って抱き合っているようにも見えて恥ずかしい。しかも足を思い切り開いて大きなマッシュの体を挟むようにして座っているのも恥ずかしい。しかも着ているのはネグリジェだったから、裾が捲れ上がって開いた足の太ももが丸見えになってしまっている。これまた恥ずかしい。もう全部恥ずかしい。膝さえ降りれば全ての恥ずかしさから解放される。そう思って何とか膝から降りようとしたけど、太い腕がベルトみたいに腰に巻きついていて身動きが取れない。抗議しようとマッシュを睨みつけると、マッシュはとろんとした目で見つめてきた。
 「は…綺麗になったよなあ」
 「え…突然、なに」
 「前から可愛いとは思ってたけどなあ。こんなに綺麗になるなんて、俺もうどうしたらいいかわからないよ」
 思いがけない告白に固まった。顔が熱いから、わたしはきっと赤面しているのだろう。本気なのか酔った上での冗談なのか判断しかねていると、右手にするりとエドガーの指が絡みついて来た。
 「マッシュ、自分ばかり口説いてずるいぞ。が真っ赤になっているじゃないか」
 エドガーは、私の手にキスを落として、わたしの目をじっと見つめた。
 「私だって、君の全てを手に入れたいのだからね」
 「へっ!?」
 「星空を思わせる煌めく瞳も、珊瑚のように赤い唇も、真珠と見紛うほど白く輝く肌も、この世の何より美しい。海の女神は君に嫉妬し、私は君に心を奪われている。憐れと思うのなら、君自身で私を慰めてくれないか。そうしないと私の熱は治まりそうにないのだよ」
 言葉の中に、視線に、性的なものが含まれている。太ももを撫で始めた手の動きも、触り心地とわたしの反応を楽しむようないやらしさに満ちていて、普段なら嫌だと抵抗するところだ。なのにそれが出来なかったのは、お酒の匂いで感覚が麻痺し始めていたのかもしれない。それにしてエドガーってば、酔ってるのによくこんなに流暢な口説き文句が出てくるなあ。
 エドガーの顔が近付いてきているのに目を逸らす事が出来ず、目を閉じかけた途端「目の前で見せつけんな」とセッツァーの手がわたし達を引き離した。あのままだったら空気に飲まれてキスしてしまう所だった。本当に危なかった。そのセッツァーは今はワインを美味しそうに飲みほしている。動く喉仏を見ていると「そんなに見つめんなよ。興奮するだろ」と言ってにやりと笑うので、少しでも感謝したことをとても後悔した。
 「それにしてもなあ、確かにマッシュの言うとおりだ」
 「何が」
 セッツァーは答えずわたしの顔を真剣に見つめ、その視線を下げていく。鎖骨、胸、腰、そして露わになっている太ももまで来て、視線をそこで止める。
 「ガキだガキだと思ってたが、いつの間にか女になりやがって」
 「わたし…元々女なんだけど…」
 「そういう意味じゃねえ」
 セッツァーはうるさそうに髪をかき上げる。
 「いい女になったって意味だ」
 ぶっきらぼうで面倒臭そうな言い方が返って嬉しかった。確かに崩壊前のセッツァーは、わたしをリルムやガウ君と一纏めにして「おい、ガキ共」と呼んでいたし、女扱いなんて一度もしてもらった事がない。世界が崩壊してから自分なりに出来る事を頑張ってきたのが認めてもらえた気がして、こんな時なのに嬉しくなってしまった。そう、つまり油断したのだ。
 「ぎゃっ!」
 太ももをいきなり鷲掴みにされて、わたしは思わず叫んだ。「ちょっと!どこ触るの!」
 「しばらく見ねえ間に…俺好みの、いい体した、いい女に成長しやがって…」
 セッツァーはこっちの話を聞かず、太ももを揉みまくっている。ジタバタしていると、骨ばった手が太ももから上に伸びてきて、ネグリジェの中に入り込んだ。そのまま後ろに移動し、ショーツの上からお尻を撫でまわす。あまりの事に声も出せないでいると「尻の形も好みだ」と耳元で嬉しそうに言われた。ぞくりとする感触とお酒臭い息にまた酔ってしまい、抵抗は「ん、んっ」と、やけに甘ったるい声を出して軽く身じろぎするだけに終わった。
 「やべえ……マジになりそう」
 「え?…や、だめ!」
 セッツァーの手が、ショーツの中に入り込んできた。つるりとお尻を撫でて、するすると前に移動していく。ちょ、そこは駄目だ!
 パニックになったわたしより先にマッシュが反応した。セッツァーの手を掴んで引っぺがし、捲れ上がったネグリジェを少し直し「駄目だよセッツァー。が困ってるだろ」と嗜める。困ってるなんてものじゃ無かったけど、とりあえずはマッシュに感謝した。
 「あ、そうだ、
 仕切り直しとでも言うかのように、マッシュがいつもの爽やかな笑顔でわたしを見た。今のエドガーやセッツァーと違っていやらしさの欠片も無い雰囲気にほっとして、「何。どうしたの?」とわたしも普通に返事をした。
 「明日二人でダンカン師匠の所に行こうぜ。仲人とか頼まないと」
 「仲人?」
 「ああ。面倒なのは苦手だけど、結婚なんて人生の一大事だから、やっぱりちゃんとしたいしな!」
 「結婚って誰の」
 「俺と、の」
 わたしはまた「この人何言ってるんだろう」と考える羽目になった。
 「えーと、わたし達、いつ結婚することになったの?」
 「今」
 いやらしさは無いけど発想が飛躍しすぎていて、ある意味一番性質が悪い。腰に回してある腕は相変わらず力強く、逃れられそうにない。仮にマッシュから逃れても、その後にはエドガーとセッツァーが控えている。万事休す。
 打つ手は無いのか…と少し身を捩ったその時、マッシュの腰にぶら下がっている物が目に入った。
 「あああああ!」
 「ぎゃっ」
 「うわっ」
 「何だ!?どうした
 急に大声を出したわたしに驚いた三者を無視して、マッシュの腰からそれをもぎ取った。それを高々と掲げると青みがかった白い光を放ち始める。皆があっけにとられている隙にようやくマッシュの腕から抜け出したわたしは、それ――魔石の光に包まれて姿を現し始めた幻獣の背後に隠れて「こいつら纏めてやっちゃって下さい!」と、後から思い出すと小物臭が凄い言葉を叫んだ。
 水牛のようにも見える幻獣は「仲間だけどいいの?」とでも言いたげに戸惑う素振りでわたしを見たけど、わたしが壊れた人形のように首を縦に振り続けるのを見て何かを察したのか、魔力を解き放った。


 「ふう、危ない所だった……」
 わたしは、すっかり溶けた(そしてわたしが食べるはずだった)アイスをぺろぺろ舐めているカトブレパス――敵を石化する「悪魔の瞳」を持つ幻獣の頭を撫でながらため息をついた。
 「あ、危ない所をありがとうございました。もう大丈夫なんで…」
 声をかけると、まだ残っているアイスを名残惜しそうに眺めながら、ゆっくりと消えていく。それを見届けてから、わたしも談話室を出た。石化したままの三人を残して。
 三人には一晩あそこで反省してもらおうとか、わたしに全く非が無いとも言えないから明日は出来るだけ早く起きて金の針で戻してあげようとか、考えることは色々あったけど。
 最終的に固く誓ったのはこれだった。


 夜遅くに物を食べるのは、危険がいっぱいなので止めることにします。




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