雪に覆われたナルシェで、マッシュの仲間の人達と初めて顔を合わせた。
 ライオンみたいな髭のお爺さんもいれば、若い人も女の人もいた。中には良い身なりの貴族みたいな人もいる。格好良い人だったのでついじっと見ていたら、その人がこっちを見てにっこり笑ってきたので、恥ずかしくなって視線をその横に向けた。そこにいたのはわたしと同じくらいの女の子だ。ふわふわした緑の髪をポニーテールにしたその子は、肌は透き通るように白くて、ほっぺと唇は柔らかそうな桜色をしていて、儚げな印象でとても可愛い。澄んだ緑の瞳が、エメラルドのようにきらきらしてて綺麗だった。
 「、ちょっとこっちにいいか?」
 マッシュに呼ばれて、はっと我に返った。
 「ご、ごめんなさい、ずっと見てしまって」
 謝ると女の子は気にしないでと言うように首を横に振って、ライオンみたいなお爺さんの所に行ってしまった。わたしもマッシュの元に行くとさっきの貴族っぽい人がいる。マッシュが「前に話しただろ。俺の双子の兄貴だ」と、さらりと言った。
 「え?この人が?」
 驚いて、まじまじと見比べると。
 二人とも大柄で背が高く、がっちりした体型が似ている…気がする。
 涼しげな眼差しや鼻の高さ、形のいい唇。顔立ちも良く見れば、似ている。
 確かにマッシュと同じ金髪に青い目の人はこの場に彼しかいなかったのだけど、雰囲気がマッシュと違いすぎて、全然気付かなかった。
 「私はフィガロ国王、エドガーだ。初めまして、可愛らしいお嬢さん」
 お兄さんは優雅に笑って片膝をつきわたしの手を取って、ちゅ、と唇をつけた。え、唇?
 「!!!!」
 びっくりした。
 本当にびっくりした。
 お兄さん――エドガーさんは、わたしの手にキスをしたのだ!
 とっさに手を振り払い、マッシュの後ろに隠れると冷や汗が噴き出してきた。初対面の男の人に触れられ、しかも手とはいえキスをされた驚きで。この反応はエドガーさんにとっては予想外で、マッシュにとっては予想の範囲内だったらしい。「兄貴、あんまり驚かすなよ」と呆れたようにたしなめた後、「紹介するよ、彼女は」とわたしを紹介した。紹介されたものは仕方がないので、体半分だけマッシュの後ろから出して「初めまして……」とだけ言った。それ以上の言葉は今の混乱した頭では浮かんでこなかった。
 エドガーさんは驚きはしていたものの、気分を害した様子はなかった。大人だから顔に出さないだけかもしれないけれど。
 「よろしく、
 「あ…はい…」
 おどおどしながら頷くと、エドガーさんは困ったように笑いかけた。
 「すまない。驚かせるつもりは無かったんだが」
 「……いえ」
 目線を合わせて謝罪する様子はさっき抱いた恐怖にも近い驚きを掻き消すくらい紳士的だった。むしろわたしこそ一国の王様に失礼な態度を取った事を謝らきゃいけないのに、なかなか言葉が出てこない。気まずい空気を払拭しようとしたのかマッシュが「はレテ川に流された俺を助けてくれたんだ。こう見えて剣の腕もなかなかのものだぞ」と説明してくれた。
 「ほう」
 エドガーさんの目が鋭く光った。だけどそれはほんの一瞬で、すぐに「そうか。弟を助けてくれてありがとう、」と頭を下げたものだから、わたしは慌てて首を横に振りながら、またマッシュの後ろに隠れたのだった。


 その後バナン様(と言うのがライオンお爺さんの名前らしい)を中心に作戦会議が始まった。そこで初めて、この戦いが予想以上に複雑なものである事を知った。
 幻獣という存在。ずっと昔に滅んだ筈の魔法。魔法と幻獣には深い関わりがあるので、帝国が幻獣の力を利用して魔法を蘇らせようとしていること。それを阻止するために幻獣の力を借りるしかなくて、その鍵を握るのがさっきの女の子――ティナ――であること。
 何故彼女が鍵を握っているのか。それはナルシェに、氷漬けの幻獣が眠っていることと関係があった。ティナが前にナルシェに来た際、その幻獣と共鳴(共鳴ってどういうことなのか聞ける空気ではなかった)したそうなのだ。そんな彼女なら幻獣の世界への扉を開ける事が出来るかもしれない。だが帝国が幻獣の存在に気付き、奪いに来る。まずはこちらに向かっている帝国と戦うのが先だ。
 正直、理解できたのはナルシェに来る帝国と戦う、ということだけだった。魔法とか幻獣とか、自分の想像を超えすぎてぴんとこない。だけどみんなは真剣な顔で会議を繰り広げている。みんなは内容を理解しているのだろうから、それをこの場で誰かに聞くのは憚られた。自分だけが状況を良く分かっていない孤独に加えて、剣の腕がどこまで通用するのかも不安になった。もしかしたら足を引っ張ってしまうかもしれない。一緒に旅していたマッシュもカイエンさんもシャドウさんも、わたしなんかよりずっと強かった。自分より大きなモンスターに向かっていくガウ君の勇気にはとても敵わない。ナルシェに着いたら着いたで帝国の女将軍だった人やエドガーさんなど、またも強そうな人がいる。それに、バンダナの人は敵地で情報を入手したり相手の撹乱が専門らしく、お髭のお爺さんはリーダー、ティナは戦いの鍵を握る存在だったりと、誰もが何かの役割を担っていた。
 わたし、ここでやっていけるのかな。
 会議が進むごとに気持ちは重くなって、いつの間にか自分の手しか見えなくなっていた。
 だから気付かなかった。エドガーさんの視線に。

 「
 会議の後呼び止められて振り向くと、エドガーさんが個室のドアを開けて「少しいいかな。聞きたい事があるんだが」とわたしを手招きした。呼ばれた理由が分からなくて戸惑い、かと言って断る理由も浮かばず立ち往生していると、成り行きを見守っていたマッシュが「兄貴、も長旅で疲れてるだろうし、ゆっくりさせてやってくれよ」と割って入ってくる。ほっとしたのもつかの間、エドガーさんは「私の用事が終わったら勿論そうして貰うつもりだよ」とすぐ返事した。
 「マッシュこそ風呂に入るといい。お前だって疲れているだろう?」
 「そりゃ、まあな」
 「別にを取って食おうと思っているわけではないから、安心しろ」
 「わ、わかってるよ。けど」
 「私はそんなに信用がないのか?」
 「そう言うわけじゃ…でも」
 「あの、引き止めてごめん、わたし大丈夫だから」
 何か言いかけたマッシュの腕を引っ張って制した。せっかく10年ぶりに再会した兄弟を険悪な空気にしたくない。まだ心配そうなマッシュを見送ってから個室に入ると、そこは小さな机と椅子、古ぼけたソファーがあるだけの簡素な部屋だった。ソファーに座るよう促されたので言われるがままに座ると、エドガーさんはソファーの前まで椅子を引いてきて腰を下ろす。向かい合っているのが落ち着かなくて、机を見たり天井を見たり足元を見たりしていると、くすりと笑う声がする。
 「、そんなに身構えることはないよ」
 「は、い」
 そう言われても、普通は身構えるだろう。一向に緊張を解かないわたしを見て諦めたのか、エドガーさんは目を細めてまた笑った。
 「君はニケアから来たと言ったね」
 「はい」
 「剣が使えるらしいが、ニケアでは何を?」
 「じ、自警団で働いてました」
 「自警団?」
 「ニケアはどこの国にも属してないから、魔物が襲ってきた時とか災害の時には自分達で町を守らないといけなくて…。自警団はそのために作られた団体なんです。剣は最初はそこの先生に少し習って、後は町の外で魔物と戦って鍛えました」
 「生まれも育ちもニケアかい?」
 「はい」
 この人は整った顔立ちをしているので、正面から見つめられるとそれだけで気圧されてしまう。それに色々聞かれて、なんだか尋問みたいだ。どうにも居心地が悪い。
 「ということは、当然ご両親も同じ町にいる訳だ」
 「はい。母は他界しましたけど」
 「お父上が健在なのに、なぜ町を出たのかな?」
 「え?」
 「私がマッシュから聞いて疑問に思ったのはそこなんだ。君はなぜ旅に出た?そして何故、リターナーに入ろうとしている?」
 エドガーさんの青い瞳が、射抜くように鋭く見つめてくる。
 彼から見ればただの町娘がずっと弟と一緒に旅をして、しかも仲間に加わろうとしているのだから不審に思うのも当然だ。もしかしたら帝国のスパイか何かと疑われているかもしれない。誤解されたくなくて、わたしは言葉を選びながら答えた。
 「…わたしと父は仲が悪いんです。母が他界してからはもっと仲が悪くなって一緒に暮らせる状態じゃなくなったので、町を出ました」
 「それなら別々に暮らせば済む事だろう。君は働いているし腕に覚えもある。ニケアは広い。探せば一人で暮らせる家も見つかる筈だ」
 「ち、父はあの町で色々な権限を持っているんです。それで、家も仕事も無くなってしまって」
 「どうしてお父上にそこまでの仕打ちをされるのか、心当たりは?」
 「それは……言えません」
 青い瞳の輝きが鋭さを増した。
 「何故言えない?」
 「い、言いたくないからです」
 「言いたくない、か」
 エドガーさんは顎を撫でた。どう攻めようか考えているようにも見える。
 「明日、ナルシェは戦場になる。マッシュに誘われたからという理由だけで戦うのなら止めておくことだ。無駄に死に急ぐことは無い」
 「い、嫌です。わたしも戦います」
 「どうして。ニケアは帝国と敵対関係にあるわけではないし、君は直接帝国から被害を被ったわけではないだろう」
 「それでも、戦います」
 「君の旅の理由を言いなさい。突然現れた少女を易々と仲間に加えるほどリターナーは寛容な組織ではないよ」
 「理由……」
 エドガーさんは怪しい個所を探し出そうとするかのように目を逸らさない。説明しようにも、どこから、そして何を話せばいいのか。
 「上手く、説明できないんです。理由になるのかどうかも分からないし」
 「構わないよ。思いつくままに話してみなさい」
 その言葉に従って、本当に思いつくままに言葉を紡いだ。
 とにかく故郷から遠くに行きたくて町を出たこと。町を出た理由はどうしても言いたくないけど、帝国とは関係のない個人的な理由であること。これからどうしたらいいのか途方に暮れていたこと。そんな時にマッシュと出会って一緒に旅することになって、仲間と目的が出来てとても安心したこと。
 ドマが滅んだのを聞き、カイエンさんの怒りと悲しみを見て、ケフカを止められなかった事を後悔したこと。
 旅をしていてカイエンさんをお父さんのように、マッシュをお兄さんのように、獣ヶ原で出会ったガウ君を弟のように思い始めていること。
 三人が帝国と戦うのなら、一緒に戦いたいと思っていること。
 長いようで短かった旅の間に感じた事を、噛んだりどもったりしながら、何とか話し終えた。

 「ふむ」
 沈黙が続いて耳が痛くなってきた頃、エドガーさんがぽつりと呟いた。
 「帝国と戦う理由としては、少し弱いかもな…」
 弱いのだろうか。さっき前置きしたように、わたしにはこれが理由になるのかどうかも分からない。
 「強い理由って、なんですか」
 エドガーさんは驚いた後ちょっと笑ったけどわたしは笑えなかった。変な事を聞いてしまったと後悔していたのだ。
 「いや、失礼。他人が聞いても納得できる理由かどうか、と言う意味だったんだ。大切な人を奪われたとか、国を滅ぼされたとか」
 ああなるほど、そういうことか。納得して一人で頷いていると、エドガーさんが顔を覗き込んできた。
 「つまり君は居場所を守りたいんだね。誰かに必要とされたい、と言った方が近いかな。帝国の横暴を止めるために戦う私達とは違う」
 「えっ」
 跳ねた心臓に言葉の針が刺さった。痛みは鼓動を繰り返すたびに全身に広がって、その事だけしか考えられなくなった。
 その通りだと、心が言ってる。


 母が亡くなった後、父はわたしを虐げた。家は安住の地ではなくなった。
 やがて家を出たけれど、父の横暴はそれだけでは収まらず、その事で、町の人達も信じられなくなり。
 レテ川でマッシュと出会い、旅の目的が決まった。でもマッシュの事だから、そこにいたのがわたしでなくても仲間に加えた筈だ。戦えさえすれば。
 いつもどこかでこれでいいのかと思いながら旅をしてきたわたしは、確かにエドガーさんの言う通り、ここにいてもいいんだと思われたかったのだ。
 わたしの戦う理由は帝国に虐げられている人達の為でもなく、完全に自分の都合だけを考えたものだった。覚悟の足りなさを思い知らされた気がした。ここにいる人達から見ればわたしはあまりにも場違いな浮ついた小娘だ。
 「わたし……」
 そう見られていると教えられてもなお、わたしはみんなから離れたくない。

 「わたし、泳ぐのは得意なんです」
 「ほう?」
 「足もそこそこ速いから、連絡係とかなら出来るかもしれないです」
 「、君の言いたい事が分からないのだが」
 「一番危険な所にも、誰かが行かないといけないのなら、わたしが最初に行きます」
 「いや、女性を危険にさらすわけには」
 「わたしに万が一の事があっても悲しむ人はいないから大丈夫です。だから何でもします。ここに居させてください」
 多少の危険は覚悟するつもりだ。父以外身寄りもなく、他に取り柄がないわたしが出来そうなことと言ったら、自分を犠牲にすることしかないように思えた。我儘でここに居させて貰うのだから。
 ぽかんとしていたエドガーさんの顔が、段々ばつの悪い表情になっていく。
 「、君は誤解している。いや、私が誤解させてしまったのか…」
 「誤解?」
 「私は君をここから追い出すつもりはないよ。他の皆もそうだ。帝国との戦いが明日に控えている。仲間割れしている場合ではないからね」
 今度はわたしがぽかんとする番だった。
 「そうなんですか」
 「そうだよ。だが戦いが終わって余裕が出来れば、君の素性が気になる者も少なからず現れるだろう。だから話をしてみようと思ったんだが、君が隠そうとしているから、少し意地悪してしまった」
 さっきまでわたしを怪しんでいた人が急にそんな事を言うなんて信じられなくてまだ警戒していると、頭がふわ、と重くなった。
 「君が全てを話していなくても、マッシュは昔から人を見る目は確かだった。あいつが君を信じるのだから、私も君を信じるよ」
 落ち着かせるつもりなのか、エドガーさんが頭を撫でていた。王様だから普段こんなことはしないのだろう、ぎこちない手つきが次第に警戒心を解いていく。
 「すっかり怖がらせてしまったが、もう君を怖がらせたりしないから、安心しなさい」
 わたしは頷いた。神経がすり減るようなやり取りですっかり忘れていたけど、この人はマッシュのお兄さんなのだから、多分、いやきっといい人だ。気が緩むと急に疲れが襲ってきた。船が着いたサウスフィガロから雪のナルシェまでずっと歩いてきたから、もうくたくただ。
 「疲れているのに引き止めてすまなかったね。明日も早い。もう寝なさい」
 「はい。あの、おやすみなさい」
 頭を下げてソファーから立ち上がろうとすると「、一つだけいいかい」と引き止められた。
 「何ですか?」
 「もし君が怪我したら、カイエンもガウも、マッシュも悲しむ。他の仲間も、勿論私だって、新しい仲間が危険な目にあって何とも思わない、なんてことは無い」
 「?」
 「自分に何かあっても悲しむ人はいないなんて、言ってはいけないよ。君の代わりはどこにもいないのだから」
 エドガーさんの目は真剣だった。さっきまでの探るような色はどこにもなくて、労るような励ますような、そんな優しさに満ちている。色々失言があったかもしれないけれど、この時ほど自分の言葉を後悔したことはなかった。謝ろうと口を開いたわたしの頬を大きな両手が包んだ。今度はそれほど驚きも、恐怖も抱かずに済んだ。
 「周りの人を大事に思うように、自分の事も大事にしなさい。分かったね」
 「はい」
 エドガーさんが安心したように笑顔を見せたので、わたしも笑った。単純に険しい顔をした人がやっと笑ったという安堵だったのだけど、それを見てエドガーさんは益々嬉しそうに笑った。
 「良かった。やっと笑ってくれた」
 「へ?」
 「君はここに来た時から、ずっと不安そうな顔をしていたから」
 「え…」
 ここに来てから笑う余裕なんて無かった。笑ってはいけないような気にもなっていた。みんな自分の事や明日の事で一生懸命なのだから。緊張も不安もあったけど、迷惑をかけないように表に出さないようにしていたのだ。それなのにどうして、この人は気付いたのだろう。
 「私はこれでもフェミニストだから、女性の表情の変化にはすぐ気付くのさ」
 わたしの頭の中を読んだかのようにくすりと笑って、エドガーさんはウィンクする。
 「憂い顔も美しいが、笑顔の方が魅力的だ。ずっとそう思いながら君を見ていたからね」


 さあ、おやすみ。耳に心地よい声で言われて、ふわふわした気分で部屋を出た。
 時計を見ると部屋に入った時から三十分も経っていない。やって来た時と同じ格好のままのわたしを見たリターナーの女の人が、ナルシェには温泉が沸いているから入って疲れを取りなさい、と言ってくれたので、言葉に甘えて温泉に向かった。
 歩きながら髪の毛を手櫛で梳かして、服を叩いて埃を落とした。温泉の近くに作られた脱衣所に掛けてある鏡を見て、顔を色んな角度から映す。
 頭の中で何度も繰り返すあの人の言葉に従うように、にこり、と笑顔を浮かべてみた。
 次の瞬間、鏡に映るぎこちない笑顔が、みるみる赤面していく。照れ臭くなって、さっさとお風呂に入る事にした。

 でも、どうしよう。
 『笑顔の方が魅力的だ。ずっとそう思いながら君を見ていたからね』
 あの人の言葉が、頭から離れない。
 頬を押さえられた手の感触が、いつまでも消えない。
 あの時から、ずっと顔が熱い。ナルシェは雪に覆われていて、凍えるくらい寒い筈なのに。


 わたし、おかしい。


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