命をチップ代わりにした賭けに、勝った。
 瓦礫の塔の崩壊後、ファルコンを安全な所まで誘導してくれたティナを救い、空を覆っていた赤い雲が晴れていくのを見て、ようやく俺たちは、これで全てが終わったのだと実感した。
 長いような、短いような、旅だった。

 そして、終わりが始まった。
 サマサの村でリルムとストラゴスを下ろし、モグとウーマロをナルシェで下ろし。
 年寄りとガキ、あと人外の組み合わせで湿っぽい別れを予想し、そんなのはご免だと思っていたが、実際こいつらは皆あっさりと船を降りていった。リルムでさえも、少し涙ぐんではいたものの、結局泣くことはなかった。交わしたのは「元気でね」「お前らも元気でな」程度の軽い挨拶だ。
 次に、ティナをモブリズに送り届けた。
 ガキどもがティナの周りに集まり、その後ファルコンを見て凄い格好いいと騒ぎだし、まんざらでもなくなった俺はティナの勧めもあって、まだ残っているメンバー達と一泊した。
 夜が明けて、仲間たちは思い思いに別れの言葉を口にした。それは彼女が魔導の力を失った事と関係があった。力を無くした少女一人が一つの村を守るのは、並大抵のことではない。
 「ティナ、困った事があったら連絡するんだぞ!俺が守るから!」
 「私もすぐ駆けつけるわ。どこにいても必ず」
 「もし他の村や町のとの間でいざこざが起きたらフィガロに連絡をくれ。出来る限り力になろう」
 「俺は世界中を旅するつもりだから、時々モブリズにも様子を見にくるよ。子ども達の遊び相手くらいにはなってやれるしな!」
 「危険な魔物が来たら教えて下され。ガウ殿とドマ兵の生き残りと一緒に駆けつけるでござる」
 「足りない物があったらニケアに連絡ちょうだいね。すぐ送るから」
 それぞれの言葉に、ティナは涙ぐんで頷いた。
 ロックをコーリンゲンで下ろした時は、ちょっとムカついた。ファルコンから出ようとしているロックにセリスが「待ってロック、私も!」と、思い切り抱きついたからだ。ロックは目を丸くした後、「よし、俺と来いよ!」と笑い、二人して降りていく。「じゃあな!面白い洞窟とか宝の噂とか、なんか聞いたら俺に教えてくれよな!」と笑顔で別れを告げるロックが無性に憎たらしくなって、俺はその頭を力いっぱい殴った。
 すぐに腹を蹴り返されたが。
 次に向かったのは、ドマ城だった。
 上空から見ると廃墟のように見えた城は、実際に足を踏み入れてみると、人の活気に満ちていた。それもその筈で、生き残ったドマ兵や城近くの住人が城に集まって生活しており、少しずつだが復興の兆しが見えていたのだ。
 カイエンが降りるのと同時に、ガウがその後に続いた。今までこの二人を見ていて親子のようだと思うことも多かったから、きっと一緒に降りるのだろうと思っていたら案の定だ。
 「何かあったら声かけろよ。あちこち飛んでるからつかまりにくいとは思うがよ」
 「うむ、かたじけない」
 「セッツァー!元気でな!おれたち仲間!仲間!」
 「おう」
 ドマを後にし、飛空挺をしばらく走らせていると、やがて地平線が金色に染まりはじめた。
 すぐに輝く砂漠が現れ、遥か向こうにぽつんと建物が見える。
 「見えてきたな」
 「ああ」
 最後に残った兄弟を、下ろす時が来た。

 「セッツァー、今まで色々ありがとうな!」
 「全くだよ。ただ働きもいい所だ」
 マッシュに言い返した俺に、フィガロ兵が顔色を変える。エドガーが大笑いした。背後の兵の剣呑な気配に気付いているのかいないのか。
 「だが、飛空挺の整備は私も手伝っただろう?お相子だ」
 「まあ、な」
 「楽しいことばかりではなかったが、それでも楽しかったよ。飛空挺に乗って旅をするとは思わなかった」
 明るく言ってエドガーは付け加える。顔を伏せて、感情を見せないように。
 「忘れないよ」
 ああ、そうか。
 今、国としてまともに機能しているのはフィガロだけだ。だからエドガーは、フィガロだけでなく世界を導かないといけなくなった。あの時叫んだ「秩序ある国」のために。こいつが自分の夢を叶えるには、相当の時間が必要だ。それこそ、彼の残りの人生を全てかけるほどの時間が。この旅は籠の中の鳥が手に入れた、たった一瞬の自由だったのだろう。
では、マッシュが世界中を旅するのは。
 「俺も忘れないよ。楽しかった」
 兄を助けるためか。眩しいほどの笑顔に目を合わせられなくなって「まあ、俺も楽しかったぜ」とだけ言って、俺は飛空挺に乗り込んだ。
 柄にもなく泣きそうだ。

 そしてファルコンには俺だけが残された。
 残された、という言い方は正しくないか。元々一人で世界を飛び回っていたのだから、元に戻っただけだ。それなのに妙に落ち着かない。
 操縦席までの階段をゆっくり上がると、思いのほか自分の足音が響く事に気付いた。この階段はよくガキどもとロックの遊び場になっていて、大層騒々しかった。 じゃんけんで勝った方が一段上がっていく(あるいは一段下がっていく)というベタな遊びで、大体はリルムが、時々ロックが勝っていて、ガウが腹を立てていたな。思い出して、喉の奥でくく、と笑った。
 厨房を覗いてみると、明らかに見覚えのない道具類や食器が増えていた。料理の好きな奴らがいつの間にか買っていたのだろう。マッシュや、意外にロックあたりも料理が上手かった。ティナもいつの間にか腕を上げていた。それに引き換えセリスは…。
 彼女の手料理の味は忘れようとしても忘れられない。一口食った途端遠くにダリルが見えた。あれが三途の川ってやつなんだろう。見たのはあれが初めてだ。
 見慣れない食器の中に、割れにくいプラスチック製の皿と、ファルコンには似つかわしくない繊細なデザインの茶器があった。皿はガウが良く使っていたもので、 茶器はエドガーとマッシュが良く使っていた。時々女性陣に茶を振舞うこともあったな。同じ茶葉なのに、どうしてもあいつらが入れたものと同じ味が出せなかったのは悔しい思い出だ。
 厨房を出て談話室に入った。いつも誰かがここにいて、全員揃うと狭く感じるほどで、何とかならないかと思いながら旅をしていたこの場所は、無人になると驚くほど広かった。
 談話室の中心にあるテーブルでは、よくカイエンがガウに字を教えていた。そのおかげで文字すら知らなかったガウが、簡単な読み書きが出来るようになり、世界崩壊後に再会した時は計算も出来る様になっていた。ガウの上達を、ガウ本人よりカイエンの方が喜んでいた。
 その向かいに座って絵を描いていたのはリルムだ。彼女が良くスケッチしていたのはティナで、ティナは頼まれるたびにモデルになっていた。無心に鉛筆を、時には筆を動かすリルムの傍らにはいつの間にかインターセプターが控えていて、その様子をストラゴスは目を細めて、シャドウはただじっと見つめていた。シャドウの暗い瞳にリルムはどのように映っていたのか。今となっては知る由もない。
 砂漠の日差しが眩しくてカーテンを閉めると、すぐそばにあるソファーに目を向けた。
 大きな窓の近くのこのソファーはの定位置だった。あいつはここで本を読み、外の景色を見て、日光浴もして。
 昼寝は勿論、暑い夜には部屋よりここの方が涼しいから、とか言ってここで眠り。
 この上で寝転がって紅茶を読みながら雑誌を読んでいた時は、カイエンにでかい声で「行儀が悪い」と怒られて涙目になり。
 とにかく相当この場所がお気に入りだったのだ。
 「……あれ?」
 俺はすぐその事に気付いた。むしろどうして誰もいなくなるまで気付かなかったのか、不思議なくらいだ。
 は、いつ飛空挺から降りた?


 サマサ組と別れるとき、あいつは「元気でね…ひっく、また…会おうね、ぐすっ」と泣き出し、リルムの服を涙と鼻水で汚して怒られていた。
 ナルシェでも、モグに抱きついている時間が長すぎてウーマロに引き剥がされていた。
 ティナとの別れでは何かあったらニケアに来るよう言っていたし、ロックとセリスが降りていった時には「ロックは大切な物を盗んで行きました。それはセリスの心です」とカイエンに話しかけ苦笑いされていて、そのカイエンと、一緒にドマで降りたガウには「またすぐ会いに来るからーー!」と、飛空挺の甲板から手を振って泣き叫んでいたのを見ている。
 「いや、待てよ」
 確かフィガロ兄弟が降りるときに、マッシュは「も一緒に来いよ!」と。エドガーは「フィガロでしばらくのんびりするといい」と。
 軽い口調ながら、断ることのできない強い瞳で来るよう誘われて、あいつは戸惑いながら二人の後ろについて降りていた。その後ろを俺が降りていったから間違いない。
 だが、別れの挨拶をしていた時、既にあいつはいなかった。
 ということは、もしかすると、もしかして。


 一つの答えを確信しながら、甲板に出た。エンジンを入れて舵を取ると、飛空挺は砂埃を上げながらゆっくりと地上から離れる。しばらく滞空モードにして再び談話室に向かい、お気に入りだったソファーの下を覗き込んだ。
 「あ、見つかっちゃった」
 いた。
 失敗した時、怒られた時、後は逃げる時。
 とにかく都合が悪くなった時、あいつはいつもこの下に隠れていて、そのせいでこのソファーの下だけは掃除しなくても殆ど汚れていなかった。あいつが隠れるならここだと思って覗いてみたら案の定だ。
 「お前……エドガーたちと降りたんじゃなかったのか?」
 「降りたけど、引き返してきた」
 「あいつら今頃血眼で探してんぞ?」
 「でも、今フィガロ城に行ったら、しばらくは国外に出れなさそうな気がして…それで…」
 それはそうだろう。あの兄弟はこの小娘に異様なくらい執着している。一度こいつがフィガロに入ったら最後、気付かれないように優しい言葉と態度で自由を絡め取り、誰にも取られないよう手元に置いて置くのだろう、しばらくどころか、きっと一生。
 「だから残ったの。わたし達が取り戻したこの世界が、これからどんな風に変わっていくのか見てみたいから」
 「その移動手段は飛空挺か?」
 「もちろん!」
 「俺様を顎で使うたぁ、お前の図々しさは相変わらずだな」
は悪びれずに笑った。釣られて俺も笑った。
 この旅で変化した奴は多い。愛を知った少女、愛を得た女、恋人の死を乗り越えた男、生き別れの兄弟と再会した男、家族を失うも新しい絆を得た男。失った夢と友の翼を取り戻したのは俺だ。
 それなのにこいつはちっとも変らない。変わったのはその外見だけで、出会った時、いやそれ以上に果てしなく図々しいままだ。だけどその変わらなさが心地よかった。
 ああ、そうか。
 唐突に気づいてしまった。俺は寂しかったのだ。賭けに決着がついたことも、旅が終わったことも、仲間との別れも。
 「だからさ、しばらくあちこち当てもなく旅をしようよ。セッツァーとわたしと、二人で」
 いたずらな瞳が覗き込んできた。その額にデコピンを食らわせて歩きだした俺の後ろを、とことことがついてくる。
 甲板に出たところで、俺はを振り返った。
 「どこに行ってもいいがな。行き先を決めるのは俺だ」
 「どこに行くの?」
 「とりあえずジドールだ」
 「なんで?あ、確かセッツァーって、オペラ歌手を誘拐して結婚しようとしてたらしいね。マリアさんだっけ?」
 「誰が話したんだ…それはセリス達のせいで失敗したんだ。全く上手くはめやがってあいつら…」
 あの求婚の失敗が長い旅の始まりになるとは、その時は夢にも思わなかったのだが。
 「まだマリアさんの事気になってる?」
 「まあ、少しはな。いい女だし」
 「じゃあ、手始めにマリアさん空の旅にご招待しちゃおっか!せっかくだし」
 「誘拐だろそれ」
 こんな軽いノリの誘拐計画を聞いたのは初めてだ。なんだその「せっかくだし」って。当のはくるんとした目で俺を見上げて小首をかしげている。「セッツァーもこれから暇でしょ?やっていないこと、全部しようよ」
 「へっ」
 やっていないこと全部。その欲張りな響きは冒険心をくすぐるには十分だった。にやりと笑って、俺は操縦舵を握った。
 「よし、ジドールに向かうぞ。オペラ座に予告状を出して、今度こそマリアをかっさらう。派手にやるぞ!」
 「おおお!!いいね!」
 「しばらくは時間があるから、お前はフィガロ兄弟との別れでも惜しんでろよ」
 は言われたとおりに駆け出して、甲板から地上に向かって手を振った。エンジン音に混じっての名前を呼ぶ声が聞こえてくる。
 「!降りたんじゃねえのかよ!?」
 「くっ!全兵オートボウガンを構えろ!狙いは飛空挺ファルコンだ!」
 「おっと!そうはいくか!」
 撃ち落とされてはたまらない、これからする事がたくさんあるのだから。俺は舵を大きく右に動かした。飛空挺も同時に右に旋回する。そのまま猛スピードでフィガロ城を後にして砂漠を抜けた。二人の叫び声はあっという間に聞こえなくなり、甲板で手を振っていたは小走りで俺の隣に立った。
 「上手く逃げられたね!」
 「当たり前だろ。世界最速の乗り物だぞ」
 「そうだよね。ねえ、飛空挺の操縦してもいい?前からやってみたかったんだ」
 「おう」
 に舵を握らせて、後ろから覆いかぶさるようにして、小さな手に俺の手を重ねた。
 「お前が一人で操縦できるようになるまでは、こうやって操縦するからな」
 耳元で囁くと白い頬が赤く染まって、それだけで楽しい予感に胸が躍った。
 こいつは覚えるのが遅いから、こうしていられる時間は長いことだろう。

 俺達の旅はこれからだ!


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