帝国と戦うには力が足りないということを日々痛感していた一同は、数ヶ月間メンバーを交替しながら草原や森を歩き回り、レベルを上げるための戦いに明け暮れていた。
 今日のメンバーはフィガロ兄弟とロック、それと最近留守番が続いたため他のメンバーよりレベルが低いの4人である。
 何かと理由をつけては触ろうとしてくるエドガーと一緒であることには抵抗を感じたが、このまま飛空挺に残って皆とレベルの差が開いていくのも嫌だった。幸い、雰囲気から何かを察したセリスが「知ってる?股間って、男性の体で唯一鍛えられない場所なの。つまりエドガーに何かされそうになったら…分かるわね?」という、具体的かつ実践的なアドバイスをくれたので、それをお守り代わりに、3人に続いてブラックジャック号を降りたのだった。


 「マッシュ」
 「ん?」
 「エドガー、何かあったの?」
 先頭を鼻歌交じりで歩くエドガーに気付かれないように、は小声で横を歩くマッシュに尋ねた。マッシュは「何かって、何が」と答えになっていない答えを返してきたので、言葉が足りなかった事に気づき、さらに小声で「だって、」と付け足す。
 「凄く機嫌がいいから、何かあったのかなって。レベルが立て続けに上がったとか、凄いアイテム見つけたとか」
 「おいおい…分かってないな、は」
 少し後ろにいたロックが、隣に並んで耳打ちした。
 「がいるから、だろ?」
 わたし?と目を丸くするの肩を、ロックはにやにやしながらポンポン叩く。
 「エドガーは、さすらいのギャンブラーよりも女の子と一緒の方が、旅も楽しいんだよ」
 は今回「そろそろ飛空挺の整備がしたい」と言ったセッツァーの代わりに戦いのメンバーに加わったのだ。
 「セッツァーと一緒だった時は不機嫌だったの?男同士もそれなりに楽しいんじゃないの?」
 「不機嫌じゃなかったけどさ。毎日野郎ばっかで旅してるとエドガーってため息が多くなるんだよな。んでそのうち、華やかさが足りないってぼやき出す」
 「そうなんだ。じゃあ、ティナとかセリスが一緒の時も、エドガーってやっぱりあんな感じ?」
 「確かに機嫌はよくなるけど、あそこまで良くはならないな。やっぱり…」
 「気をつけろ!モンスターだ!」
 ロックの返事はエドガーの叫び声に遮られた。
 それと同時にエドガーはそのままの前で、マッシュとロックはの横で、一番レベルが低い彼女を守るように構える。守られるだけだなんて冗談じゃないとばかりにも瞬時に剣を敵に向けた。が、悲しい事に出番は殆どなかった。


 『なんかわたし…みんなの足…引っ張ってる気がする』
 久しぶりに戦ってみると、フィガロ組の3人が強くなっているのは一目瞭然だった。
 ロックが敵を翻弄し、隙が出来た所にマッシュの必殺技が炸裂、そこで仕留め損ねた敵はエドガーのオートボウガンの餌食になる、という基本的なスタイルはそのままなのだが、ロックはいつの間にか攻撃しながらアイテムを盗めるようになっていて、マッシュは強力な技をたくさん覚えていて、エドガーはさらに色々な機械を駆使するようになっていた。チームワークもより良くなっている。
 『足引っ張ってるって言うか…引っ張ってるならともかく…いや良くないけど…ほぼ空気と化している…』
 戦いでがした事と言えば、高い素早さを生かしたポーションによる回復と、オートボウガンでも仕留めそこなった敵に止めを刺しただけ。
 明らかに弱いという事実に、密かに凹んだ。それを顔に出すと余計に気を使われそうだったので、明るく振舞おうと鼻歌を歌って誤魔化した。ただ彼女ははけっこうな音痴だったので、鼻歌を歌うたびに3人の肩が笑いを堪えて震え、それにもまた凹んだ。

 旅の始まりこそいまいちだったが、太陽が傾きだした頃、ちょっといい事があった。
 群れで襲ってくるモンスターと多く出くわし、空気だったの出番も増え、何度目かの戦闘を終えた後、体に力が漲ってくるのを感じたのだ。
 『レベル上がった!それも多分、たくさん上がった!』
 一気にレベルアップしたおかげか新しい剣技を思いついた。おまけに魔法まで覚えたのだろう、口と手が動くままに、
 「ケアル」
 小声でそっと唱えると、まだ血が少し流れていた腕の傷が淡い緑の光に照らされた後、跡形もなく消えた。攻撃魔法はそれなりに覚えていたが、回復魔法を覚えるのは初めてだ。たった今光を放ったばかりの自分の手が急に尊いものに見えて、どきどきした。
 「おーい、何してんだー?」
 「早くしねーと置いてくぞー」
 気がつくとロックとマッシュの姿が遠くに見える。は慌てて置いていた荷物を肩にかけ、走って二人を追いかけた。


 その日は野宿する事になった。
 テントと火の準備をとエドガー、食材探しをロックとマッシュがする事になり、「私がテントを張るから火の準備を頼むよ」とエドガーに言われ、は早速その辺から木の枝を集め始めた。
 多めに集めた枝を重ねて、燃えやすいようにまず小さな枝や枯れ葉にファイアで火をつける。二人が帰ってくる頃にはちょうどよく燃えているだろう。今日は木の枝も枯れ葉もすぐに集まったから、思ったより早く作業が終わり、エドガーのテント張りの手伝いをした。それもすぐに終わってしまい、手持無沙汰になったは、焚き火のそばに腰かけて、ケアルを使った時の感じを思い出しながら、両手をじっと見ていた。
 夢じゃないよね、さっきのケアル。
 また使ってみたいなあ、と思ったとき、くすっ、と小さく笑う声がした。
 声の主は勿論エドガーで、の隣に腰をおろして、今度はにっこり笑いかけてくる。
 「どうしたの。急に笑って」
 「おめでとう、
 「何が?」
 「レベルアップと新しい呪文。覚えたんだろう?」
 びっくりした。
 どうして気付いたんだろう。いつ気付いたんだろう。ずっと先頭に立ってて、後ろなんて見てなかった筈なのに。
 聞きたい事が色々あって、そのどれもが上手く出てこなくて、結局エドガーをじっと見つめるだけに留まった。エドガーも、透き通った青い目でにこにこしながら見つめてくる。照れ臭くなって目を逸らそうとして、彼の右頬の辺りに小さな傷を見つけた。テントを張る時かその前に木の枝か何かでひっかいたのかもしれない。まだうっすら赤いから、手当てすれば傷跡も残らないだろう。
 「何の呪文を覚えたのかな?」
 じっと見てくるエドガーは、傷に気付いているのかいないのか。どちらにしても彼はとても綺麗な顔をしているから、痕が残ったら勿体無い。
 は手袋を外して、頬の傷に手をかざした。
 「ケアル」
 手のひらから、さっきの淡い緑の光が静かに溢れた。光が消えた後に手を離すと、傷跡が綺麗に消えている。エドガーが驚いて固まっているので、何か言わないといけない気がした。
 「ケアル、使えるようになったの。初めて回復の呪文、覚えた」
 「そうか。それは凄いね」
 本当に凄い、と言いながら頭を撫でられた。一瞬身を強張らせたけれど、いつもの「女性扱い」とは違って大人が子どもに対してするような撫で方で、安心して撫でられるままになる事が出来た。しばらくそうしているとエドガーは、また驚くような事を言った。
 「元気になって良かった。ずっと落ち込んでるようだったから、心配したよ」
 「え……わたし、そんなに暗い顔してた?」
 むしろいつもより明るく振舞っていたつもりだったのに。
 「無理して笑っている事くらい、すぐに気付いたよ。君は不安になると歌って誤魔化そうとするからね。まあ君の独創的な歌が聞けて、それはそれで楽しかったんだが」
 「………」
 独創的な歌ってそれなんか失礼じゃない、と怒ろうとしたけど、無理だった。
 地味に落ち込むに気付いていた事にも、それを心配してくれた事にも、レベルが上がった後の「おめでとう」も。
 全部見透かされていたのが恥ずかしくて、顔が赤くなってしまう。心配してくれた事が嬉しくて、自然に笑顔になってしまう。
 こういうときって、なんて言えばいいんだろう。「気づいてくれたんだ」とか、「心配してくれて嬉しい」だろうか。
 困ってしまってエドガーを見た。頭を撫でる優しい手の動きと、同じくらい優しい笑顔に励まされるようにして出てきたのは、心からの笑顔と「ありがとう」だった。
 「……参ったな」
 「何が?」
 「そんな顔を見せられると、色々と困る」
 「だから、何が」
 エドガーは答えずにため息をついて「実はね…」と声を潜めて、真剣な顔で話しかけてきた。釣られても真剣な顔になる。
 「私も昼頃にレベルが上がったんだよ。ここだけの話だけどね」
 「そうなの?おめでとう!」
 エドガーは少し笑って「ありがとう。それで、その時に呪文を覚えたんだ」と続けた。
 「どんな呪文?使ってみたい?」
 「使ってみたいね。攻撃呪文じゃないようだから、ケアルのお礼に君にかけてあげようか」
 覚えたての呪文を使ってみたい気持ちはよく分かる。
 「うん!」
 大きな手が頭の上にかざされて、彼の形のいい唇が動いた瞬間、目の前が淡く青い光で埋め尽くされた。そう言えば何の呪文覚えたの?と聞こうとして声が出ない事に気付いた。驚いて唇に触れようとすると、その触れようとした手すら動かない。
 「?」
 ピクリとも動かなくなったを不思議に思ったのか顔を覗きこまれる。危機はそれほど感じていなかった。聡い彼はきっと、この状態が呪文のせいだと気づき、呪文の効果を打ち消すようなアイテムを探してくれるに違いない。
 「…良く効くのだな、このストップと言う呪文は」
 ん?
 声の中に黒いものが潜んでいる。聞き違いかと思って目だけで上を向くと、エドガーは笑っていた。さっきまでとは違う、腹黒そうな笑顔だった。
 「今日は準備が早く終わったから、あの二人が帰ってくるまで時間があるね」
 頭を撫でていた大きな手が、頬を伝って唇を軽くなぞり、くい、と小さな顎を持ちあげた。意図せず見つめ合う形になって、心底愛おしそうな視線に晒された後、ひょいと体を抱きかかえられる。
 「こんなに体が冷えて…テントの中で待とうか。私が温めてあげよう」
 「……」
 「万能薬は切らしているから、自然に効果が切れるのを待つしかないな」
 「……」
 「そうだ、キスしようか」
 「!?」
 強引に話を進めていく男の、突然の提案に白目を剥いた。なんで!どうなれば「そうだ、キスしようか」になる!?精一杯の抗議の意を込めて叫んでみた。呪文は本当に良く効いていて、叫び声は小さな唸り声にしかならない。これはヤバい。この超展開は予想していなかった。
 焦るを楽しそうに見つめて、エドガーはテントの入口を開けた。「昔絵本で読んだんだ。お姫様のキスで呪いが解ける王子様の話を。君はお姫様みたいに可愛いし、私は一応王様だから、キスしてみたら呪文も解けるかもしれないね。でも誰かに見られたら君は恥ずかしいだろう?私は恥ずかしくないんだが」なんて言いながら。良く喋る時は彼の思い通りに事が運んで相当機嫌がいい時。短い付き合いの中で真っ先に学んだ事だった。
 こういう場合ってどうすればいいのかな。聞いてなかったよ。助けてセリス。
 当然セリスの助けは来る筈もなく、テントに入ったエドガーはランプもつけず、を抱きかかえたまま腰を下ろした。外は日が落ちて空気は冷たかったし、テントの中もまだひんやりしているのに、腕の中だけが温かい。こんな時なのに妙に安心して、つい目を閉じてしまう。
 ふわりと薔薇の匂いが鼻を掠めて、いい匂い、と思った瞬間温かいものが唇に触れた。
 「!」
 キスされたのだと直感して、驚いてとっさに身を引こうとして、今更動けない事を思い出す。呪文のせいだけではない理由で強張る体をほぐすように、おでこや頬や首筋にまでキスは及んだ。さっきまではあんなに怖かったのに、冷えた体に触れる唇が温かくて気持ちいい。体の力を抜いて、大人しく身を委ねた。委ねてみると今度は、キスされるたびに胸の奥よりもっと奥の、体の中心がじわっと温かくなった。じんじんと痺れさせるような、それなのに刺激されて益々敏感になるような、初めての、変な感覚。
 の変化に気付いたエドガーが、くくっ、と低い笑い声を漏らした。その声にも体の奥を刺激されたような気がした。
 「ここから先を知りたいなら、教えてあげようか」
 「……」
 宣言通りにキスをされて、体の芯から温められて、その後はどうなるんだろう。
 こわい。けれど知りたい。でも知りたいと思う事が恥ずかしい気がする。でも知りたい。
 どうせ呪文のせいで逃げられないのなら、大人しく、言いなりになってしまいたい。
 はおそらく蕩けそうになっているであろう目をエドガーに向けて、こくりと頷きそうになった。


 「おおっとぉ!手が滑ったぁ!!」


 大声がして、エドガーの頭に何かが当たった。それと同時に彼の膝の上から引っぺがされた。
 突然の事にびっくりしていると、頭の上から「危ない所だった…」と声が降ってくる。太い腕とその声で、引き剥がしたのがマッシュだと分かった。一方の大声を上げたロックは、肩で息をしながら投げつけたもの――確かあれはテントの入り口のそばにあった大きな石だ――を抱え、意識を失っているエドガーの腹の上に乗せて、動けなくしている所だった。
 「全く油断も隙もない奴だな!俺たちのいない隙にに襲いかかりやがって」
 「大丈夫だったか?怖かっただろ?」
 欲しくてたまらなかった救いの手が、唐突に現れた。やっと助かった。それなのに。
 「、どうした?動けないのか?何か言えよ」
 「…あいつ、呪文かけやがったな!スロウか?ストップか?待ってろ、盗んだアイテムに万能薬があったはずだ!」
 助からなくてもいいと思っていた。あのまま続きを教えてほしかった。
 「おい、顔が赤いぞ。大丈夫か?」
 「まさか兄貴に変なことされたんじゃ…おいどうなんだ!?!!」
 だけどそれを、まさかこんなに心配してくれる二人に言うわけにも、ましてや悟られるわけにもいかず。
 「兄貴…信じてたのに……兄貴ィィィ!!」
 「あったあった、万能薬。待ってろよ、すぐ治してやるから」



 エドガーは幸いまだ気絶している。
 呪文の効果が切れたら全部彼のせいにして説明しよう、とは決意したのだった…。



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