8月15日。朝。飛空艇。
最初に気付いたのは、わたしだった。
顔を洗う。着替える。朝ご飯を食べる。洗面所に貼ってあるカレンダーを眺めつつ歯磨きをする。
そんな、当たり前に始まる日常の中に、非日常は潜んでいる。今回それを発見する鍵になったのは、洗面所のカレンダーだった。
「ねえ、今日って、8月15日、だよね……」
「そうよ?」
「てことは、明日って、16日だよね……」
「当たり前でしょ。あ、歯磨き粉とって」
セリスはさらりと流し、歯ブラシに歯磨き粉をつけ、口に含んだ直後に奇声を上げた。がは、ごほ、と少女にしては豪快にむせた後、ようやく落ち着いたセリスはまた「あああああ」と悲壮な声を上げた。そう、セリスも気付いたのだ。
そわそわし始めたわたし達を、どうしたのかとティナとリルムが見守っている。セリスとわたしがしどろもどろになりながら説明すると、二人ともセリスと同じように叫び、どこかに走り去った。他の人に相談しに行ったのだと察したのは、飛空艇全体が急に騒がしくなったからだ。多分今から、フィガロ兄弟を除いた全員が集まって緊急会議が始まるのだろう。
ブルーローズ・ラプソディ
8月15日、昼。フィガロ兄弟以外の皆が集まる談話室。
「どうすんの、何にも準備してないんだけど。ていうか大の大人が揃いも揃って、なんで誰も思い出さないのさ」
胸を突き刺すリルムの言葉で、言い訳大会が始まった。
「仲間を集めるのに必死だったのよ、その前は世界崩壊のショックで、一年間寝たきりだったし……言い訳にしかならないけど」とセリス。
「私……荒原に倒れていたのをモブリズの子供達に助けられたの。子供しかいないあの村を放っておけなくて、子どもたちを狙う魔物と戦ってて……ごめんなさい」とティナ。二人とも申し訳なさそうだったし事情が事情なので、誰も責めはしなかった。
わたしだって決して暢気に過ごしていたわけじゃない。飛空挺から投げ出され、運良く故郷に戻れたのはいいけれど、フィガロに行く旅費を稼ぐために魔物と戦ったり町の女の子たちに護身術を教えたり、とても忙しかった。二人の誕生日どころか自分の誕生日すら忘れていたくらいだ。そう言うと皆、「それなら仕方ない」と、渋い表情で頷いた。正直ほっとした。
「俺だってさあ! 秘宝探して忙しかったさ! 最低三人いないと攻略できないフェニックスの洞窟をさ! 一人きりで攻略してさ! やっと秘宝を手に入れてさ! どんだけ頑張ったか見せてやれないのが残念だ!」
ロックが何故かキレ気味に叫び、皆の批判を浴びた。けれど個人的にはあの洞窟をどうやって一人で攻略したのかとても気になる。ぜひ後で聞いてみよう。
「リルムだってジドールのおっさんの家で魔物と戦ってたもん! 未成年者略取で訴えたら勝つよ!」と、どこで覚えたのか分からない言葉を披露したのはリルムだ。リルムなら本気で訴え、そして勝ちそうな気がするけど、裁判費用はどこから出すつもりなのだろう。
ストラゴスさんも「ワシだって新興宗教にハマってしまって前後不覚じゃったゾイ!」と飛び跳ねながら主張した。全員が「それは理由にならないんじゃ……」という目でストラゴスさんを見たけど、当の本人は飛び跳ねすぎて息を切らしてその場に倒れてしまい、うまく責任の追及を逃れた。
「俺だってブラックジャックが堕ちてから辛くて辛くて、全財産酒に代えて飲んだくれてたんだよ! 仕方ねえだろ!」とセッツァーが堂々と言い放った。当然ブーイングの嵐だった。
その横で頬を赤らめたカイエンさんが「拙者……文通と造花作りに夢中でござった……。今まで造花など女子供が作るものと思っておったが、何度も作っているうちに不器用な拙者でも綺麗な造花が作れるようになった。最初はひどい出来だった造花で、僅かながらギルを稼げるようになったのは嬉しかった……。二人の誕生日を忘れていたのは申し訳ないが、努力は裏切らない、その事だけは知らせておきたいでござる」ともじもじした。
誰も、何も言わなかった。というか開いた口がふさがらなかった。
「拙者が生誕祭で頂いた盆栽を見ながら、マッシュ殿が言っておりましたぞ。自分たちの生誕祭も楽しみだと。皆が忘れていたと知ったら、がっかりするでござろうなあ」
カイエンさんが髭をいじりながら口を開く。
「生誕祭……あ、誕生会のことか。それならエドガーだって『城以外で誕生日を祝ってもらうのは初めてだ』って嬉しそうだったぞ」
「今頃二人とも、期待してるでしょうね……」
セッツァーとセリスの言葉に全員が再び沈黙する中、解決への突破口を開いたのは、最年長者のストラゴスさんだった。
「諦めたらそこで試合終了、という言葉を知っておるかの?」
「え、どういうことジジイ」
「努力すれば勝てるかもしれない勝負なのに早々に諦めると、敗北しか残らん、ということゾイ、多分」
「ジジイもっと詳しく説明してよ」
「準備するのは今からでも遅くない、ということゾイ。急いで準備すれば間に合う筈じゃ」
リルムのジジイ呼ばわりにもびっくりしたけど、それを華麗にスルーするストラゴスさんにもびっくりした。いつもこうやって愛ある罵りを受けているんだ……と感心したけど、今はそれよりもストラゴスさんの言葉の方が大事だ。確かに残された時間はあと一日だ。でも言い換えればあと一日ある。二人の誕生日パーティー、出来るかもしれない!
ティナが、思い出したように口を開いた。
「モブリズで孤児の子たちのお世話をしていた時、ある男の子が誕生日を迎えてね。勿論高価なプレゼントなんか用意出来なくて、せめてもの気持ちでご馳走を作ったの。ご馳走って言ったって野草とか保存食とか、少ない食料を綺麗に盛り付けただけのもので、花も飾ったりしたけどそれも雑草の花で。でもとても喜んでくれたわ」
全員が胸を打たれ、ティナの言いたいことを正しく理解した。要は心なんだ。いかに二人のために動くかが大事なんだ!
セッツァーがカレンダーの予定表を確認し、ニッと笑った。
「今朝あいつらの予定を聞いたら、今日は一日フィガロ城で過ごすって言ってたぞ。明日までばれずに準備が出来そうだ」
「よし、じゃあ今日中に作戦を立てるぞ!」
二人と一番付き合いが長いロックを中心に、作戦会議が始まった。
8月16日、早朝。フィガロ城。
「兄貴、兄貴」
「ん?」
「歩き方おかしいぞ。スキップみたいになってる」
「そうか?そんなつもりはないんだが。ところでマッシュ」
「なんだ?」
「鼻歌を歌うなんて、珍しいな」
「え、俺、鼻歌歌ってるか?」
お互いに顔を見合わせて苦笑した。仕方のないことだ。昨日は城で、楽しい一日を過ごしたのだから。
例年通りならエドガーはフィガロ城で盛大に、マッシュは師の家でささやかにその日を祝うはずだった。が、今年はせっかく兄弟が十年ぶりに再会したのだから皆でお祝いしようと、大臣や神官長から城の下働きの子供達まで参加を許した誕生パーティーが開かれた。世界の状況が状況なだけに食べ物や飲み物は質素だったが、それでも皆が笑顔で二人を祝福してくれて、こんなに楽しい誕生日は子供の時以来だ、と兄弟は顔を見合わせて笑ったのだった。
「昨日はいい一日だったな。みんな笑顔でさ。こんなご時世だし、みんなを励ますつもりが逆に元気貰っちまったよ」
「世界が崩壊しようが城が地下に埋まろうが、フィガロの民は諦めないのさ。あまり見くびってもらっては困る」
「だな。何しろ王様がいいから」
「俺もそう思う」
二人はじゃれ合うように軽くお互いを小突きながら、城の廊下を歩いていた。ひとしきりじゃれ合った後、ふ、とエドガーが真顔になった。
「なあマッシュ、そう言えば、どうして皆は来なかったんだろうな」
「俺も不思議に思ってた」
フィガロ城で誕生パーティーが開かれると聞いた8月15日の昼前、二人は旅のメンバー達もぜひパーティーに参加して欲しいと誘った。が、皆一様にぎこちなく首を横に振り、それぞれに理由を述べて参加を拒否したのだった。
飛空挺を出てしばらく沈黙しながら歩き、同時に「誕生パーティーの準備か!」と叫んだ。皆、自分たちがその日をどんなに楽しみにしているか知っているはずだ。だから飛空挺に残り、きっと今頃パーティーの準備を終えて二人の帰りを待っているのだろう。
「楽しみだな、兄貴」
「ああ、楽しみだ」
今までご馳走と笑顔に溢れた仲間達の誕生日を、喜びと羨望の混じった気持ちで参加していた。そのパーティーの主役は、今日は自分たちなのだ。
二人は締まりのない顔をしながら、朝の散歩へ出かけた。
8月16日、午前。飛空艇の厨房。
「談話室、結構いいじゃねえか。急ごしらえには見えねえぞ」
談話室を通って厨房に来るなり、セッツァーは口笛を吹いて笑った。
リルムが模様を描いた画用紙や包装紙など有り合わせの紙を使って、色合いを考えながら徹夜で作ったガーランドは、セッツァーの言う通りお祝いの明るい雰囲気を出すのにぴったりだ。談話室そのものもセリスが張り切って掃除したからピカピカで、さらに彼女はカーテンやテーブルや椅子を、カイエンさんお手製の造花を使って、試行錯誤しながら飾り付けている。造花の数が足りないようで、カイエンさんは部屋でまだ造花を作っているらしい。
わたしとティナは昨日一晩中パーティーのメニューを考え、使う材料を書き出して足りないものをガウ君とロックに買いに行かせた。二人は造花作りの手伝いとかで夜が遅かったらしく、太陽が昇る前に叩き起こしたことに不服そうだったけど、そうしないと間に合わないし、わたしたちだって眠いのをこらえて料理の下ごしらえをしている最中だ。さらにガウ君たちとは別に、シャドウさんとゴゴ、モグちゃんも買い物に行った。誕生日のケーキを買うためだ。本当はケーキも手作りしたかったのだけど、わたしもティナも料理はするけどケーキは作ったことがないし、時間的な問題もあって諦めた。
「物が物だけにゆっくり運ばないと、崩れてしまうクポ。だから早めに出るクポ!」
そう言ってモグちゃんは皆を連れて朝一番に出て行った。
「料理は、作れる分を作ってる途中。ガウ君たちが戻って来てからが本番って感じかな。プレゼント班はどう?」
「今のペースでいけば夕方には完成するだろ。ウーマロが思った以上にいい仕事してくれてる」
セッツァーは、二人へのプレゼントである写真立てのデザインを担当していた。仲間内で一番センスが良いからと満場一致で決まったのだ。本人もまんざらでもなさそうで、昨日は一晩中作業してデザイン画を仕上げ、さっきまでストラゴスさんとウーマロと一緒に作業していたようだ。ただでさえ悪い顔色が余計悪くなって、どう見ても具合が悪い人にしか見えない。
「コーヒー、ちょうど淹れたばかりだよ。ブラックでいいよね」
「ああ。助かる」
目の下にくまを作ったセッツァーの言葉を受けて、ティナがすぐにコーヒーを淹れた。一口飲んでセッツァーは「いい濃さだ」とため息をつく。
「あいつらにも持って行ってやるか」
セッツァーが、トラゴスさんとウーマロにコーヒーを淹れて出て行った。間を置かず、「買い物行ってきたぞー!」「クポー!」と、買い出し組の元気な声が聞こえる。
「もうひと頑張り、ね」
ティナが疲れの滲む顔で笑った。
8月16日。昼。フィガロ城の門前。
「よし、じゃあ行くか! 少し早いが、今出発すれば夕方には飛空艇に着くよな?」
「もう少し早く着くかもしれないぞ。ああそうだマッシュ、皆が怪しい態度を取っても、何も気づかないふりをするんだぞ」
「ああ! サプライズ、の準備中だろうからな!」
エドガーとマッシュはチョコボに跨り、城の皆に見送られながらフィガロ城を後にした。
8月16日、同じく昼。飛空艇。
「ストラゴスさん、ウーマロ、お昼持ってきたよ」
「おお、もうそんな時間か!」
「片手で食べられるようにサンドイッチにしたけど……作業、進んでる?」
「大分形になってきたゾイ。ウーマロは手先が器用じゃから、助かるゾイ」
「どれどれ……うわあ」
ストラゴスさんの言葉を受けてウーマロの手元を覗き込み、思わず感嘆の声を上げた。ウーマロの手元にある、エドガーが持っていそうな歯車の飾りや、一目見てマッシュお気に入りのティーセットを模したと分かる飾りは、前日に仲間内でも手先の器用なロックとセッツァー、ウーマロが作ったものだ。それを、指示された場所に慎重にくっつけたり、落としたら無くしてしまいそうな小さな部品を、丁寧に磨いている。この太い指でどうして、と思うくらい細かい作業がそこで行われている。多分彼は仲間たちの中で一番手先が器用なんじゃないだろうか。そう思いながら見ていると、ウーマロが振り向いた。
「おれ……見られるの、だめ」
「へ?」
「手が、ふるえる」
「あ、ごめん。お昼ご飯置いとくから、切りのいいところで食べてね。お皿は後で取りに来るから」
見られると緊張して手元が狂う、と言いたいのだろう。悪気はないけど邪魔してしまった。謝ると、ウーマロは小さくうなずき、また作業に集中し始めた。
「さて、次は造花班か」
呟きながら、カイエンさんのいる部屋の扉をノックした。返事がないのでもう一度ノックすると、扉を開けたのはセッツァーだった。
「あれセッツァー、プレゼント作りはいいの?」
「ああ、俺の担当分は終わったから、な。だから今は造花作りを手伝ってる」
「そうなんだ。なんか……眠そうだけど。少し寝たら?」
「他の奴らが動いてんのに俺一人寝るなんざ、出来るわけねえだろ」
せっせと手を動かしているカイエンさんが小さく笑った。セッツァーの義理堅い言葉が微笑ましかったのだろう。わたしも、普段斜に構えているセッツァーが油断した時に見せる情に厚い部分が、結構好きだ。
それはともかくカイエンさんは今、青い薔薇を作っていた。青い薔薇って確か自然界に存在しないんだっけ、など考えていると、カイエンさんがそんなわたしに気づき、「殿は、青い薔薇を見たことがあるでござるか?」とにこりと笑った。
「ううん、ない」
「拙者も青い薔薇はこの世にないと聞いておった。品種改良をしても、青の薔薇はどうしても作れないらしい」
「あ、それは聞いたことある。でも、どうしてあえて青い薔薇を作ったの? 二人の目の色に合わせたとか?」
カイエンさんは「それもあるがもう一つ、大事な理由があるでござるよ」と、にこりと笑った。
「最近知ったのだが、とある薔薇の愛好家が、ついに青い薔薇を作ることに成功したらしい。それ以来青い薔薇には『不可能を成し遂げる』という花言葉が付け加えられたのでござる」
「そうなんだ! カイエンさん、詳しいんだね」
「以前、セリス殿に聞いたのでござる。ともかくこの青い薔薇、あの二人にピッタリでござろう?」
カイエンさんの言葉に大きく頷いた。この世界でも希望を捨てず旅をしていたマッシュと、この世界でも国民に希望を与えるエドガーに、これ以上ふさわしい花はない。いっそ国花にしてほしいくらいだ。
8月16日。14時。
「何とか……なったわ……」
「何とか……なるもんだね……」
買い出し組が思ったより早く帰ってきてくれたおかげで、何とか料理は形になった。
気軽に食べられる物がいいと言うことで、魚介たっぷりのペスカトーレ(ただし、多分ペスカトーレってこんな感じだったよねという程度の知識しかないわたしとティナが作ったので、本当にこれがぺスカトーレなのかは謎)、シンプルなマルゲリータ(名前がパーティーっぽいという理由で選んだ)、ピーマンとか玉ねぎとか、あり合わせの野菜をたっぷり乗せた名もなきピザを三種類、二枚ずつ作った。あとは焼くだけだ。
次に、夏だし熱いから冷たいスープが欲しくなるだろうと言う理由で作ったパンプキンスープ。買ってきてもらった生クリームのおかげで、あっさりしつつコクのある、思った通りの味になった。今はティナがブリザドで出した氷を細かく砕いて、その上に鍋を置いて冷やしている。
パーティーのメインは、カイエンさんに聞いた「鶏のカラアゲ」という料理だ。これがパーティーのメインになるわけだけど、まだ作るわけにはいかない。「これは揚げたてが美味いのでござる」とカイエンさんが言っていたから、パーティーが始まってから揚げる予定だ。そのための下準備は完了している。
野菜もしっかり取りたいよね、ということで作ったのは、サーモンとトマト、レタスにきゅうり盛りだくさんのサラダ。ドレッシングは既製品をお好みでかけてもらうスタイルだ。肉類よりもレタスが一番高かったぜ、とロックが愚痴っていた。
お酒を飲む人達向けにカナッペも作った。色んな料理を作った時に余った具材をクラッカーとクリームチーズの上に乗せた料理(もはや料理と言っていいのか微妙)だけど、一番華やかでパーティーっぽい料理になった。
ふぁ、小さなあくびが零れた。完成したら安心して、急に眠気が強くなったのだ。そんなわたしを見て、ティナが笑いながら提案する。
「ねえ、みんなの様子を見て大丈夫そうだったら、部屋で少し仮眠をとらない?」
「そだね。折角のパーティーなのに欠伸ばかりしたら失礼だし。使った道具とか洗っておくから、その間にみんなの様子を見てきてくれる?」
「ええ」
ティナが出ていき、わたしは調理器具を洗う。道具を洗い終わった頃、ティナが「特に手伝いはいらないみたい。作業で散らかった部屋を片付けたり、もう仮眠を取っている人もいたわ」と、セリスとともに戻ってきた。セリスもちょうど自分の作業を終わらせ、わたし達の手伝いが無ければ仮眠をとるところだったそうだ。
「良かったー、こっちも終わったから早く部屋に行こう。もう眠くてたまらないよ」
「エドガーたちは夕方には戻るって言ってたから、5時か……まあ早くても4時半に起きれば大丈夫ね」
「二人とも、驚くかな。喜んでくれるかな」
「二人が一生懸命作ったんだもの、喜ぶに決まってるし、喜ばなかったら私が許さないし!」
セリスの言葉にキャッキャウフフしながら、わたし達は寝室に行き、すぐに目覚まし時計をセットして、ベッドに横になった。部屋でガーランドを作り終えたリルムはそのまま床で寝ていたけれど、起こすのが悪いくらいぐっすり寝ていたので、毛布をかけておいた。床で寝て、体が痛くならなければいいけど。
そして。
目覚まし時計が鳴った。手元に置いていたのが幸いして、すぐに止めることが出来た。
起きないといけないけど、もう少しだけ寝よう。そう、あと5分だけ……。
8月16日、18時30分。
「ただいまー!」
「今戻ったよ」
マッシュが勢いよく談話室のドアを開け、エドガーが務めていつも通りの笑顔を作った。このドアを開けた瞬間、二人を祝う歓声やクラッカーの音を期待しながら。
「……あ、あれ」
「……えっ」
音は、一つもしなかった。それどころか誰一人いなかった。灯りすら灯っていない談話室は薄暗く、お祝い、という雰囲気には程遠い。
どこか遠くで、カラスが鳴いた。たっぷり数秒間身動き一つ取れなかった二人は、その鳴き声で我に返った。
「誰もいないな、兄貴」
「誰もいないぞ、マッシュ」
何かがおかしい。嫌な予感を振り切るように、先に談話室に足を踏み入れたのはエドガーだった。すぐにテーブルや椅子を飾る花、壁のガーランドの「HAPPY BIRTHDAY」、夕暮れの薄暗さでもすぐに気づけるほどに磨かれた窓に気づき、「出る前とは明らかに違う」と独りごちた。
「壁のガーランド、窓やこの花……誕生会の準備をしてくれていたようだが……皆は、どこだ?」
マッシュも兄に倣い、あちこちを見回した。部屋全体の変化に注目したエドガーとは対照的に、マッシュは狭い範囲――飾られた花が全て薔薇であることに注目した。
「兄貴、この花、全部薔薇だぞ。多分これは白、これはピンクか、黄色か? それに、何色か分からないが暗い色の薔薇がある。しかも、俺たちの席に」
テーブルの上のネームプレートを目を細めて見ながら、マッシュが呟いた。
飾りに使われた造花は、カイエンお手製の色とりどりの薔薇だった。赤にピンクに白、そして特別な想いが込められた青い薔薇。夕暮れという薄暗さの中で、その色はマッシュの目に正しく映ることはなかった。
「俺たちの席に飾ってあるのは紫……しては色が濃すぎる」
「そうなのか?」
「ああ。紫の薔薇って、たいていは薄紫色なんだ。こんなに濃い紫の薔薇は存在しない。しかし紫じゃないとすると……考えられるのは、黒い薔薇だな」
マッシュが灯りに火を灯し、造花の薔薇をよく観察した。この熱血漢は繊細な一面を持ち合わせており、薔薇に関してそれなりの知識があった。だがそれは十年前にフィガロを出る前の話であり、つい最近開発された青い薔薇の存在までは知らなかった。これが、事態を悪くした。
簡単に言うと、カイエンの思いがこもった青い薔薇は、黒い薔薇として認識された。
「しっかし、なんで黒い薔薇なんだ? こういう場にはあまり向かない色なのに……何か特別な意味があるのか?」
「もしや……」
その兄である一国の王は、女性は老若身分容姿を問わず口説く主義を貫いており、女性に花を贈る機会が多かった。女性が特に喜ぶのは、優雅で香り高い薔薇の花である。そのため薔薇の花を贈る機会が最も多く、自然とその花言葉にも詳しくなった。これが、事態をさらに悪くした。
「黒い薔薇の花言葉……『憎しみ』『恨み』『あなたはあくまで私のもの』……これは……」
「い、いやでも兄貴、いい意味もあったりするんだろう?」
「ああ……他に『決して滅びることのない愛』『永遠』の意味もある。だが、黒薔薇の本数を見ろ。15本ある。これは『申し訳ない、すまない』と言う意味だ」
「つまり……」
「この席の花が意味するもの……『すまないが憎んでいる』『申し訳ないが恨んでいる』そんな、まさか。もしくは『すまないが、お前たちは何があろうと自分のものだ』まるで妄執のようだ……皆がこんなことをするとは考えられない」
「皆。そうだ、皆はどこに行ったんだ!?」
「マッシュ!」
探しに行こうと駆けだすマッシュを、エドガーが鋭く叫んで引き止めた。
「今単独行動をとるのは危険だ」
エドガーは職業柄、物事を深く考える癖があった。考えた結論は普段なら仲間を正しい方向へ導くのだが、今回は、少し深く考えすぎた。
「姿が見えない仲間。不吉な花言葉で彩られたテーブル。これは、今日と言う記念日を狙って行われた計画的犯行だ。俺たちに恨みがあってこのような真似をする奴は、一人しかいない」
「まさか……ケフカ!?」
鋭く叫んだマッシュを、エドガーは真正面から見た。
「そのまさかだと思う。どんな手を使ったのかは知らないが、ケフカが皆を攫った。この談話室は、俺たちに対する挑発だ。マッシュよ、行くぞ、瓦礫の城へ!」
「おう! 俺たちでケフカの野郎をぶちのめして、皆を助けるんだ!」
事態は完全に悪化した。
皆、早朝から頑張って疲れていた。とはいえ、誰か一人でも夕方までに起きていれば。
二人が談話室以外の場所を――例えば厨房を覗いて、一生懸命作ったご馳走に気づいていれば。または誰かの部屋に行って、寝ている仲間の姿を見ていれば。
帰ってきたときに談話室の明かりをつけて、正しい薔薇の色を見ていれば。
いや、これじゃまるで二人が悪いみたいだ。もとはと言えばわたし達が、もっと早く二人の誕生パーティーの計画を立てていれば。
寝ている間に世界が救われる、という微妙な事態にはならなかったと断言できる。
「マッシュ、見えたぞ! 乗り込め!」
「よし来た! ケフカ、覚悟しろ!」
「ん? なんなんですかぁ?」
瓦礫の塔の頂上にいたケフカは、急に騒々しくなった空を見上げた。赤黒い空が見えるかと思ったら、視界に飛び込んできたのは筋肉隆々のモンク僧だった。
「食らえ、必殺爆裂拳! からのメテオストライク! そして奥義、夢幻闘舞!!」
「ぐあ!? な、なんなんだお前ら……っ」
襲撃はまだ終わってはいなかった。モンク僧の攻撃から間を置かず、良く見知った、けれどいつ見ても忌々しい男が、仰々しい武器をいくつも構えている。
「問答無用! バイオブラスト! さらにオートボウガン! 追加でかいてんのこぎり!」
「ぎゃあああ!」
もう少しで胴が真っ二つに避けるところだった。エドガーの攻撃を不格好に躱し、ようやく体勢を立て直す。何だこいつら、確か兄弟だったよな。ケド何言ってるのか分かんナーイ!すでに脳内は混乱状態だったケフカは、さらに混乱することになる。
「さあ白状しろ! 皆はどこだ!?」
「み、みんな? お前、何言ってんぎゃ」
「流石にすぐは白状しないか。だが、俺たちのパーティーを台無しにしておいて、ただで済むと思うなよ」
言い終わる前に胸倉を掴まれ、舌をかんでしまったケフカは、怒りに我を忘れるエドガーを目の当たりにして、久々に「恐れ」を覚えた。そんな彼の心情などお構いなしに、兄の方は青の瞳に冷たい光を宿し、地を這うような低い声で言い放つ。
「惚ける気か? ドリルで穴だらけになりたいようだな、ケフカ」
「は、はぁ? いや、本当に何が何だか」
「とぼけるな!」
兄を押しのけ、弟がケフカの顔を両手で挟む。自分の頭蓋骨が軋む音を、ケフカは、確かに聞いた。
「こっちは全部わかってるんだ! 黒薔薇の意味も、15本の意味も……! よくも、よくも、俺たちの誕生日にこんな真似を! しんくうは!!」
弟の方はよく分からない事を言いながら暴力をふるってくる。え、なになに、こんなやばい奴見たことナーイ! と、自分の事を棚に上げたケフカは、それでもマッシュの攻撃から逃がれようとした。
「逃がすか! もう少しだ、行くぞマッシュ!」
「おう!」
二人の体が白く光り、魔力の気配が膨れ上がった。
『アルテマ』
「い、い、意味分かんないじょ……」
ケフカは遂に倒れた。神になろうとした男の末路にしては、あまりにもあっけなかった。
結局瓦礫の塔のどこを探しても仲間を見つけられず、すごすごと飛空艇に戻ってきた二人が見たものは。
いつもよりも明るく感じる談話室、その壁を彩るガーランド、テーブル一杯のご馳走、それに「おかえり! ずいぶん遅かったじゃない」「城の皆に引き留められたのか?」と、二人を見て安堵する仲間の姿だった。
「え、あれ?」
「皆、無事だったのか!?」
「無事って、何がだ? とにかくパーティーを始めようぜ! 二人が戻ってくる間に仮眠を取ってたから、夜遅くまで盛り上がるぞ!」
「しかし寝てるときにやたらファルコンが揺れたな。外ですげえ音もしてたし。なんかあったのか?」
「いや、その、ケフカの野郎が」
「ケフカ? そうでござるな、拙者達にはケフカを倒し、世界を救う使命がある。けれどとりあえず今日は楽しく過ごそうぞ!」
「そうだぞ、マッシュ! 見ろ、このごちそう! とティナが、がんばって作った! ケーキは、ロック達とおいらが、店でかってきた!」
朗らかなロック、不思議そうなセッツァー、父親のような笑みを浮かべるカイエン、そしてキラキラした瞳で見上げるガウの顔を、マッシュはぽかんと聞くだけだった。が、「早く席に着きなよ! 今日の主役はあんたらなんだから!」とリルムにせかされて席に着いたエドガーは、先に席に着いたおかげで色々と悟ることが出来た。
マッシュよ、俺達はどうやら、盛大な勘違いをしていたようだぞ。
まず、仲間は誰もケフカに誘拐などされていなかった。そもそも誰一人として、大人しく攫われるような奴らじゃないだろう。
普通にサプライズで誕生パーティーの準備をして、疲れて眠っていただけだ。だから談話室は薄暗く無人だった。
その証拠に見ろ、この、俺達の席に飾られた薔薇を。黒くなどない、「青い」薔薇が「14本」じゃないか。
青い薔薇の花言葉には、最近「夢が叶う」「不可能を成し遂げる」と言う意味が加わったそうだ。そしてそれが14本……ああ弟よ、これは「誇りに思う」と言う意味になるんだ。本当にすまない、俺が数え間違えたばかりに。
物思いにふけるエドガーの隣に、マッシュが戸惑いながら座る。エドガーがマッシュに状況の説明をしようとした途端、皆がクラッカーを一斉に鳴らした。
「エドガー、マッシュ、誕生日おめでとう!」
得意そうな表情を浮かべたリルムと、「何故俺がこんな事を」と言いたげに、けれど普段よりははるかに穏やかな気配を漂わせるシャドウが、それぞれエドガーとマッシュに包装袋を渡す。せかされるまま開けてみれば、歯車やティーセットなど、二人を象徴するパーツを金の真鍮で作り、それを白いフレームにバランス良く配置した、世界に二つしかない写真立てが出てきた。
「これは……歯車まで一つ一つ手作りなのか? これだけ精巧に作るのは、大変だったろう」
「あ! これ、俺が良く使うティーセットだ! うわあ、嬉しいなあ……」
「喜んでもらえたようでござるな」
「ああ! 勿論!」
「大事にするよ。本当にありがとう」
心のこもったプレゼントに感動していた兄弟は、が放った言葉で現実に引き戻された。
「あのさ、ケフカを倒したら、みんなで記念写真撮ろうって話をしたの。だから二人はその写真立ての中に、皆で撮った写真を入れてね!」
「うっ」
「あ……」
実はケフカ、もう倒してしまったんだよ。
二人がその一言を言おう言おうと思いながら、そしてとうとう言えないまま、フィガロ兄弟を祝う宴は始まり、夜通し続くのだった。
終わるのだった……。