その日のパーティーは、カイエン、ガウ、、そして俺だった。つまりは獣ヶ原組というわけだ。
 兄貴達と合流してからは離れて行動することが多かったから、久しぶりの四人旅は懐かしく、不思議と温かい気分になる。そういう気分なのは俺だけではないようで、ガウは焚き木集めと火起こしを素早く終わらせて、果物の皮を剥く俺にまとわりつき、カイエンはやたら気合いたっぷりに叫びながら俺達三人とのテントを組み立て、は大量に釣り上げた魚に塩を振り、鼻歌を歌いながら櫛代わりの木の枝に差していた。
 全員が速やかに野宿の準備を終えたので、自然に焚き火を囲んで談笑する時間が長くなる。そんな時だった。唐突にそれを思い出したのは。
 「…あ」
 「どうしたでござるか」
 間抜けな声を出した俺を皆が訝しげに見たので、何でもないという風に手を振る。今まで忘れた事は無かったのに、今年は色々ありすぎてすっかり忘れていた。
 「実は、今日、俺の誕生日なんだよ。今思い出したんだけどな」
 「え、そうなの?おめでとう!」
 「おめでたいでござる!」
 そうだろうなとは思ったが、とカイエンが口々に祝ってくれた。ガウは魚を咥えながら「ん、どうした?」と顔を上げる。
 「今日はマッシュ殿の誕生日なのでござる」
 「たんじょうび?なんだそれ」
 カイエンの言葉をが補足した。
 「自分が生まれた日を誕生日って言うの。無事に大きくなった事をお祝いして、おめでとうって言う日なんだよ。マッシュは今日生まれたから、おめでとうって言ってたの」
 「ふうん」
 分かったような分からないような顔だったが、皆の笑顔を見て嬉しくなったのだろう。にかっと笑って「おめでと!マッシュおめでと!」と大声で繰り返した。もう誕生日を祝われるような歳でもないとはいえ、こう手放しで祝福されるとは、やはり誕生日はいいものだ。
 「がっはっは!ありがとな!」
 「よし、特別でござる。拙者の秘蔵の酒をご馳走いたすぞ!」
 カイエンが立ち上がってテントの中に消えた。が「なんで旅にお酒持ってきてるの…」と呟いたが、戻って来たカイエンが満面の笑みを浮かべているのを見て、水を差すまいと思ったのか、それ以上何か言う事は無かった。
 「ほれマッシュ殿。ぐっといきなされ、ぐっと」
 「俺、一応モンクなんだけどな…」
 「何を今更。だいたい女子に惚れておる時点でモンク失格でござろう。そうだ折角でござる。この際殿に想いを打ち明けては」
 「わー!わかったよ!、飲むよ!飲めばいいんだろ!少しだけだぞ!」
 俺は慌ててカイエンの口を塞いだ。いきなり何言い出すんだこのおっさん!ちらりと様子を伺うと、はガウと最後の一匹になった焼き魚の取り合いをしていた。こちらの様子にはまるで気付いていない。ほっとしたような、残念なような。
 良く分からない気持ちを流し込むように、薦められるまま酒を煽った。
 「おお、いい飲みっぷりでござるな!どれ、拙者も」
 差し出されたお猪口に酒を注ぐと、くいと美味しそうに飲み始める。自分が飲みたかっただけじゃないのかと文句の一つも言おうとして、その目尻に光るものを見つけた。
 もしかしたら彼は、大人になった息子とこんな風に飲みたかったのかもしれない。
 それを思った瞬間、酒を断りきれなくなり、晩酌のペースが一気に上がった。殆ど飲んでいないのにカイエンは上機嫌になり、薦められるまま飲む俺は饒舌になる。ガウのテンションもいつの間にか上がり、はデザートの果物を一人占めして食べていた。
 野宿のいい所はいくら騒いでも問題ないところだ。それに今日はが退魔の腕輪を装備していて聖なる力に守られているため魔物も近づけない。おかげで野宿をするまで殆ど魔物に会わなかった。
 そんな訳で静かな森は一気に騒がしくなった。その時、事件は起こった。
 「がうーー!」
 テンションが上がりきったガウが火の回りをぐるぐる回り始めたのだ。それも全速力で。この中で一番理性が残っているが何度も「ガウ君!駄目でしょ!」と止めたのだが、それが余計に興奮させたらしい。全速力で走りまわり、あっと思った時には石に躓いて、のテントに頭から突っ込んでいた。
 「あーー!」
 ぺしゃんこになったテントに皆が慌てて駆け寄った。テントを支える鉄の棒は見事にぽっきり折れていて、誰が見ても修復は不可能だ。
 辺りは一気に静まり、酔いも一気に冷めた。
 「ガウ君、ちょっとこっちのテントに入ろうか」
 がやけに優しい声で、俺達が寝る予定のテントにガウを呼んだ。
 ああ、お説教タイムの始まりだ。
 ガウは硬直した後助けを求めるように俺達を見て、俺達はそっと目を逸らした。自分が悪い事は分かっているのだろう、それ以上何も言う事は無く、ガウは項垂れてテントの中に入っていった。


 お説教タイムは十分くらいだっただろうか。ようやく出てきたガウはやつれていた。
 その後にが出てきた。少し困った顔をしていた。
 「ねえ、今夜、どういう組み合わせで寝ようか。テント一つだけになったし…」
 「俺とカイエンで見張りをするから、その間にガウとが休んだらどうだ?」
 俺の提案にカイエンとは頷いたが、ガウは渋い顔をしていた。
 「どうしたガウ。問題でもあるのか」
 「うー…」
 ガウは唸りながらカイエンにまとわりついた。言いたい事がありそうなのにただ唸っている。らしくない。
 「ガウ殿、どうしたでござる。先に休まないのでござるか?」
 「おれ……カイエンと見張る…」
 「え、どうして…」
はきょとんとしていたが、俺とカイエンは何となく原因が分かっていた。
 ガウとしては、自分が悪い事を分かっていても、普段あまり怒らないに怒られたのがショックだったらしい。一緒に寝るのが気まずいみたいだ。
 しかし、ガウがカイエンと寝るとなると、俺はと寝なければならない訳で。
 お互い若い男女である事とか、俺の気持ちとか、それに、が言いたいけれど言えないであろう不安――仲間とはいえ若い男と同じテントで一緒に寝る不安――とかを考えると、この組み合わせはまずかった。
 「ガウ、俺と寝ようか?それで、カイエンとが一緒に」
 「それは駄目でござる!!」
 カイエンが目を剥いて反論した。
 「拙者、恋愛結婚でミナと夫婦の契りを交わしてからと言うもの、ミナ以外の女子と共に寝ないと決めておるのでござる!」
 「カイエンさん、わたし気にしないよ。エドガーやセッツァーだったら身の危険を感じるから気にするけど、カイエンさんなら安心だし」
 「いや!いやいやいや、いけません、いけませんぞ殿!確かに拙者は不惑も知命も過ぎた男、殿はまだ嫁入り前の若い女子、親子ほども歳は離れておりますゆえ娘のように思う事は多々有るでござる。殿が一日一日と美しさを、また聡明さと芯の強さを増している事は拙者も良く知っており、それは大変喜ばしい事と思っておりますぞ。それは子の成長を見守る親の感情に近いものであり、一人の女性としてふしだらな目で見た事は一度もござらん。天地に、亡き主君に、そしてこの剣に誓っても良いですぞ!ですが、それと一緒に寝るのとはまた別問題でござる!何故なら拙者、結婚したその日にミナに約束したのでござる、これから先何があってもお主以外の女と寝所を共にはせぬと!拙者一度交わした契は死んでも破らぬ事を信条にしておりますゆえ!いかなる事情があっても殿と同じテントで寝るわけにはいかんのでござる!」
 カイエンの熱く、真摯で、ひたむきな弁舌はその場にいた誰の心も動かさなかったが、どうあってもと一緒には寝ない、それだけは皆に十分すぎるほど伝わった。カイエンは決してと寝ない。そしてガウもまたしかり。
 「じゃあ、男三人で見張りをするか?その間が休む」
 「……こうたいしたら、ひとり。危ない」
 ガウ、その通りだけど、お前がと一緒に寝たら全部解決するんだ。そう言いかけて、皆が俺をじっと見ているのに気づいた。
 「俺?」
 皆の首が縦に揺れた。
 「いや、それはまずいだろ…」
 「なにがまずいんだ?おれ、わからない」
 「マッシュ殿、ここはひとつ、拙者とガウ殿を助けると思って…」
 「マッシュ、わたし本当に気にしないから。信じてるし」
 「……じゃ、一緒に寝るか」
 「うん」
 は驚くほど軽く頷いた。
 こうして俺達は、一つのテントで一緒に寝ることになった。なってしまった。


 「わたしこっちに詰めるね。そうしたらマッシュゆっくり寝れるでしょ」
 「ああ。すまないな、こんなことになって」
 二人で寝ても十分に広い筈のテントは、図体のでかい俺と、壊れたテントから運ばれた荷物が場所を取って、急に狭くなったように見えた。
 が寝ころんだ横に、緊張を悟られないように寝転がると、ふふ、と小さく笑う声がした。
 「どうした?…っと」
 声のする方を見ると、手を伸ばせば抱き寄せられるくらい近い位置に、が笑顔で横たわっている。きっと恋人同士になったら、こんな風に彼女を見つめる夜が何度もあるのだろう、そんな妄想をして、慌てて打ち消した。
 「寝る時に隣にマッシュがいるって、何だか新鮮だなあって思ってた」
 はそう言って、また笑顔になる。
 「ずっと一緒に旅してたのに、一緒に寝る事って無かったよね。当然だけど」
 「そうだな」
 「だから嬉しいなあって思ったんだ。だってね」
 黒い瞳が少しだけ潤んだように見えた。
 「前の私だったら、こういう状況になったら皆を警戒して、一晩中起きてたと思うんだ」
 は故郷で父親との間にトラブルを抱え、それがきっかけで町を出た。その際に色々あり、出会った時などは、男が近付いてきたりすると、必要以上に警戒していたものだ。俺もそれを心配して今回一緒に寝るのを避けていた。それなのにカイエンもガウも自分のことばっかり主張しやがって!
お陰で俺が悶々とする羽目になっちまったじゃないか!
 「…だけど今は全然心配してない。安心して眠れるの。だって皆そんな人じゃないって知ってるから。信じられるのが嬉しい」
 信頼されている…。
 何もするつもりはないが、せめて寝顔くらいはじっくり見たい。そう思っていたのに、こんなに信用されていてはそれさえもいけない事のような気がする。何と言う拷問。いやこれも修行だ、修行。
 「当たり前だろ?ガウはを姉みたいに思ってるみたいだし、カイエンは娘みたいに思ってるぞ。さっきの演説聞いただろ?それに俺だって、」
 俺だって、大事に思っている。女性として。
 「マッシュ?」
 そう言いたいが、ここで言うべきじゃない。怖がらせたくない。
 「……俺だって、妹みたいに思ってるからな。を怖がらせる事なんか、するわけないだろ」
 とっさについた嘘に口の中が苦くなる。それでもよかった。安心さえしてくれれば。
 「妹」
 てっきり笑ってくれるかと思ったのに、目の前の女の子は、困ったような拍子抜けしたような、変な顔をして俺の言葉を繰り返した。
 「ああ。……どうかしたか?」
 「ううん、何でもない」
 何か言いたげにして、それを飲み込んで、はやっと笑った。
 「マッシュ、改めて誕生日おめでとう。飛空挺に戻ったら何か美味しい物でも作るよ」
 「おう」
 「ねえ、お城ではどんな風に誕生日を祝ってたの?」
 「子どもの頃はいつもでっかいケーキが用意してあったぞ!だけどいろんな国のお偉いさんに囲まれて、あまり食えなかったなあ」
 「へえ!お城を出てからもお祝いしてたの?」
 「お師匠様がクルミを取ってきて、兄弟子が皮を割って、奥さんがそれでクルミのタルトを作ってくれてたなあ」
 「クルミのタルトかあ。いいなあ、美味しそう」
 その後は、タルトの作り方だとか、の誕生日はどんな風に祝ってたのかとか今頃兄貴は飛空挺でお祝いしてもらっているのだろうとか他愛も無い話をしていたのだが、そうしているうちに段々瞼が重くなってきた。せっかくが楽しそうに話しているのに、生返事しか返せない。
 「悪い…俺、眠い…寝るわ…」
 「うん。お休み、マッシュ」
 「おやすみ……」
 「お誕生日、おめでとう」
 「うん……」
 「わたしね、来年も、再来年も、ずっとこうやって、マッシュの誕生日をお祝いしたい」
 もう限界だ。の声が子守唄にしか聞こえない。「ん……」と声にならない声しか出せない俺の唇に、何かが触れた。柔らかくて気持ち良かったが、それの正体を突き止める元気は、もう無い。


 「大好きよ、マッシュ」


 聞いたことも無いような、優しい声で名前を呼ばれた気がして。
 この上なく幸せな気分になったのを最後に、暗闇に沈んでいく感覚に身を任せた。




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