貴族の町、ジドール。
絵画やオペラなどの芸術があふれる一方、他の地域よりも階級意識が強く、貧しい者には容赦ない町でもある。華やかであればあるほど冷たい、そんな第一印象だったのを今も覚えている。
だけど、そんな事情は今のわたし達とは無関係だった。関係があるのはこの町にオークション会場があり、しかも今日、なんと魔石が出品されるという情報だけだった。
10000
「オークションって事は…競り落とさないと手に入らないんだよね…」
面白半分でついて来たわたしが、誰にともなく呟くと。
「当たり前だろ。ただで貰えるとでも思ってたか?さんよお」
ジドールは庭みたいなもので、オークションで商品を落札したこともあるというセッツァーに小馬鹿にされた。
それをエドガーが嗜めつつ「競り落とすのに金がかからないといいが…」と顎に手を当てる。彼はジドールに仕事関係の知り合いがいるらしい。何かあった時のためにコネのある人間がいた方がいいだろうという事でついて来ることになった。
「競りかあ。どうも良く分からんなあ」
マッシュが頭をがしがし掻いた。彼は特にジドールにもオークションにも興味がなさそうだったのだけど、トラブルが起こった時の用心棒だ。「トラブルになりそうなこと…するつもりなのか?」と困惑しながらついて来た。
「ま、素人はのんびり会場を見学しておけよ。この俺がきっちり手持ちの10000ギルで落札してみせるからな」
セッツァーが笑った。一度見たら忘れられない邪悪な笑みが返って心強い。余程自信があるみたいだし、彼の言葉を信じたわたし達は、オークション会場の熱気に圧倒されながら、魔石が出てくるのを待った。
「ねえセッツァー。魔石まだ?」
オークションが始まってから30分ほど経った。
「まだだ。もうすぐ出るから黙って待ってろ」
「うん……」
会場の熱気に興奮できたのは最初のうちだけで、早くもわたしはこの場所に飽きてしまった。物珍しかったオークションの風景も、見慣れてくると、関係のない品物が出されては人手に渡る、というただの単調な作業に思えてくる。しかも出品されるのは幸せを呼ぶという壺とか持っているだけでお金が貯まる財布とか胡散臭そうな物ばかりで、見ているだけで楽しめるような代物でもない。
でもまあ経験者がもうすぐだというのだから、きっともうすぐ出るのだろう。気を取り直し、わたしは目と耳を左側に座るマッシュと、さらにその隣に座るエドガーに集中させた。
マッシュは少しも退屈していないようで、出てくるもの全てに興奮し、「何だか俺、幸せな気分になってきた。流石は幸せを呼ぶ壺だ」とか「あの財布があれば、世界崩壊で困ってる人達を助けられるかもな…」とか呟き、その後必ず「あれ買おうぜ兄貴!」とエドガーを巻きこもうとしている。エドガーはその都度「駄目だ。今日の買い物は魔石だけって言っただろ!」とマッシュを叱っていた。国王というよりお母さんだ。正直オークションよりこっちのやりとりの方が興味がある。
その時だった。
「次の商品はこれ!カッパロボット!」
「なっ!!!!!」
商品名が会場に響き渡った瞬間、エドガーが勢いよく立ちあがった。弾みで座っていた椅子が倒れ、後ろにいた親子が驚いて固まっている。椅子を戻しながら謝って再びエドガーを見ると、彼が丁度滑舌よく「10000ギル!!」と叫んでいる所だった。
「はい10000ギル出た!他にはいないかい?世界に一つだけ!超ハイテクのカッパロボットだよ!」
進行のお兄さんが声を張り上げても、会場はどよめきが広がるだけでそれ以上の金額を挙げる人はいなかった。わたしはエドガーみたいに機械に詳しい訳ではないけど、あの古ぼけたロボットにわたし達の全財産の価値があるようには全く見えない。セッツァーに『他の商品も落札できるほど、お金に余裕あるの?』と目で問うと、そんな金はねえ、とばかりに首を横に振った。
「どうか…10000で落札させてくれよ…」
「エドガー、エドガー」
「どうした?」
「その10000ギル、どこから出すつもり?」
「もちろん、今日持っている財布から出すよ。それ以上の出費になりそうなら私が個人的に出す」
うわあ、と頭を抱えた。今日のお金は皆で『何かあった時のために』と節約して貯めた大事なお金だから、あんな変なもののために使うわけにはいかない。それにエドガーが個人的に出すお金ということはフィガロの税金なんだろうから、もっと使うわけにはいかない。別に何も買うなとは言わないけど、もっとましなもののために使って欲しい。血税なんだし。
「あのロボット昔親父の部屋で見たような気がするな…親父も買ったのかな…」
「ちょっとマッシュ、エドガーを正気に戻してよ」
一人回想に耽っていたマッシュをぺちぺち叩いて現実に引き戻した。止められるのはマッシュしかいない気がした。説得という意味でも武力行使という意味でも。
「お、わ、分かった。兄貴、今日の目的忘れてないだろうな?余計なもの買う余裕は」「余計なものじゃない!」
エドガーがこんなに声を荒げるのを見たことがなかった。というかこんな形で見たくなかった。怒鳴られて呆然とするマッシュに、彼はあのロボットがどれだけ興味深いか、あの構造を調べることがフィガロにとってどれだけ有益か、それがたった10000ギルで手に入るなんてどれだけ素晴らしいことかをとくとくと語っている。
どうしよう、このままじゃあんなものに血税が使われてしまう。
「100000ギル!!」
わたし達の後ろから、しわがれた声が聞こえた。一桁多い金額にマッシュもセッツァーもわたしも勿論エドガーも、会場にいる全ての人は呆然とした。どよめきすら起こらない中、流石にそれ以上の金額を示す人はいない。ハンマーの音が響き、落札された商品はわたし達を素通りして後ろの親子に渡される。親子がホクホクしながら帰るのを見届けた後で恐る恐るエドガーを見れば、魂が抜けたような顔で親子の後ろ姿を見ていた。
腕を引っ張ると、すとんと落ちるように座った。元気出して、と声をかけても無反応だ。
「エドガーしっかりしてよ。残念だったけど、魔石には返られないよ」
「……」
「エドガー機械強いんだから、自分で作ってみればいいじゃない」
「………」
駄目だ、魂が抜けている。こうなったら気は進まないけど、あの方法に頼るしかない。
「エドガー、わたし、元気のないエドガーより、いつものしっかりしてて頼もしいエドガーの方が、す、好きだなー」
「……そうかい?」
「う、うん。わたしだけじゃなくてティナもセリスもリルムも、皆頼もしいエドガーが好きだと思う。多分よ?多分だけど」
エドガーは見る見るうちに喜色を取り戻した。いやあ参ったな皆そうだったのかおっとじゃあ私は誰と結婚すればいいのかな迷うなーとか言いながらしきりに照れている。良かった、何とか色仕掛け的なもの(と言っていいんだろうか)が通用した。
エドガーが段々立ち直り、「仕方ない、カッパロボットはひとまず置いておくか…しかしいつか必ず手に入れてやる…」などとぶつぶつ言い始めても、魔石らしきものが出る気配は無く、高価そうな商品が出品されては落札されていく。その光景をため息をつきながら見ていた時だった。
「お次はこれ!1200分の1 飛空艇!」
「おいおいおいおい!」
セッツァーが柄の悪い声で叫んだ。誘拐未遂やら普段の言動やらと、よく考えれば柄の悪さしかない彼は椅子から立ち上がり、「ありゃあ相当なもんだ……豪奢でありながら質のいい、選び抜いた材料で細部まで精巧に作られている……悔しいが認めるぜ…あれを作った奴は天才だってな!」と言い、生唾を飲み込んでいる。
別に作った人もセッツァーに認められることなんか望んでいないんじゃないかなあとぼんやり思った。なかなか魔石が出てこないし、部屋はどういう技術か分からないけど心地いい温度を保っているから正直ちょっと眠くなってきた。
だけど有り難くないことに、すぐに目を覚ます羽目になった。「10000ギル」と、セッツァーが気取ったポーズを取りながら、気取った声で全財産を賭けてしまったからだ。
「ちょっと!セッツァー!」
「悪いが魔石はまた今度だ。俺は欲しいものは必ず手に入れる男だぜ?」
「何言ってんの魔石手に入れないと魔法覚えられないし、何より魔石の力を他の人に悪用されたら…!」
「うるせえな、飛空挺は俺のロマンだ。俺は10000ギルでロマンを買うんだよ」
「馬鹿!ロマンは自分の金で買ってよ」
わたし達がそんなやり取りをしていると。
「1000000ギル」
そう大きくはないはずの女性の声が、やけに会場に響いた。
いかにもお上品、という感じの独特の響きに振り返ると、斜め後ろに座るふくよかな40代くらいの女性が、涼しい顔で手を上げていた。孔雀の羽根のような色合いの派手なドレスとさっきの声の抑揚から考えれば、確かに100000ギルくらいぽんと出せそうなお金持ちなのは間違いないだろう。案の定、その後高額を掲げる人はおらず、セッツァーのロマンは、ロマンとか飛空挺とかに興味のなさそうなそのご婦人の物になった。
きっとあの女性は、セッツァーの興奮具合を見て欲しくなったんだろうな、と思った。
セッツァーは不機嫌になり、無言で煙草を吸い続けている。
彼が不機嫌になると、ただでさえ悪い人相がますます凶悪になる。慰めるのも、いつまで気にしてるのと文句を言うのも、そして煙草で煙いと訴える事も恐ろしくて、わたしは目をつぶって煙をやり過ごしていた。
会場では相変わらず、珍しいけど個人的に興味を何か持てない品々が落札されている。ジドールのオークションだって言うから、わくわくするような面白い物や、びっくりするくらい綺麗なものや、持っていれば凄く便利そうな何かが見れるかもしれないと期待していたのに、正直期待はずれだ。こんなに退屈なら飛空挺で留守番か、ジドールの町を一人でぶらぶらしていた方がまだいい。今からでも会場を抜け出して散歩でもしようかな。
途中で抜けていいかどうかエドガーに聞こうと、マッシュ越しに青いマントを引っ張ろうとした時、「クェ」という可愛い声がした。
「お次はこれ!お喋りチョコボ!」
「きゃあああかわいいいいい!!!!!!」
会場を抜け出さなくて良かった。オークションに来て良かった。こんなに可愛いものに出会えるなんて!
フィガロ城に行った時に初めて見て以来、可愛くて賢くて柔らかくて人懐こくて、すっかり虜になってしまったチョコボ!
エドガーの用事が済んで飛空挺に帰るまで、毎日飼育小屋に会いに行って、時々餌やりのお手伝いもしたチョコボ!
離れる時は寂しくて寂しくて、お気に入りの子にしがみついて、エドガーとセッツァーに「この子だけでいいから飛空挺に乗せて!」と懇願し勿論却下され、泣く泣くお別れしたあのチョコボ!
あの時、どうしてもチョコボを連れて行きたいとごねるわたしにエドガーは「チョコボの飼育は意外と大変でね、相応の知識と経験が必要なのだよ。それにこの子はまだ子供だ。親と引き離すのは可哀相だろう?」と言った。セッツァーは「こいつが病気になったらお前が治すのか?羽毛が機械に詰まって飛空挺が故障したらお前が修理するのか?そもそも手前の勝手な都合で生き物を引っ張り込んで閉じ込めるような真似、俺は気に入らねえ」と言った。
二人の言葉に、生き物を飼う大変さを痛感して結局チョコボを乗せるのは諦めた。けど、このチョコボは生き物じゃないから飛空挺に置いても大丈夫だよね!
「10000ギル!」
気付いたらわたしは叫んでいた。周りでわあわあ騒ぐ声がするけど気にならない。ただ誰もこれ以上の金額を提示しないよう祈るばかりだった。
オークションについて来たのは面白そうな何かを求めていたからなのだけど、その何かが自分でも分かっていなかった。でも今初めて分かった。わたしが求めていたのはこのチョコボなんだと。分かった以上、手に入れるしかない!
あれを落札して飛空挺に持って帰ったら、きっと皆驚くだろうな。リルムやティナは間違いなく大喜びだ。セリスだってああ見えて可愛いもの好きだから、嫌な顔はしないだろう。それでお茶の時間とか、お風呂上りとか、寝る前とか、皆で毎日あのチョコボに話しかけるんだ。
「……」
「えへへ、そしたら毎日楽しいだろうなあ」
「!!」
そんなわたしの妄想は、隣のマッシュに激しく肩を掴まれて終了した。
「もううるさいなあ。なに?せっかく人がときめいてんのに」
かなりいらついてマッシュを睨んだわたしは、だけどその直後、息も止まるような恐怖を味わう。
「今日は、魔石のために来たんだぞ?」
マッシュが肩に置いた手の力が尋常じゃなかった。今の時点ですでに痛いのだ。逆らったらきっと肩の骨を砕かれる。
「お前「ロマンは自分の金で買え」って言ったよな。そんならお前もときめきは自分の金で買えよ…」
セッツァーのあんな凶悪な顔なんて初めて見た。前科100犯くらいありそうな凶悪さだった。
「まあチョコボは気が向いたら私が作ってあげるから、今回は諦めよう。ね?」
エドガーだけが笑顔でその場を収めたけれど、「私が作ってあげる」のくだりは絶対嘘だ。隣に座っている上品なお婆ちゃんの手をしっかり握りしめながら、顔だけをこっちに向けているから。女の人を口説くついでみたいに窘められてもなあ。
とにもかくにも、まともに戦ったら絶対勝てない相手からの脅しと、怒らせたら何をするか分からない人からの説得と、既にオークションどころではなくなっている人の適当なごまかしに、わたしは少し冷静になった。何かとお金のかかる旅をしているわたし達にとって、10000ギルはかなりの大金だ。その大金が手元にあるときに魔石が競売にかけられるなんて、運命に近いタイミングのよさだと思う。この機会を逃すと二度と魔石は手に入らないかもしれない。しぶしぶ頷いて椅子に座った。
セッツァーが「頼むから大人しくしてろ」とわたしの頭を押さえている。
マッシュが「あれ、早く誰か競り落とさねえかな…」と祈っている。
エドガーが「ほう、病気のご主人の代わりにここへ?ご主人のお体は心配だが、レディのように優しく気品に満ちた奥方をお持ちで羨ましいことだ。なに、年寄りをからかうな?とんでもない、私はいつでも真実しか口にしない男ですよ」と隣のお婆ちゃんを口説いている。
誰も落札しなかったら、あのチョコボは不可抗力でわたしの物になる。魔石も大事だし少し冷静になったとはいえ、欲しい気持ちが薄れた訳ではなかった。どうか、誰も落札しませんように。
だけど願いもむなしくお喋りチョコボは、よりによってエドガーが口説いていたお婆ちゃんに500000ギルで落札された。
人の物になったからとはいえすっぱり諦められる訳も無かったのだけど、お婆ちゃんがエドガーに「病気の主人に可愛いお話し相手が出来ましたわ」と嬉しそうに話すのを見て、ようやく仕方ないか、と思えた。あのお婆ちゃんなら、わたしのチョコボ(になるはずだった物)を大事にしてくれるはずだ。
それにしても魔石が出ない。
会場に沢山いた人達も、それぞれお目当ての品を競り落として一人帰り二人帰り、やがて残っているのはわたし達とあと2、3グループだけになってしまった。服装や緊張した顔つきから察するに、ジドールの人ではなくよそから来た旅人なのだろう。そして向こうから見たわたし達もきっと、同じように場違いな雰囲気を漂わせているに違いない。
そしてついに、その日最後の品が出品された。
指輪のような見た目のそれは、明らかに魔石ではない。残っていたグループの一人がおずおずと500ギルを提示し、後に続く人が誰もいなかったため、指輪っぽいものはそのグループの物になった。
本当にオークションは終わってしまった。
「ねえセッツァー、魔石出なかったんだけど」
「俺に言うなよ。全く誰だ、今日魔石が出品されるなんて言いだしたヤツは」
「言いにくいんだけどセッツァーだよ。『昔の知り合いから聞いたから間違いない』って朝言ってたでしょ」
「つまり何だ、俺が悪いって言いたいのか」
「そうじゃないけどさ…あんな自信満々で言われたら、間違いなく今日出品されるって思うじゃない」
「お前よぉ、ちぃとばかり物の言い方に気ぃ付けた方がいいぜ…俺の本気を見たくなければな」
険悪な空気が流れ、マッシュとエドガーが慌ててわたし達の間に入った。マッシュに「まあ、こんな日もあるさ。気ぃ取り直してうまい物でも食って帰ろう」と宥められて早くも機嫌を直したわたしとは対照的に、エドガーに押さえられているセッツァーは納得いかなさそうに乱暴に椅子に座り、乱暴に煙草に火を付けている。
会場の人達は後片付けを始めていた。進行のお兄さんも片付けの手伝いに入っていている。ここに残っていても何も出そうにないし、マッシュの言うとおり、引き上げて美味しい物を食べに行った方がよさそうだ。
揃って出口に向かって歩き出した時、後ろから進行のお兄さんの声がした。
「おい、なんだこれ?」
振り返ると、お兄さんは手に石のようなものを持っていて、周りの人に「こんなの出品リストになかったぞ。誰かの私物か?」と聞いて回っている。聞かれた人達が首をひねったり横に振る中、動いたのはセッツァーだった。お兄さんに駆け寄り「おい、ちょっとそれ見せてくれ」と、間近で石を見せてもらっている。
やや遅れてわたし達も近付き、石を見せてもらった。
「間違いない…」
石から、皮膚がピリピリするような波動を感じる。
ティナには劣るけど、わたしもいつのまにか魔力の波動、みたいなものを感じられるようになっていた。魔石を身に付ける機会が多く、人間が潜在的に持っている魔力が高まったからではないか、とはセリスの弁だ。とにかくその感覚は、これが間違いなく魔石だと言うことを示していた。
顔を上げると、エドガーとセッツァーがわたしを見ていた。本物か?と問いたそうな目に頷くと、二人は顔を合わせ目配せし始めた。
「よう兄ちゃん、この石、良かったら俺らにくれねえか?」
セッツァーが、彼にしては比較的朗らかに進行のお兄さんに尋ねた。計算していたのかどうかは分からないけど、どう見ても堅気じゃない彼の笑顔は、お兄さんをびくつかせるのに十分だった。
「そう言われても…競売品かもしれないんで、一度オーナーに確認してから…」
「実は私達はこの石を探しに来てね、ぜひ譲ってほしいのだが。大丈夫、君に一切の責任は無いと証明しておくから」
エドガーもお兄さんに詰め寄った。わたし達はエドガーが王様だってことを知っているからいいけど、お兄さんにしてみれば謎の男が謎の権力をちらつかせているだけにしか見えなかったようだ。その証拠に「いや、俺の一存でどうこうできる問題じゃないんで」と険しい顔で突っぱねている。
わたし達から逃げようと、お兄さんは踵を返した。けれどそこには、いつの間にか回り込んだマッシュが立ちはだかっていた。
「なあ、頼むよ!俺達どうしてもこの石が必要なんだよ!」
「そ、そんな、無理です」
「そこを何とかさ!この通り!」
マッシュは拝むようにお兄さんの顔の前で両手を合わせた。が、合わせた時の音が大きすぎた。バチィィィン!と会場の隅から隅まで大きく響いたのだ。遠くにいた人でさえ振り返るような大きな音を目の前で立てられたお兄さんは、それですっかり委縮してしまった。
「あ……う……」
「ただで貰って兄さんが怒られるって言うんならさ、この10000ギルで落札した事にしてくれよ」
「えっ」
「もしこれが競売品じゃなかったら、この金、皆で飯を食いに行くなりどっかに寄付するなり、兄さんの好きに使っていいからさ」
魔石が競売品だったとしてもお金は受け取っているから問題ないし、そうでなければ10000ギルはお兄さんの物になる。どちらに転んでもお兄さんの立場がまずくなりはしないだろう。こつこつ貯めたお金がお兄さんの懐に入ると思うと、それはそれで、もやもやするけど。
立ちはだかる巨漢から意外に旨みのある提案を出され、お兄さんはついに陥落した。
「……じゃあ、10000ギルで…お渡ししますよ…」
「やれやれ、一時はどうなる事かと思ったよ」
「でも何だかんだで魔石が手に入ったし、良かったね」
「これで手ぶらで帰ったら、他の皆に申し訳ねえもんなあ、良かった良かった!」
魔石を無事に受け取った後、ジドール入口近くのレストランで、わたし達は美味しい晩御飯を堪能していた。
エドガーとマッシュはワインで乾杯し、わたしはデザートをセッツァーから貰って食べ、そのセッツァーは機嫌よく煙草の煙で輪っかを作っている。それぞれが任務を果たした安堵感で満たされていた。
味わいながらデザートを食べ終わり「ご馳走様でした」とナプキンで口元を拭うと、マッシュが「そろそろ帰るか。皆待ってるだろうし」と椅子から立ち上がった。
「俺、先に支払い済ませてくるよ。兄貴、財布貸してくれよ。俺財布持ってきてないから、すっからかんなんだ」
「いや、あいにく今日はオークション用の10000ギルしか持ってきていないんだ」
「そっか。セッツァーは?」
「ねえよ」
嫌な予感がした。実はわたしも、オークションに行って帰るだけだから財布はいらないと思って、手ぶらで来たのだ。
「……」
「………………持ってない」
全員が石になった。
「どーすんだよ俺ら!つーか王様が無一文ってどーなんだそれ!?」
「いやこれだけ人数がいるから誰かが財布を持っているだろうと思って…マッシュ、本当に持っていないのか?持って来たのに忘れている可能性は?ズボンのポケットをもう一度探してみろ。出てきた時から今までのことをよく思いだしてだな」
「俺のこと何歳だと思ってるんだ…本当に今日は財布持ってきてないんだよ。こそ、いつも鞄に色々入れてるだろ。なんで今日に限って財布は入れてないんだ?」
「行く前に、今日は使わないかなと思って部屋に置いて来たの。セッツァー、ジドールは庭みたいなものでしょ?何とか出来ない?ツケてもらうとか、知り合いのジドールの人にお金を借りるとか」
「……ここの奴らはな、自分のためなら金は惜しまねえが、人のために出す金は一ギルもねえんだよ。しかも借りたが最後、足元見られて数倍にして返せだのなんだの無理難題ふっ掛けられるぞ。まあ無理だ」
全員が沈黙し、そのタイミングを見計らったかのように、ウエイターさんが伝票をすっと置いて行き、出口前に立った。どう見ても食い逃げを警戒している。
貴族の町、ジドール。絵画やオペラなどの芸術があふれる一方、他の地域よりも階級意識が強く、貧しい者には容赦ない町でもある。
お金が無いなんて言おうものなら、どんな制裁を食らうか分からない。
その後、たまたまやって来たアウザーさんがわたし達を見つけて「おや、こんな所で珍しい。リルムは元気ですかな」と話しかけてきて。
テーブルの上の伝票をするりと手にしてボーイさんに近付き、「以前世話になったから、これくらいさせて下され」と言い、「先約があるので失礼するが、リルムに宜しくな」と奥の部屋に入って行き。
その後ボーイさんが出口を開けたことで、アウザーさんが食事代を代わりに払ってくれたのだと悟るまで。
わたし達は椅子の上で、固まり続けたのだった……。
それにしても、ほんと、10000に振り回された一日だったなあ。
飛空挺へ帰る道すがら、崩壊後の赤黒い空を見上げながら、わたしはそっとため息をついた。
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