の言っていた、平原の一軒家はすぐに見つかった。
 ただの民家、と言うには異様な雰囲気を放っている。家を囲う柵は殆ど原形を留めておらず、庭らしき所は雑草で覆われ、俺の腰辺りまで伸び放題だ。こんな所で生活できるのか、そもそも人がいるのかどうかさえ疑わしかったが、よく見ると家の近くには井戸があって、その傍には野菜が植えられた菜園のようなスペースがある。それに、無人になった建物はあっという間に朽ちてしまうものだが、この家の外観は朽ちているようには見えない。
 異様な民家に不安そうな顔をするを柵の外で待たせ、雑草をかき分けて玄関に向かい、呼び鈴を鳴らした。
 返事が無い。
 中で物音はするので、無人ではなさそうだ。恐る恐る扉を開けると、怪しげな老人が一人で酒か何かを飲んでいる後姿が目に入り、思った通り人がいたと言うのに安堵よりも不安が強まった。それでも見つけた以上声を掛けない訳にはいかず、驚かさないよう、静かに声を掛けた。
 「あの…」
 「おっ!?」
 老人は弾かれたように振り返った。小柄な身体に纏うのは、着こまれて裾が擦り切れた灰色の服。頭蓋骨に皮膚が貼り付いたような、骨ばった顔。頭にかぶった帽子はぶかぶかで、小柄な彼が余計に貧相に見える。生気のない顔で目だけがぎらぎら輝いていて、何と言うか、病的な雰囲気だ。
まんまるな目は、俺を認めた瞬間、にい、と三日月のように細められた。狂人と紙一重、に見える老人は、笑った時だけ無邪気に見えた。
 「時計の修理屋かい?だいぶ待ったぞい」
 何を言っているんだ。
 「いや。俺は修理屋なんかじゃない」
 「ほれ、そこの壁にかかっておるじゃろ?もう何年も動いとらんのだ。1年…?5年?いや10年かのう?」
 誰かと間違えているのか。ぽかんとしていると、老人はまた閃いたように椅子から立ち上がった。
 「おお、そうか!芝刈り機の修理屋か。あんたのサービスが悪いから表の庭は芝がボウボウじゃい。15メートルものびちまったぞ」
 15メートルって、もう秘境じゃねえか。いやそんなことより俺は修理屋では無い。
 「いや、だから俺は旅の者で、道を聞きに来ただけなんだ」
 「コラ、修理屋!早く、そのストーブを直してくれ!さむくてさむくてタマらんわい!」
 駄目だ、話が通じない。
 「……すまない、邪魔したな」
 さっさと背を向けて、部屋を出る事にした。この老人からは何も聞き出せないと思ったのだ。こんな所に一人で住んで大丈夫なのかとは思ったが、元気そうではあるから、子どもや家族が時々は様子を見に来るのだろう。背後からは老人が不満げに呟く声が聞こえたが、既に扉を閉めて家を出ていた俺を追いかけてくる事はなかった。
 にどう報告したものか。そしてナルシェにはどう行ったらいいのだろうか。
 ふう、とため息をついた俺は、急に近くに人の気配を感じ、びくりとしてそちらを見た。
 「……」
 井戸の傍に男がいる。
 その人物は、井戸に背中を預けて休憩しているように見えた。男だと思ったのは体格のせいだ。今まで男に気付かなかったのは雑草のせいだけでなく、そいつの衣装にも問題があった。黒装束に黒頭巾。夕暮れで薄暗くなってきた目には見つけにくい。
だが闇に紛れるようなそいつは、かなり旅慣れしている様子だった。寛いでいるようで隙はなく、足元に置いてある荷物は寝袋や食料、道具袋が最小限に纏められている。恐らくは俺と同じように道を聞きに来たか、一晩庭で泊まる許可を取ろうとして、住人があんなだから諦めて勝手にする事にしたのだろう。
 この男から何かいい情報が手に入るかもしれない。俺はそいつに近付き…いきなり現れた犬に吠えられて、飛び上がる羽目になった。何事かと慌てている間に、男が制するように犬の頭を撫でた。犬は途端におとなしくなり、男の影に同化するように伏せた。
 「気をつけろ」
 「ああ…すまん」
 男の声は低く抑揚が無く、言葉の訛りも職業も性格も、そこから読み取ることは出来ない。帝国の人間ということもあり得る。どう尋ねたものか一瞬考え、当たり障りのない質問を投げかけた。
 「旅の者か?仲間とはぐれてしまった。ナルシェに行きたいのだがどう行けばいいか知らないか?」
 「ナルシェか」
 男は呟き、考え込むように空を見上げた。
 それがシャドウとの出会いだった。


 「……というわけなんだ」
 「そうなんだ」
 俺はシャドウと出会った時の事を振り返っていた。に詳しく教えてくれ、と頼まれたからだ。
 ドマへの道は、なかなかに険しく長かった。途中に民家も集落も見つける事が出来ず、シャドウと行動するようになってからも毎晩のように野宿が続いた。にしては不快とまではいかなくても、ほぼ初対面の男と寝食を共にするのは落ち着かない事だったらしい。
 ある日俺が食料を集めに出かけた所、いつもならテントを張ったり火を起こす作業をするが、半ば強引に俺について来た。なんだろうと思ったら、キャンプ地から大分離れた所に来たところで「ね、マッシュ。シャドウさんって何者なの?どんな感じで旅に誘ったの?」と聞いて来たのだ。
 そう言えば、ナルシェへ向かうのにシャドウの案内が不可欠だとは伝えたが、そのシャドウの素性はアサシンだとしか聞かなかったし、にもそうとしか伝えていない。俺は帝国の人間でないのならシャドウが何だろうと問題ないのだが、はいきなり知らない男が仲間に加わった感じがして、そりゃ不安になるよな。
 「まあ、俺達に危害を加えたりはしないから、安心しろよ」
 「わたしね、マッシュ」
 俺の服の裾を掴みながら、が途方にくれた顔で見上げて来た。
 「実はまだ、シャドウさんと1回もまともに話してないんだ」
 「え、だってあいつと旅してから1週間は経って…」
 「うんだから。1週間、マッシュが食料とか集めてる間、シャドウさんと何を話したらいいかわかんなくて、ずっと沈黙が続いてるの」
 「……」
 確かにシャドウは無口で、必要な事しか話さない。は大人しく人見知りが激しいので、必要な事しか話せない。会話が弾む事はなさそうな組み合わせだった。それでも何日も旅していれば打ち解けるだろうと安易に考えていたのだが、事態は思った以上に深刻だった。
 「マッシュ、だから、わたしも今度から、マッシュと一緒に食料探しに行きたい。いいでしょ?」
 真剣な目で縋るように見上げられると、何でも言うことを聞いてあげたくなってしまう。笑顔で頷きかけて、我に返って慌てて首を横に振った。
 「だ、だ、駄目だ駄目だ!」
 「なんで!?」
 「俺達は3人で旅をしているんだぞ?ドマに向かっている間も敵と戦う時も、助けたり助けられたりしているんだぞ?今までが運んでいた道具袋、二つあったよな。シャドウが一つ、それも重い方を持ってくれるようになったの、気付いてるか?」
 「う、うん…」
 「それに、こないだの戦いでが魔物に眠らされた時あっただろ。をおぶって安全な所まで運んでくれたのはシャドウだぞ。あいつが『わざわざ言う必要はない』とか言うから黙っていたんだけどな」
 「え、そうなの!?」
 目を見開いたは、すぐにばつの悪そうな顔になって俯いた。「知らなかった」と呟く声には、さっきの自分の言葉に対する嫌悪と後悔が滲んでいる。
 俺が二人の間に入れば、は助かるだろう。シャドウだって俺達に友好を求めている訳ではないだろうから、それ自体は問題ではない。
 だがドマへの道は長い。ナルシェへの道はもっと長く険しい。さらに言えばナルシェはゴールではなく、スタート地点に過ぎない。目まぐるしく動く戦況の中、俺とが離れ離れに行動する可能性もある。そんな時に、自分から話しかけて周りの仲間に受け入れられる事が出来なければ、困るのはこの子だ。「自分の事を誰も知らない所に行く」ために旅に出たと言っていたが、自分で運命を切り開くつもりなら、最低限の社会性と積極性は身につけておかないと。
 …かつて引っ込み思案で、サウスフィガロの人や兄弟子とも碌に話せなかった俺に対して、師匠が言ってくれた事の受け売りなのだが。
 だからここで甘やかしてはいけない。それはこの子の為にならない。助けてやりたいが!我慢だ!
 「は、自分が苦手だからって理由だけで、助けてくれる相手を避けるのか?苦手な事を避けて生きていくよりも、頑張って相手を知ろうと努力した方がいいんじゃないか?」
 「うん…」
 「挑戦する勇気を持たないと。今のままじゃ、リターナーに入っても上手くやれないぞ」
 「うん…そうだね…本当にそう。でも、何を話したらいいか…」
 一度は顔を引き締めたが、もう困った顔になった。
 「何か、世間話から始めたらどうだ?」
 「世間話…」
 「天気の事とか、自分の事を話したり、シャドウに聞きたい事だとかを、当たり障りのない範囲で聞いてみるとか」
 不安そうな顔で俺の話を聞いていたは、だんだん顔を引き締めて、最後に力強くうん、と頷いた。
 「なるほど!わたしテントに戻るね、そんでシャドウさんと話してみる。だからマッシュ、いつもよりゆっくり帰ってきていいよ!」
 「、どこ行くんだ。テントはそっちじゃない。こっち」
 「あ、そうなの?間違えた、じゃあ戻るね!」
 言うや否や、風のように走っていく。姿が見えるか見えないかになった所で、気付かれないように後を追った。
 食料はとっくに集めているから問題はない。問題があるとすればだ。やる気を出したとはいえ、あの子が少し…いや結構ぼやっとしているのは何となく分かり始めていた。だから上手くやれるのか、やる気が空回りしていないか心配だ。
 それに今日まで会話が無かった二人が、どんなやり取りをするのか見てみたい。そんな野次馬根性も全くないとは言えなかった。


 「あの、今日は天気が良くて、その、絶好の戦い日和でしたね」
 「……」
 「さっきね、マッシュが取ってた食料、見に行ったんです。ご馳走になりそうな、そんな感じですよ」
 「……」
 「……マッシュは、料理上手ですよね、いい奥さんになりそうって、シャドウさん、そう思いません?」
 テントの傍の茂みに隠れて、俺はやっぱりな…とため息をついた。
 俺の位置からは二人の背中しか見えないが、は緊張のあまり、混乱しているようだ。何を言っているのかよく分からなかったし、俺を良妻扱いしているのも意味が分からなかった。シャドウが何も答えないのも尤もだ。答えにくい話題ばかり提供している事に気付いていないは、シャドウの様子に焦ったのか沈黙し、「シャシャシャシャドウさんは」といきなり声を大きくした。
 「シャ、シャドウさんは、アサシンなんですよね」
 方向性を変えて、世間話からシャドウの話題に切り替えたようだ。
 「……そうだが」
 「お仕事でアサシンをやってらっしゃるんですよね。もう長くお勤めなんですか?」
 「……は?」
 「え?あのだから、アサシンになって何年くらい経つんですか?もうベテランさんなんですか?」
 なんだろう、この、間違っていないのに違和感を覚える会話は。
 こういう会話を聞いた覚えがある。記憶を掘り起こすと、昔サウスフィガロの大きな宿屋の裏を通った時に、新人らしき女の子と、宿屋で長く働いている様子の年配の女性が、井戸の傍でしていた会話に似ていた。更に記憶を掘り起こすと、城にいた頃、厨房の見習いの少年とコック長が休憩時間にこんな会話をしていた気がする。そうなのだ、この会話はそういう日常の一幕でされるべきであって、アサシン=暗殺者に対する質問では無い筈だ。
 だがシャドウは偉かった。疑問の声を上げたその直後に少し沈黙しただけで、すぐ「…いつの間にかアサシンと呼ばれていたから、何年経つかと聞かれても、分からん」と静かに返す。
 「へえ……」
 「……」
 「……」
 焚き火が大きくなったのか、パチパチと火が爆ぜる音がした。
 「イイイインターセプター君って、賢いですよね。魔物にも立ち向かっていくし、やっぱり男の子だから、勇敢ですね」
 「こいつは雌だ」
 「……」
 「……」
 「そ、そうなんですね、すみません…」
 「……」
 インターセプターの唸り声がした。その直後にの「ひっ」と小さく叫ぶ声もした。恐らくは頭を撫でようとして拒否されたのだろう。何故見てもいないのに分かったのか。少女と犬のそんなやり取りを、この短い間に何度も見てきたからだ。
 「わたし、動物好きなんです。あまり懐かれないけど。だから小さい頃、家で犬か猫を飼いたかったんです」
 がおもむろに自分の話を始めた。自分の事を話したくなさそうにしていたし、帝国とは無関係そうだったから彼女の素性を深くは追求しなかったのだが、ナルシェ到着後、他の仲間に彼女を紹介するためにはもう少し何か情報が欲しい所だった。音を立てないように身を乗り出し、二人の様子を伺う。
 「で、ある日捨てられた犬を見つけて、家に拾って帰って母に言ったんです、飼いたいって。うちは大きな家で庭も広かったから、犬が一匹増えても大丈夫だろうと思いました。でも母が『お母さんはいいけどお父さんに聞いてみないとわからない』って言って。父はわたしの頼みなんて聞いてくれた事が無かったから、母から父に頼む事になりました」
 の放つ「父」言う言葉は、妙に突き放した余所余所しい響きがある。それに気付いたのかどうか火を見ていたシャドウの頭が初めての方に向けられた。
 「父が夜帰ってきたから、わたし物陰に隠れて二人の話を聞いてたんです。母が一生懸命頑張ってたけど、父は結局飼うことを許してくれなくて、犬は次の日お手伝いさんが元の所に戻しに行きました」
 「……」
 「その次の日犬が捨てられてた所に行ったら、もう、犬はいなくて……」
 「……」
 「……」
 の頭が下を向いている。当時の事を思い出して落ち込んでいるようだ。シャドウは一切フォローしないし、インターセプターは無駄吠えしない犬だし、は自分の世界?に入っているし、聞こえてくるのは焚き火の音だけだ。隠れていても漂ってくる重苦しい空気に愕然とした。
 俺が食料を探している間、この場ではこんな沈黙が続いていたのか!
 しかし、お手伝いさんがいると言う情報で、彼女が裕福な家に生まれ育った事が分かった。父に疎まれて町を出る羽目になったと言うことは、父親は町でも影響力のある人物なのだろう。しかし富裕層の発言力が強い町と言えば俺にはジドールくらいしか思い浮かばない。だがジドールに自警団があるなど聞いた事が無かった。それにジドールとこの場所はあまりにも遠すぎて、彼女のように旅に不慣れな子がとても一人で移動できる距離でも無かった。
 この子はどこから来た、どういう子なんだろう。
 頭を抱えていると、「…水が少し足りないな」とシャドウの声がした。
 「さっき見かけた泉で水を汲んでくる。すぐに戻るから、あいつが帰ってきたらそう伝えてくれ」
 「え、あ、はい」
 シャドウが立ち上がる気配がして、慌てて頭を引っ込めた。だがそれは無駄だったらしい。頭上に影がさして見上げると、シャドウが無感動な瞳で俺を見下ろしていた。固まる俺を一瞥し、顎をしゃくって歩き出した。ついてこいという合図だと解釈し、その後に続いた。


 「どういうつもりだ」
 泉で水を汲みながら、シャドウが冷たく問いかけてきた。
 「お前の差し金だろう」
 「差し金っていうか…が、お前とまだ碌に話した事が無いって話を聞いてアドバイスしただけだ」
 「訳の分からん話を始めたり、人の事情に首を突っ込むようアドバイスしたのか?」
 「いやそんなことはない。当たり障りのない範囲で会話をするよう勧めた。これは間違いない」
 「その結果があれか」
 「そうだ……」
 シャドウは返事をしない。呆れているのか、驚いているのか、或いはその両方か。このままではが可哀相になって「あの子、人見知りが凄いんだ。最初もお前と殆ど話さなかっただろ」と話しかけた。
 「あの子は行くとこが無いらしいから、ナルシェに着いたらリタ…反乱軍に加わってもらうつもりなんだが、あの性格で他の奴らと上手くやれるかどうか心配でさ。それで少しでも人と話せるようにしねえと、と思ったんだ。まさかあんな事になるとは思わなかったんだが、決して悪気があった訳じゃないから、そこは分かってやってくれないか」
 「…あれで悪気があったら性質が悪い」
 シャドウは短いため息を落とし、「もうああいうのはご免だ」と言い放った。
 「え!?そりゃ困る、は一生懸命努力してんだから、お前も協力してやってくれよ!」
 「断る。次に同じような事があったら俺は抜ける」
 「本人はあれでもやる気で一杯なんだ、どうか助けると思ってだな」
 「会話の練習は契約に含まれていない」
 の斜め上のコミュニケーションは、シャドウのお気に召さなかったらしい。それも相当お気に召さなかったようだ。多少の事は仕事だと割り切る男がここまで譲らないとは。しかし今俺が優先したいのは、シャドウの好悪よりもの教育(と言っていいものか)だった。
 「分かった。新たに3000ギル出す」
 「!」
 「契約内容は彼女の会話の練習。これは仕事だ、シャドウ」
 「……3000ギルか」
 小さく、だが限りなく嫌そうに、シャドウが首を縦に振るのが見えた。


 それからというもの、は果敢にシャドウに話しかけるようになった。
 「泉があるから、ちょっとしたもの洗いますね。シャドウさんの黒頭巾も洗いましょうか?」とか「わたし干し肉沢山あるから小腹がすいたらいつでも言って下さいね」とか。
 シャドウは最初こそ答えに詰まる事が多かったが、やがて彼女の会話パターンに慣れたのか徐々に会話する(というか軽くあしらう)回数が増え、まあ何とか会話しているかな?と思える光景を良く見るようになった。とりあえずは安心だ。
 本当はいざという時の為の大金だったんだがなあ。お陰で財布は残金500ギルだ。
 これだけは何があっても大事に取っておかないと。



 願いもむなしく、なけなしの500ギルはその後、谷底に落下してしまう不幸に見舞われるのだが。
 この時の俺は、そんなことを知る由もなかった。



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