思わぬ敵に邪魔されて、川に流されてしまった。
だが運良く助かって、ナルシェを目指す事になった。
助けてくれたのは、旅に出たばかりだという、大人しそうな女の子。
「テントを畳むときは、こう」
「ふんふん」
「そして、こう」
「うん、うん」
「で、最後にこうして、完了」
「おお!綺麗に纏まってる!」
いちいち感心しているのは、命の恩人である。母親からはと呼ばれていたそうなので、俺もと呼ぶことにした所だ。
は俺が畳んだテントを「ありがとう」と受け取り、ぎこちない手つきでバッグに仕舞い込んだ。無理矢理詰め込んだせいでバッグはパンパンだ。妙に危なっかしくて見ていると、バッグを肩にかけて立ち上がったが重さでよろけた。
「おっと」
あ、やっぱり。
よろけて大きな石に足を取られて、後ろにひっくり返りそうになったその腕を掴んで支えた。手加減して掴んだつもりだったのだが、掴んだ瞬間腕がびくんと跳ねた。驚かせてしまったと思って謝るよりも、が「あ、ごめん」と言って体勢を立て直したのが先だった。細い腕が俺の手をすり抜けていくのが名残惜しい。
「どうしたの?」
「あ…荷物持とうか?」
「え、いいの?」
「ああ。体一つで流されたから、手ぶらだし」
「じゃあお願いしていい?実は重かったんだ、これ」
荷物を受け取ったが、思ったよりも重くない。ひょいと抱えて「じゃ、出発するか」と言うと「重くないの?」と聞かれた。
「思ったよりは重くねえなあ」
「へえ、マッシュ力持ちだね」
尊敬するように見上げられて、身体が急に熱くなってきた。
が小耳にはさんだ情報によると、レテ川から草原の一軒家まで一日か二日はかかるらしい。しかも住んでいる老人は変わり者で、まともに話が通じるかどうかすら定かではないようだった。
「それ、大丈夫なのか?」
「うーん、でも何か知ってるかもしれないし、あてもなく旅するよりいいかもしれない…。それに近くを旅の商人がよく通るんだって。だから家の人は駄目でも商人さんに話を聞けるかもしれない」
あまりにも「かもしれない」が多くて、情報の不確かさに早くも心が折れそうになった。だけどは僅かな可能性を信じて、隣をてくてく歩いている。水を差すのも悪い気がして何も言わないことにしたその時、視界の端っこで大きな影が素早く動いた。
「、魔物だ!俺の後ろから離れるなよ!」
「え!あ、はいっ!」
そこそこ剣は使えると言っても女の子を、しかもあんな細い腕をした子を俺が守らなくて誰が守る。使命感にも似た思いを感じながら――多少いい所を見せたい思いもあったのは事実だ――雄叫びを上げる魔物へ攻撃を開始した。だが初めて見るこの魔物は恐竜のような外見に違わず力も強く、皮膚は鋼のように固くて、渾身の力を込めた拳でもびくともしない。こうなったら必殺技を放つしか方法はなく精神を集中させようとするが、魔物の大きな体のわりに素早い攻撃をかわすので精いっぱいだ。
「くそ、邪魔すんなよ!」
「マッシュ、後ろに下がって!」
不意に高い声が割り込んできて、反射的に声に従い後ろに飛ぶと、その瞬間小さな影が俺と魔物の間を横切って、何かがきらりと光ったのが見えた。そこまでは一瞬だったが、そこからはとても長い時間のように感じた。何が起こったのか分からないまま構えていると、びくんと痙攣した魔物が硬直したままぐらりと横に傾き、土埃を立てて地に倒れた。動かなくなったのを確認して近付くと、だらしなく開いたまま事切れた口の下、喉に当たる部分からたらたらと血が流れている。しゃがみ込んで傷をまじまじと見つめた。他に目立った傷は無い。この小さな傷だけで、こいつは死んだのだ。
「マッシュ、無事?」
息切れして掠れた声に振り向くと、が心配そうに俺を見ている。その手には、血が滴る細身の剣。
「あ…ああ。がやったのか?」
「うん。この魔物、前に戦った事ある。大きくて頑丈だけど首の皮膚だけ妙に薄いの。きっとそこが急所なのね。だからこう、懐に飛び込んで、」
は駆け出す仕草をして、次に剣を突き上げた。
「こうやって、喉元を一気に突いて倒すの。わたしは剣じゃないと駄目だけど、マッシュは力持ちだから、素手で首を殴って倒せるかも」
剣を振って血を落としながらは言ってくれたが、正直それどころじゃなかった。軽くショックを受けていたのだ。
四苦八苦していた敵を、女の子があっさり倒してしまった事に。守ろうとした子に守られたあげく心配までされている事に。強くなったつもりでいたけど、まだまだ俺は弱いということに。
自分の奢りに気付いて項垂れた俺の顔を、がひょいと覗き込んだ。
「マッシュ、どうしたの?どこか怪我した?」
確かに出会った当初は、顔の造作よりも思いつめたような表情の方が気になったので、あまり深くは考えなかった。禁欲生活を続けるうちに女性に対して淡白になり、容姿や色香では簡単に心を動かされないようになっていたのかもしれない。
だけど間近で見た彼女は、動きにくくなった心をぐらつかせるくらいには整った、綺麗な顔立ちをしている。その子が俺を心配そうに見つめていて、鼓動が急に早くなった。
「マッシュ?」
「いや、怪我はしてない、ただ」
「ただ?」
可愛いなと思っていた、なんて素直に言えるわけがない。いや兄貴なら言えるんだろうけど俺にはとても無理だ!というわけで当たり障りのない答えを必死で探し、ようやくこれだ!と思えるものを口に出した。
「あー…、黒い髪と黒い瞳って、珍しいなーと思ってさ」
「え、珍しいかなあ?」
「ああ。フィガロでは茶髪とか赤毛とか色んな髪の色があるけど、真っ黒い髪と目って、あまりいないんだ」
「そうなんだ」
怪我は無いと聞いて安心したのかは少し離れた。それでようやく心臓の音は落ち着きを取り戻す。ちょっと動揺したが、動揺を上手く宥める事が出来たのは禁欲の修行の賜物だろうな。調子に乗って「金髪も少ないんだよな。それでフィガロでは、金髪碧眼が美形の条件って言われてるんだ」と続けた。は「へえー」と感嘆したような声を上げる。「じゃ、マッシュも美形ってことだね」
「え?」
「だってマッシュは金髪だし、青い瞳でしょ?」
「あ…ああ、まあそうだけど、俺は別に美形じゃないし…」
他愛もない話題の矛先が思いがけず俺に向かってきた。確かに金髪だし目も青いが、残念ながら自分が美形かどうかと言われれば良く分からない。
城にいた頃は病気がちでひ弱な自分にコンプレックスを抱えていたし、城を出てからは山で修行三昧、生活必需品を買う為だけに町に降り、またすぐ山に戻る、そんな生活を十年近くしていたから、顔の造作をどうとか考えた事は無かったのだ。
「…そんなわけでさ。あまり自分の顔は気にしたことがないんだ。まあ人にどうこう言われたことも無いから、よくも悪くも普通なんだと思うぞ」
納得しなかったのか、は小首を傾げた。小鳥みたいな仕草だと微笑ましくなったのもつかの間、俺達の距離はまた急速に縮んだ。
彼女が、今度は難しい表情を浮かべている。
何だ何だと思っていると、は顔を離し、うん、と小さく頷いた。
「どうした?」
「マッシュの顔見てた。多分、マッシュはかっこいい方に入るんじゃないかな」
慰めているつもりなのだろうか。思わず笑うと、は「わたし、おかしいこと言った?」ときょとんとした。
「いや、そんなに慰めてくれなくてもいいのになーと思ってさ」
「別にわたし、慰めてるつもりはないんだけど」
はまたまたきょとんとした。
「マッシュはかっこいいと思ったからそう言っただけだよ。他の人が何も言わないのは、マッシュが大きすぎるから顔までよく見えないんだと思う」
「暗くなる前には森を抜けてしまわないとね」と歩き出した後ろ姿に続いたが、その間高揚感でずっと足元がふわふわしていた。
さっきの出来事を思い出すたびに頭がぽわんとして、辺りの景色が綺麗に見えて、道中が楽しく感じるようになってしまったのだ。
うっかり鼻歌を歌いそうになって、流石に自分が浮かれ過ぎている事に気付いた。これはいかん。未知の魔物が多い場所だし、さっきだって苦戦したばかりだし、しかも女の子を守りながら戦わないといけないのだから、上手く気持ちを切り替えなければ。
その後、次々に見慣れない魔物と遭遇して戦いが続いたので、幸いと言うべきか何と言うべきか、嫌でも気を引き締める羽目になり、タイミング良く戦い続けて疲れた頃にやっと森を抜ける事が出来、野宿にちょうどいい川辺まで見つけることが出来た。
「わたしが話を聞いた人は、川の下流に沿って歩くと草原みたいな所に出るって言ってた。その一軒家のある辺りだけ高い木が何本も生えてるから、遠くからでも場所がすぐ分かるって。だからこの川沿いを下って行けば、話に聞いた一軒家に着く筈だよ」
「じゃあ、ここで野宿した方がよくないか?で、朝から川沿いを歩いて行けばいいと思うんだが」
「のじゅく」
もう日も暮れた。魔物は夜の方が活発に動く奴もいるし、暗くて今から動き回るのは危険だ。賛同してくれると思ったのに、の顔は曇った。歩いている間に果物や木の実、野草を調達したから食料の問題はない。焚き火用の枝も同様だ。何が問題なのか分からなくて戸惑っていると、それに気づいたは慌てて「何でもない。野宿でいいよ。今から動いても危険だし」と頷く。
「じゃあわたしテント張るね。張り方だけは知ってるから」
「…おう。じゃあ俺は飯の準備をするよ」
暗くなる前にすることは沢山ある。まずは川で水を汲んで、火を起こした。お湯が沸くまでに果物を切ったり木の実の皮を剥いたりしながら様子を伺っていると、ふうふう言いながらテントを張り終えたは川で手を洗っていたが、洗い終えた後も水面をじっと見ている。その横顔が不安そうで泣きそうに見えて、放っておけなくて声を掛けようとした。
「…」
「あっ」
小さな声を上げたの表情が変わった。かと思うと、急に川に手を突っ込んで何かを取る仕草を繰り返した。俺の方からは暗くてよく見えないが、それは沢山取れたらしい。マントを入れ物代わりにして、満足そうにこちらに向かってくる。
「何か取れたのか?」
「カニ!カニがいた!」
マントの中には小さな沢蟹が七、八匹ほど動いている。師匠が素揚げにしてくれたのを食べたことがあるが、香ばしくてなかなか美味かった。
「これ、食べられる?」
「勿論食べられるし美味いぞ。焼いて塩振って食べてみるか?」
「食べる!」
「じゃあ焼くか!しっかり火が通るまで待たないと駄目だぞ」
は、嬉しそうに笑った。夜なのに急に明かりが灯ったような、眩しい笑顔だった。
何があったか知らないが、もっと笑ったらいいのに。
「はあ、美味しかった。最近干し肉しか食べてなかったから、すごく幸せ…」
お腹をさすりながらにこにこしているに釣られて俺も笑いながら「それは良かった。少し残ったのは明日の朝食べような」と返した。腹は一杯で、火は暖かく、当然のようにとろとろとした眠気が襲ってくる。はすでに何度も欠伸をしていた。
「、眠いだろ。そろそろ寝るか?」
「えっ、あ、そうだね」
は戸惑ったような声を出す。野宿を提案した時と同じ反応だったので、今度こそ聞いてみることにした。
「さっきも思ったけど、どうしたんだ?野宿に何か問題でもあるのか?」
「あのね。気を悪くしないで聞いてね」
「おう」
「……」
テントと俺を交互に見ながら、長い沈黙の後には口を開く。
「わたしのテント、一人用なのね。寝るって、どうやって寝るのかなと思って」
黒い瞳は、ふっと恥ずかしそうに伏せられた。
「まさか、一緒に寝たりしないよね」
「し、ししししないぞそんなこと!!」
「うわっ」
俺の大声に、は仰け反って尻もちをついた。
「、いやさん、まだ言ってなかったかもしれないけど、俺はこれでもモンクなんだ、モンク。モンクって分かるか?」
「も、モンク…僧ってこと?」
「その通り!修行中だけどな。だから女の人と一緒に寝たりとか、そういうことは無いの!」
「わ、わ、分かった。分かったから!」
「それに二人いたら交互に火の番をするもんだ!火が消えたら魔物が襲ってくるかもしれないんだぞ!二人同時に寝たら危険だろ!?」
「あ、そうか、そうだよね!分かったよ、わたしが悪かったよ!ごめん!」
予想もしない所で、それも俺の事で彼女が不安になっていたのに驚いて、ついつい大声を出してしまった。が何度も頭を下げるのを見て流石に反省して「いや、怒ってはいないんだ、驚いただけなんだ」と弁解はしたが、それでもは申し訳なさそうにしょんぼりしている。
「本当に怒ってないから、だからもう寝ろ。先に俺が火の番をして、二、三時間したら起こキから交替しよう」
uう‖うん…」8b>
5brセ
勤がパチパチはじける甥に混じって、寝返ツ閧うっているまきごそごそする音が聞こえていたが、宸黷烽竄ェて聞こえなくなった。
シbr>
賀人ねなると、背後のテ塔gは眠る新しい仲間の1とを、自膳に考ヲてしまう。
考え考えしながら言葉を紡ぐ様子は、全てを打ち明けているわけではないのだとすぐに理解できた。
まあ今日出会ったばかりだし、簡単に話せない事情があるのは仕方がない。打ち明けてくれたら必ず助けるのにと思い、おや、と首を傾げた。
他人の事情に首を突っ込むほど――特に、触れてほしくなさそうな事情に首を突っ込むほど――俺は詮索好きな方ではないのだが。
誰にでも言いたくない事はある。俺にだってあるし、兄貴にもあるだろう。ロックだってティナだって、簡単に打ち明けられない過去や葛藤を抱えている筈だ。
それに触れないようにしているつもりなのに、彼女の事情だけが気になるのは何故だろう。一緒に旅をする事になるからだろうか。常に不安そうにしていたからだろうか。
そうやってしばらく彼女の事を考えていたが、意識は段々別の方向に逸れて行った。
どこか怯えた表情とか。
嬉しいときの、眩しいくらいの笑顔とか。
さっき目を伏せて「まさか、一緒に寝たりしないよね」と言った時の、はにかんだような表情とか。
色んな表情がいちいち可愛く思えて、そんな自分に気づいて苦笑した。おそらくまだ十代の少女の仕草に興奮するなんて、思春期の少年か、俺は。
大きく深呼吸をして興奮を頭から追い出し、目を閉じて座禅を組んだ。気持ちが鎮まってくると、今度は川で別れた兄貴たちに思いを馳せた。
ナルシェへの旅は、まだ始まったばかりである。
戻る